世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2989
世界経済評論IMPACT No.2989

大学卒業証書の市場価値格差拡大とその含意

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2023.06.12

 本稿は,筆者が学歴ネタで本コラムに投稿する第3稿目である。第1稿(2017年4月24日付No.832「学歴論争再訪:人的資本論vsシグナリング理論」)では,先進諸国(OECD)平均では高等教育投資の「私的」収益率が「社会的」収益率よりも高く,学歴への私的投資による「シグナリング効果」の存在を論じた。第2稿(2018年3月12日付No.1028「学歴武装競争:分かっているけど止められない?」)では,学歴シグナリングの行き過ぎが社会的・私的収益をともに低下させているばかりか,学歴競争の勝ち組と負け組の間に構造的な不公正を生んでいることを示唆する英エコノミスト誌記事を紹介した。

 さらに同誌2023年4月8日付の“Was your degree really worth it?”と題する記事は,学士号への投資収益率が下落し,学士号取得を社会的上方移動の手段と考えるのはもはや幻想だという認識が広がっている,と指摘する。例えば,ウォールストリートジャーナル紙が公表した世論調査では,米国人の56%が学士号取得に費やす費用と時間はそれに見合わないと回答したという。以下に紹介する通り,同記事は学士号の費用対効果が低下していることを示す様々な証拠を挙げている。

 英国では,全大学(公立・私立)の全種類の学士号取得にかかる年平均学費(購買力平価で測った2020年価格)が1990年代後半までのほぼ無料(補助金による全面支援)から現在は1万2000ドル超へと世界最高に躍り出た。米国では1970年代の同2300ドルから9000ドル超へ4倍増した。英米に続くのはアイルランド,チリ,日本,豪州,韓国,スペイン,フランスなどである。英国では男子大卒者の25%および女子大卒者の15%が,同年代の高卒者より生涯賃金が劣るという実証結果もある。米国でも,キャリア序盤で高卒者より稼ぎが少ない大卒者が27%に上るとする報告がある。

 同記事はまた,昨今のデジタル経済化とそれに伴う労働市場の変化を背景に,学位の種類によって収益率の差が大きく,家計は各学位の「コスパ」に注意を払う必要がある,と指摘する。納税記録などを利用したパネルデータを分析した最新の研究によれば,どの大学を卒業するかよりも,むしろ,どの分野の学位をどういうタイミングで(留年せずに)取得するかのほうが,学位投資の収益率(高卒学歴に対する大卒学歴の生涯賃金プレミアム)を大きく左右するという。英国の大学を対象としたある調査では,経済・経営学,医学,コンピュータ科学,数学の4分野では学士号取得の収益率が男女とも100%近いのに対し,哲学,文学,農学,芸術などの分野では収益率が平均で25~60%程度であり,とくに男子学生の投資回収状況は悲惨で,芸術分野で男子学生がプラスの収益を期待できるのは10%未満という分析を報告している。

 これらの証拠を額面通りに受け取るとすれば,学士号取得を消費財ではなく投資財として考える限り,名の知れたブランド大学に入学できればどんな専攻分野でも構わないという考えは捨てた方がよさそうだ。興味深いことに,同記事では,英米の大学ではアジア系留学生は収益率の高い分野を専攻する傾向が強いため,学費債務の返済困難に陥ることは少ないと指摘している。

 雇用者側もデジタル人材市場の逼迫に対応し,この分野の熟練労働者に対して必ずしも大卒学歴を要求しなくなってきたようだ。例えばIBMの従業員のうち大卒者は数年前までは約8割を占めていたが,現在は約5割に減っているという。このような労働需要の変化に伴って学生側の専攻分野も変遷してきている。米国では2011~21年の期間に,学士号授与数はコンピュータ科学が120%増,工学が25%増,医学が20%増だったのに対し,哲学,文学,歴史学,宗教学などは10~40%減だった。

 このような変化に合わせて露骨な大学教育政策を打ち出する国もあるという。例えば豪州は2021年,社会科学と人文科学分野で学ぶ大学生の学費負担を2倍にする一方,介護や教育分野では半額にした。エストニアでは大学への補助金支給に様々な目標を達成する条件をつけており,その1つは留年生の割合を一定以下に抑えることが含まれる。リトアニア,フィンランド,スウェーデン,イスラエルでも同様の政策を採用しているという。

 金融業界やIT業界にフィットするような学問分野と比べ,「期待賃金プレミアム」が現状であまり高くなさそうな学問分野の学位は確かに生涯賃金が低くなるのだろう。上述記事が指摘するように,資金に余裕のない家計にとって収益率が高い学位を選択するのが重要であることは間違いない。一方で,皆が現状の技術状況や産業構造を所与として学問分野を選択することが行き過ぎてしまうことの社会的なリスクはどうなのだろうか。単純に理系重視・文系軽視を批判する根拠を筆者は持ち合わせているわけではないが,「ブラックスワン」的事象が人類社会につきものだとすれば,収益効率優先でない「遊び」の学問分野にも分散投資しておいたほうがよい気がする。DX社会へ皆が一斉に突っ込むのではなく,金銭的あるいは精神的に余裕のある家計の若者には,一定割合,文学,芸術,美術,スポーツなど分野で「消費財」としての大学学位を買ってもらうのが,社会公正上も多様性上も人類のリスク分散につながるのではないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2989.html)

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