世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4184
世界経済評論IMPACT No.4184

「東昇西落」の世界:危機の日中関係

結城 隆

(多摩大学 客員教授)

2026.01.26

 今の状態が続けば,日本経済はドイツと同様に凋落の途を転げ落ちてゆくのではないかと危惧される。ドイツの状況は日本に酷似している。ウクライナ戦争を機にロシア産の安価なエネルギーの供給を断たれ,産業用エネルギーコストはほぼ倍増し,工業生産はコロナ禍前に比べ1/4縮減,頼みの製造業は中国との競争に負けつつある。フォルクスワーゲンは創業来初めて大規模な従業員のリストラに踏み切った。同社は,開発・部品調達・製造を中国主体に行う「In China, For China」戦略を打ち出した。国内の部品産業にとっては大きな打撃になる。ドイツはインフラの老朽化も激しい。2024年にはドレスデンのカロル橋が崩落,長距離電車の定時運行率はコロナ禍以降20%近く低下している。「ブラッセル効果」は国内投資のコストを嵩上げし,製造業は海外移転を余儀なくされている。

 ドイツの製造業はEUでの付加価値が3割を占めEU内で最大の経済大国である。ドイツの凋落はすなわちEUの凋落でもある。これはウクライナ戦争を機に対ロ制裁に踏み切ったことが最大の原因だが,近接する大国との関係悪化は,必ずや自国に跳ね返ってくるものだ。

 高市首相の「存立危機事態発言」を機に日中関係は急速に悪化し,昨年12月には,空母遼寧の艦載機がスクランブル出動した自衛隊機に対し30分近くレーダーを照射するという事案も起こった。この是非がメディアを賑わしているが,その大きな背景は捨象されている。空母遼寧の演習目的は,カイロ宣言において画定された日本の領土(本州を含む4島に限定)をアピールすることにあった。遼寧は,ウクライナが建造したロシア海軍の空母を改装したものだが,カタパルトを装備していないうえに,船体の鋼板の品質がウクライナ製と中国製が混在したものであるため,強度に問題があるといわれる。実戦には耐えられないしろものである。

 その遼寧は,米第七艦隊がグアムを出港した翌日の12月5日に宮古島海域に向けて出港しているので,これに対応するという意味もあったのだろう。そもそも第七艦隊が出航したのはフィリピン沖合で行動中の中国南洋艦隊の南下に対応するものだった。在日海軍基地の強襲揚陸艦トリポリは米空母打撃群のグアム出航同日に台湾東部海域を経由して中国が領有権を主張するフィリピン沖合の南沙諸島を経由してベトナムに向けて出動している。この海域では中国の漁船団が百隻あまり遊弋していた。そして遼寧の動向を察知した米海軍は,ジョージ・ワシントン空母打撃群に加え,急遽リンカーン空母打撃群を合流させた。軍事的な示威行為がそれを上回る示威行為を生むという悪循環は絶対に避けなければならない。

 高市総理は,存立危機事態発言を未だ撤回していないし,そのつもりもないようだ。支持率が複数の世論調査の12月半ばの時点で60%台後半から70%台前半という高水準という事情もあるかもしれない。問題は,こうした事案が,一方的な中国側の挑発行為として喧伝されていることだ。これでは日中関係悪化の火に油を注ぐようなものだ。自らの失言を棚に上げて「中国脅威論」が煽られ,「暴支膺懲論」が台頭しつつある。

 一方,トランプ政権は日中関係の緊張に対し日本を擁護する気配はない。習近平国家主席との電話会談の後,高市総理とトランプ大統領との電話会談も行われたが,どうもトランプ大統領は,高市総理の発言に対し肯定的な表現を用いなかったらしい。トランプ大統領にとって,重要なのは日本よりも中国であることは間違いないだろう。米国だけではない。国連安保理常任理事国の英・仏の首脳も高市発言を契機とした日中関係悪化については特段の発言をしていない。

 しかも,昨年12月後半から一カ月近く続いたイランの食料暴動に対し,イラン政府は厳罰を以て臨む対応を示したが,トランプ大統領はこれを牽制するため,太平洋艦隊の原子力空母アブラハム・リンカーンをペルシャ湾に向けて進出させた。これにより,西太平洋に展開する空母は横須賀にいるジョージ・ワシントンのみとなった。これでは第一列島線の防衛も覚束ない。米国は,11隻の原子力空母を保有しているが,稼働状態にあるのは5隻のみ。3隻は退役予定であり3隻はドック入りの状態である。

 同盟関関係は両刃の剣ともなりえる。日英同盟は確かに日露戦争において日本に僅差での勝利をもたらした。しかし,英国の目的はロシアの覇権を抑え込むことだった。この戦争に勝利した日本は,やがて満州国建国そして日中戦争の泥沼に入り込んでいった。落ち目の覇権国との同盟は,却ってリスクになる可能性があることを肝に銘じたい。

 20年を超える筆者の中国観察体験を通じて感じているのは,日本には骨の髄まで中国を嫌う人々が少なからずいることだ。また,中国に詫びを入れることを屈辱と感じる人々もいる。それぞれの好き嫌いに干渉するつもりはない。しかし,殴った方はそのことを忘れる(あるいは正当化する)ことができるが,殴られた方は絶対にそれを忘れない。このことを知り,中国と真摯に向き合ったのが故田中角栄氏だった。

 元横浜市立大学教授である矢吹晋氏の近著『相互不信』のなかに,田中角栄氏が北京を訪れた際,日中戦争に触れ,「大変なご迷惑をおかけした」と述べ,それを通訳官が「添了麻煩」(「迷惑をかけた」という意味だが,日常的に使われる軽い言い方。「すみません」といったニュアンス)と訳した。これを聞いた周恩来が「怒髪天を衝く」ほど激怒したが,これがどうやって解決されたのかを調べた箇所がある。日本側の公式資料にはこの経緯が載っておらず,あたかも中国側が譲歩したような印象だけが残る。しかし,矢吹氏は北京に赴き,当時の党の内部記録にあたり,こんなやりとりがあったと紹介している。すなわち,激怒した中国側に対し,田中氏は,「ご迷惑をおかけした,という日本語は(迷惑という言葉は中国にもある)大変重い意味がある。万感の思いを込め,過去のことは水に流してほしい,という意味が込められている」と説明し,「日本側の訳が不適当であれば,中国側で適切な言葉に替えても構わない」と述べ,周恩来氏を説得したという。その後,田中角栄氏は毛沢東と面談し,楚辞集注を送られた。田中氏が漢詩を作るので,その参考のためだったというのが定説らしいが,楚辞集注には「迷惑」の語源が記載されているということだ。この本を手渡すとき,毛沢東は「田中さんは,迷惑という言葉の使い方が上手ですね」と言ったという。

 「失われた30年」を経験した日本にもう後はないと思う。しかし,「夢よもう一度」とばかりに,大国への復活を目指している官僚,政治家は少なくないが,現在の日本の経済力を見れば,それはやはり夢に過ぎない。一人当たり国民所得は世界34位にまで落ち,実効為替レートは1970年代のレベルまで下落している。財政赤字の対GDP比は先進国で最大のレベルに達している。貿易収支は赤字基調が定着しつつある。円安は,資源・エネルギー・食糧の殆どを輸入に依存している日本の家計や企業を直撃している。最も身近に物価を感じることができるカレーライス物価指数は,2023年から25年にかけて40%近く上昇している。さらに人材についてみると25歳から64歳までの大卒者(4年制大学)の比率は世界18位,世界人材ランキングは43位,英語力は98位で世界最低レベル。理数系(STEM:science, technologies, engineering, mathematics)の修士・博士課程在籍者数は千人程度に過ぎない(中国は8万人)。

 軍事力だけでなく,経済力,技術力においても日本は中国に太刀打ちできない。AI開発においても,中国が米国に肉薄するなか,日本は大きく遅れをとっている。風力発電など再生可能エネルギー生産の拡充にはこの分野で世界最大のシェアと実績を持つ中国企業との連携が不可欠だ。AI開発に不可欠なデータセンターの運営には恐ろしいほどの電力を必要とする。脱炭素と電力供給の拡大という相反する目的は実現するのは容易でない。国土の狭隘な日本において,再生可能エネルギー供給の拡大には自ずと限界がある。オールジャパンで臨めばなんとかなる,という精神論は通じないし,それを目指した政府出資の〇〇機構といった組織の経営で成功例は少ない。中国をはじめアジア諸国の国々との協力と共存なしでは日本は立ち行かない。

 この現実を踏まえれば,中国をいたずらに刺激するよりも,対話と交流を積み重ねることにより,共存・共栄を図ってゆくべきである。「未来を見たければ中国に行け」という識者がいる。日本にいては想像もできないような豊かさと便利さが中国にはある。しかし,それは脅威ではなく日本にとってのチャンスと捉えるべきだ。中国の発展や社会消費の成熟化,そして「内巻」に伴うデフレ圧力の中,好調な業績を上げている現地日本企業も少なくない。サンリオ,スシロー,ユニクロ,それにAIやEV関連の中間財メーカーなどだ。トヨタもテスラに続く独資企業として,昨年,レクサスのEVヴァージョンの製造工場の建設を上海で始めた。工場が立地する金山区は水素燃料電池の開発基地でもある。先の先を見据えた投資とも言える。

 また,中国では発展から取り残された部分も多い。労働集約型の製造業は未だ中国に厳として存在しており,低収益に喘いでいる。産業の高度化や質の向上が叫ばれているが,そのための投資資金が捻出できない中小企業も多い。ゆえに品質管理もおざなりになり,売上を伸ばせない企業も少なくない。しかも中高年の中小企業経営者の学歴は概ね低い。こうした面で,日本が協力,助言できることは多々あると思うし,そこに夢を抱いて中国に飛び込む中国駐在を経験した60~70代の元企業人も少なくない。ある中国の大手家電メーカーの空調部門では数十人規模で高齢の日本人エンジニアが働いているという。定年は75歳だという。空調の基本は熱交換。在来の技術だが,微妙な「擦り合わせ」のノウハウを助言している。

 嫌中・反中・蔑中・恐中といった思い込みや偏見,それによる一時の感情に捕らわれず,真摯に中国と向き合い,中国の良いものは取り入れ,日本の良いものは分かち合うことが必要だと思う。そのためには,対話と交流が欠かせない。その上で大切なのは,相手側の言い分をその立場にたって耳を傾けることだろう。これは決して忖度でない。あくまで相互理解の一環である。そうした中から,日本のあるべき立ち位置が見えてくるに違いない。こうしたことの積み上げによる戦略的な互恵関係を着実に築いてゆくことこそが,日本の凋落を押しとどめる最良の方策と思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4184.html)

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