世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
失われた30年解説試論
(関西学院大学 フェロー)
2023.01.23
前掲のコラム(2023年1月16日,No.2812)では,「団塊世代が孫に伝える体験的近現代日米政治経済史」として「失われた30年」の解説を試みた。結論として,直近の米中対立の激化は,時代の経済の,下りと上りのすれ違いに端を発したと結んだ。これを,「上り坂の20年,下り坂の20年,計40年」を一つのサイクルと見做すと,米国が下り坂だった40年前に,その社会に起った諸々の変化は,成長を経験せず,80年代央以降,むなしく40年を徒過した現在の日本にも,同じように見られるようになった。犯罪が多発し,サービスの質が低下している。Meイズムが社会に蔓延する一方,国の社会福祉制度に依存する貧困層が激増している。必然的に惹起される産業構造転換に付随して,製造業雇用は縮小し,離職した労働者が新たに見つける第3次産業分野での賃金は,以前もらっていたそれよりは,低くなってしまう。
そんな時代,今日よりも明日,自分たちの生活を良くしようとすれば,家計の財布を一つから二つに増やさざるをえない。1980年代央の米国も,2020年代央の日本も,そんな意味で,共働きが常態化した時代となっている。しかし,共働き,延いては女性の社会進出となると,40年の違いを超えて,両国に同じ問題,例えば,会社組織内でのガラスの天井,少子化,子育て問題,離婚の激増,シングルマザーの貧困化等を産み出してしまう。更に,政府が取るポピュリスト的社会政策で,財政は恒常的に赤字化,一方,大企業は節税に励み,歳入に占める法人税の比率は低下し続ける。あの時の米国は,財政赤字に加え,貿易収支も赤字だった。そして直近の日本も,財政収支は大幅な赤字。これまでは心配なかった貿易収支も,ウクライナ情勢などの影響で,赤字化の傾向が顕著となっている。
そんな40年前の,双子の赤字に苦しむ,ボトム期の米国経済・社会で起ったのがレーガン革命だった。“Government is not a solution, but a Problem”。レーガンは,このスローガンを用いて,有権者に「大きな政府か,小さな政府か」の選択を強いた。議会も当時,財政負担を伴う新制度を作る際は,古い制度を改廃するなりして,財源を節約すべしとの趣旨の,Revenue Neutral方針を予算決議に盛り込むなどして,無制限の財政支出を抑制する姿勢を採った。
思考は徹底して突き詰め,且つ,実践してこそ本物である。嘗て,1980年代前半,不況の最中,議会野党だった民主党のエドワード・ケネディー上院議員などが,日本の産業政策を米国でも採り入れようと提案したが,レーガン政権は「勝者と敗者を選別するのは政府の役割ではない」と一蹴した。あの時,筆者はニューヨークで,米国の政治・経済をウオッチしていたが,そんな共和党政権の姿勢には心底驚いた。事実,レーガン政権は,安全保障分野を除き,不振に悩む米国経済を救済するため,殆ど何の手も打たなかったのだから・・・。しかし,あの時の放任こそが,後々,マイクロソフトやサンマイクロシステムズ等のIT大手企業やバイオ企業を産み出し,米国の産業構造を製造業から金融・サービスを中心とするものに一変させ,以て,経済を再生させたのだった。
1980年代央をピークに坂を下り始めた日本経済。その下り坂の局面では,指導者が頻繁に交代したのは当然だろう。事実,1987年に終わった第3次中曽根内閣以降,政権は2年ごとに変っている(89年の宇野総理,94年の羽田総理の期間1年という例を除いて)。
日本経済のボトムが2000年代央にきて,そこから先は再び坂を上る。そんな筆者の理屈が実現するためには,あのタイミングで,経済の枠組みを抜本的に替える政治指導者が出てこなければならなかった。その素地は,確かにあったのだ,と思っている。
2001~2006年に「自民党をぶっ壊す」と叫んでいた小泉政権,更には,その後の2006~2007年にかけての第一次安倍政権,或は,2012~2020年の第二次安倍政権が選挙ポスター紙上で,「日本を取り戻す」と叫んでいたのだから・・・。だが,期待は実現しなかった。
第二次安倍政権が打ち出したアベノミクス(恐らくはレーガノミクスからの造語だろう)は,「デフレ脱却と富の拡大」という,はっきりした目標と,「3本の矢:異次元の金融政策→機動的な財政政策→成長戦略」という,はっきりとした道標を持っていた。しかし,3本の矢は連動しなかった。否,させることに失敗した。
元々,誰もが,最初の矢である,マイナス金利政策には違和感を持ったはずだ。なによりも金融・サービスのウエイトを高めていた日本経済にあって,金利が機能することは,経済活動の胆のはず・・・。亦,個々人が一生懸命に励んで,自分自身の付加価値を増し,以て社会に貢献する,それが,日本の健全な保守社会の背骨価値である,と信じられていたはず・・・。
それが,時間が経つと元本が減る。そんな価値変質に繋がる政策を,国際金融の手段論に牽引されて,社会への影響に関して何ら十分な議論もせず,易々と保守層が受け入れた。その事実は,結局,筆者に,日本の政治には徹底した議論がなく,更に,極言すれば,政治層の中に,社会の価値を論じる真の保守派はいないのだ,と思い知らしめた。
あのマイナス金利政策が導入されたとき,本来なら,保守層から,そんな政策を採った場合の,金融経済への影響や,社会全体の価値観への影響を案ずる声が出て,もっと真摯な議論が巻き起こってしかるべきだった。そして,そんな議論を経ての,あくまでも短期の緊急策だとの共通認識の下,あの異次元の金融緩和政策が導入されたのであれば,一定期間経過後の,政策切り上げへの圧力も強くなっていただろうし,替わって,第二の矢への移行や,第三の矢のもっと真摯な施行も果敢に行なわれていただろう。
しかし,現実は,そんな事前の議論の欠如故,本来短期のカンフル注射政策を,8年以上にわたって続けさせてしまう羽目になる。そして,反面,そんな現実の下,実際に政治が指向したのは,毎年の如く目新しいスローガンを掲げ,有権者の関心を当初のそれからシフトさせ続けるやり方だった。ポピュリズムがいつの間にか,抜本的対処策を乗っ取ってしまったという他,表現が思い浮かばない。
そうした批判的目で見れば,2021年夏の衆議院選挙は,野党にとっては千載一遇のチャンスだった。米国では4年ごとの大統領選挙に際し,野党候補は必ず有権者に「貴方の生活は4年前と比べて楽になりましたか」,或は「貴方のお子さんの将来は,貴方が子供の頃の将来展望と比べて,良くなっていますか,或は,悪くなっていますか」と問うのが当たり前。だから当然,日本でも,野党は同様の質問,「貴方の生活は,8年前と比べて楽になりましたか,或は,苦しくなりましたか」と有権者に質すものだと思っていた。政策目標だったデフレからの脱却は実現せず,所得は増えず,一人当たり所得では周辺アジアの国々に次々と抜かれ続け,財政赤字は拡大し,その負担は孫子の代まで続いて行く可能性が高まっている云々。だが,野党共闘を実現させながら,野党はついぞ,そんな質問を有権者に突きつけなかった。問うたのは,与党と比較しての,野党としてのばらまき政策だった。筆者は,「日本には,結局,米国のような選挙ストラトジストもいないのだ」との感想を抱いたことを覚えている。あの時の選挙の,事後の日本経済新聞の投票分析によると,嘗て経済繁栄を体験している高齢者ほど自民党に批判的,生まれてこの方,成長の果実に浴したことのない若者ほど,野党に批判的という結果だったという。
関連記事
鷲尾友春
-
[No.3612 2024.11.11 ]
-
[No.3604 2024.11.04 ]
-
[No.3601 2024.10.28 ]
最新のコラム
-
New! [No.3627 2024.11.18 ]
-
New! [No.3626 2024.11.18 ]
-
New! [No.3625 2024.11.18 ]
-
New! [No.3624 2024.11.18 ]
-
New! [No.3623 2024.11.18 ]