世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ゼレンスキー大統領は英雄か:ウクライナ危機とリベラリズム/リアリズムの相克
(KKアソシエイツ 代表理事)
2022.10.10
ロシアがウクライナ東部,南部4州の併合を強行したことで,ウクライナ危機の終息はますます遠のいた。連日マスメディアに登場する日本人のロシア東欧地域研究学者や軍事専門家の解説はいずれも曖昧で常識的なコメントばかりだが,現場の生情報が限られるなか日々刻々と状況変化するウクライナ情勢はまさにVUCA(volatility, uncertainty, complexity, ambiguity)の典型だから致し方ないだろう。
今回の危機は,国連憲章に代表されるリベラリズムを基調とした国際レジームを根幹から崩壊させかねない戦後最悪の国際事案といっても過言ではない。本稿では,国際関係論の基礎という原点に立ち返って相対立するふたつの基本的な視点,すなわちリベラリズムとリアリズムの双方の視点からウクライナ危機の3つの根本的疑問について論じてみたい。これはVUCAに煩わされることなくウクライナ危機の本質に接近しようとするささやかな試みであるが,同時に国際問題全般のリテラシー向上の一助となることも願っている。国際社会の観察に専門家も素人もないからである。
1)ロシアに全面的責任 vs. 米国・NATOに間接的責任
今回のロシアによるウクライナ侵攻は,戦後国際社会の理念と原則を踏み躙った蛮行であり,直ちに欧米はじめ各国から避難を浴びた。道徳的価値観や国際規範を重んじるリベラリズムの立場からすれば,プーチンのロシアが100%悪いという結論で責任論についてはピリオドとなる。だが,地政学的思考やバランス・オブ・パワーに依拠するリアリズムの視点からの観察はかなり異なってくる。むろん,ロシアの行為は倫理的にも決して容認できるものではないが,冷戦終了後のNATO拡大の経緯と背景を検証すれば,今回の悲劇を引き起こした間接的要因が米国・NATOの対ロ政策の失敗と誤算にあったとの分析が可能となる。冷戦時代にはソ連陣営だった東欧諸国が次から次へとNATO加盟を果たし,ついに隣接するウクライナも緩衝地帯ではなくなることへのロシアの警戒感や恐怖心を米国は過少評価していたのではないか。
残念ながら国際社会は究極的には無政府的(アナーキー)であるという現実は否定し難い。欧州,アフリカ,アジア,中東,北米などの国際情勢を最前線で取材してきた著名な英国ジャーナリストのT.マーシャルは,国の存続にかかわる脅威に直面した(と認識した)時の大国は武力行使するというのが「初心者のための外交術」の基本ルールであると指摘している。そのうえで,西側の外交官たちはこの基本ルールを知ってか知らずにか,ウクライナがソ連の一部ではなくなり,ロシア寄りですらなくなった時のプーチンの決断に気づいていないのではないかとの懸念について指摘している。同氏がこのような指摘を行ったのは,ロシアがクリミアを併合して間もない2015年のことである。
2)ゼレンスキー英雄論 vs. ポピュリストの失政
ロシアの侵略以来,ゼレンスキー大統領は欧米諸国では英雄扱いである。ロシアによる暗殺のリスクにも拘わらず国内に留まり続け,果敢に自国民を鼓舞しながら徹底抗戦の指揮をとる姿は喝采を浴びている。リベラリズム一辺倒で説明しようとすれば,ロシアのプーチンが許しがたい悪党でゼレンスキーは正義の味方となる。だが,ウクライナの国内事情に着目すると別の局面が見えてくる。ここでのキーワードは「外交は内政の延長」というリアリズムの視点である。コメディアン出身で行政経験皆無だったゼレンスキーは大勝利で大統領に当選したものの,内政での失敗続きで人気は急降下していた。そこで起死回生を狙ってミンスク合意の破棄,EU,NATO加盟といった無謀で実現困難なことを国民に約束してしまった。それが,プーチンの警戒感を限界まで高めてしまった。内政の失敗から国民の関心を外に逸らすために短絡的な外交に走った典型である。
もとよりウクライナという国は歴史的,民族的事情から国家のガバナンスが脆弱でポピュリズムに陥りやすい体質なのだが,外交政策においては歴代の大統領たちはロシアとEUのどちらか一方に偏りすぎぬよう微妙なバランスの維持に細心の注意を払ってきた。国益の観点からすれば当然である。ゼレンスキーはそのバランスを一挙に崩してしまったのである。もし彼にもう少し冷静な判断力と現実的な外交戦略があれば,今回のようなロシアの蛮行を誘引することはなかったのかもしれない。
3)徹底抗戦の継続 vs. 停戦模索の始動
ゼレンスキーはプーチンを交渉相手としないと明言し,徹底抗戦の構えを変える気配はない。米国・NATOが今後もリベラリズムに基づく政策を遂行するならば,戦後国際秩序に対する真っ向からの挑戦であるロシアの暴挙を許容するわけにはいかないので,ロシア軍が撤退し敗北するまでウクライナへ武器弾薬と軍事情報の提供を続ける以外の選択肢はない。だが,リアリズムの視点から現実を観察すると,今後のウクライナ軍事支援の継続には少なくとも3つのハードルがあることに気づく。
第一に,米国にとってのウクライナは全てのリソースを投入して守り抜くほど戦略上,死活的に重要な国家というわけではないということである。プーチンの誤算と焦りやロシア軍の要衝撤退といった報道は,一見,西側に好ましい展開と理解されがちだが,軍事的にロシアが劣勢になればなるほどプーチンの核兵器使用の可能性が現実味を帯びてくる。それは究極的には正真正銘の第三次世界大戦という近現代史上最悪のシナリオである。もっとも,ロシアにとってはウクライナは死活問題でも米国にとってはそうではない以上,バイデン大統領が核戦争のリスクをとることはないだろう。
第二に,対ロシア経済制裁のコストの増大である。当初よりエネルギー大国ロシアに対する経済制裁の有効性には疑問があったが,今やブーメラン効果のように制裁を課した西側諸国で資源エネルギー価格急騰などの経済問題を引き起こし,一般国民の不満が充満している。自国民の支持が維持できなければ,どの欧米諸国政府でも現在のようなウクライナ支援と経済制裁の継続は困難になるだろう。
第三に,西側が軍事支援を継続すればするほど戦闘は長期化し,日々,尊い人命が失われていくという現実である。すでにウクライナの市民(非戦闘員)の犠牲者数は国連の把握だけでも5,500名にのぼり,実際はその数倍と言われている。兵士はウクライナ,ロシア双方ともすでに万単位で死亡している。
国際社会のおける至上価値が平和であるとするならば,リベラリズムとリアリズムのどちらが有効であろうか。5月のダボス会議でキッシンジャー元米国国務長官が「ウクライナは領土割譲を容認してロシアとの和平交渉を進め停戦を実現すべき」旨の演説を行い,これにゼレンスキーが猛反発したとの報道は,この問いへの回答を示唆していて興味深い。パワーポリティクスの権化であるキッシンジャーが現実的な平和への道を説いたのである。だが,「ウクライナは単に自国防衛のためではなく,自由と正義のためにロシアと戦っているのだから世界中がウクライナを支援すべき」とリベラリズムを振りかざして国際社会に支援の継続を訴えているゼレンスキーとしては,このような提案は到底受け入れられないだろう。すでにこれだけ自国民の犠牲を出しながら,敗北に近いかたちでの和平交渉などに入ろうものなら,たちまち国内で不満や批判が沸騰し一気に英雄から国賊へと評価が急降下しかねないからだ。
自由や正義と人命のどちらが上位価値であるべきかという問いは国際関係論の枠を遥かに超える深淵で哲学的な問題だが,「人命は地球より重い」と考える日本ならば,リアリズムに基づくキッシンジャーの提案に賛同することになるのだろうか。
- 筆 者 :金原主幸
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際政治
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