世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.563
世界経済評論IMPACT No.563

アルゼンチン経済は変わるか

小浜裕久

(静岡県立大学 名誉教授)

2015.12.21

 戦前のアルゼンチンは「先進国」であった。名目の一人あたり所得で見ても,1967年まではアルゼンチンの所得が日本より高かった。むかしブエノスアイレスの都心を友人と歩いていたら,彼が「かつて先進国だった国が発展を止めたというより退行したような印象だね」と言った。まさにそういった印象。それに借金(対外債務)も全額は返さないというメンタリティがあるようだ。

 クリスチーナ・フェルナンデス大統領の統治が終わり,2015年12月10日,マウリシオ・マクリ新大統領が就任した。マクリ新大統領は,貧困撲滅,汚職根絶,麻薬撲滅といった重要課題について国民の団結を訴えた。まだ就任後1週間だからマクリ新大統領がどんな経済政策を採るか,その詳細は分からない。でも,クリスチーナよりは合理的な政策が採られるだろう(希望的観測だろうか。どこかの国でも,あれより酷い首相はいないだろうと思っていたら,次はもっと酷かったということもあったから油断は禁物)。

 アルゼンチンは「豊かな」国だ。国土の広さは日本の7.5倍。そこに,かつては「3000万の人が住み,6000万頭の牛がいる」と言われた。牛肉だけでなく,小麦,トウモロコシ,大豆の主要輸出国だ。昔,ブエノスアイレスから車で郊外に行ったことがあるが,行けども行けども「真っ黒な土地」が拡がり,まばらに牛が遊んでいた。この「真っ黒な土地」は,地理の教科書にも載っている湿潤パンパ。昔は肥料をやるという概念がなかったとまで言われるほど地味豊かな国である。こんな「豊かさ」が経済発展に良かったか悪かったか。

 サイモン・クズネッツが「世界には四つの国がある,先進国と低開発国と日本とアルゼンチンだ」と言ったと伝えられている。2014年2月15日のThe Economistはアルゼンチン特集だった。表紙はメッシの後ろ姿で,「アルゼンチンの寓話:他の国は100年の没落から何を学ぶか」というキャプションがついていた。

 アルゼンチン経済が破綻した2001年12月,『フィナンシャル・タイムズ』は,「Risky tango in Tokyo」いう社説を掲載した。そこには「国際金融界では悪いジョークが語られている。日本経済も危ない。アルゼンチンと日本の違いは,まあ5年さ」と書かれていた。5年後に日本経済が破綻しなかったので,今のところ「悪い冗談」ですんでいるが。

 筆者は1980年代半ば以降,10数回アルゼンチンに行っていて,かなり思い入れのある国だ。合計すると7カ月くらい滞在したと思う。きっかけは1985年から1987年にかけておこなわれた「アルゼンチン経済開発調査」だ。JICAが初めてやったマクロ経済を含む調査で,その報告書は調査団長の大来佐武郎元外務大臣の名前をとって「大来レポート」といわれて人口に膾炙した。

 中国の国民所得統計が過大ではないかという議論が昔からある。アルゼンチンの場合は,消費者物価とGDP統計が怪しいと言われている。IMFは何度も是正勧告を出しているが,改まらない。

 1980年代,アルゼンチンもハイパー・インフレに悩まされていた。そのため,ドミンゴ・カバーロ経済大臣が1991年4月に兌換法に基づくカレンシー・ボードを導入し,為替レートを法律で決めた,短期的なマクロ経済政策としては理解できる。しかし,5年も10年も続ける政策ではなかったと思う。

 2001年後半になるとアルゼンチンのカントリー・リスクは急激に高まり,2001年末になると,アメリカ財務省証券とアルゼンチン国債のスプレッドは5000ベーシス(50%ポイント)に近づいたのである。2001年12月23日,デフォールト,翌2002年1月6日,ドゥアルデ大統領は,兌換法の廃止を宣言した。1ドル=1ペソで固定していた為替レートは,急速に減価し,最近では1ドル=9.7ペソ位で推移している。

 2001年末の債務問題もフェルナンデス前大統領は解決出来なかった。外貨準備の減少を防ぐため為替管理が行われていて,外貨準備は250億ドルと公表されているが,はたしてどれくらいあるのか。

 マクリ新大統領は,貧困撲滅,汚職根絶,麻薬撲滅といった難問を抱えているが,それらの難問に対処するためにも,何としてもアルゼンチン経済を立て直さなくてはならない。そのためには債務問題を解決し,国際資本市場に復帰することが不可欠だが,簡単なことではない。

 前政権が国内物価対策として課していた農産品に対する輸出税も見直すという。牛肉や小麦,トウモロコシなどの輸出税はすぐに廃止し,大豆に課していた35%の輸出税は30%に下げるらしい。輸出競争力を高めて外貨稼得を増やそうという政策だ。いまのアルゼンチン経済を考えれば,理に適った改革だ。しかし複雑に絡み合った既得権益構造を壊すのは簡単ではない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article563.html)

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