世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
高校生に金融教育は必要か
(明治学院大学国際学部 教授)
2022.10.03
ここのところ,若者の金融教育が話題になっている。その背景として,今年4月の成人年齢引き下げに伴い,高校のカリキュラムに契約や金融取引に関する授業を取り入れるべきだという意見が強まったこと,岸田内閣の「資産所得倍増プラン」の一環として,国民に積極な資産形成を促したいという当局の意向が強まっていることなどが挙げられる。
日本経済新聞や大手証券会社は,これを機会に若者の金融リテラシーを引き上げ,「貯蓄から投資へ」の流れを加速させるべきだというキャンペーンを行っている。私たちはこうした主張をどのように評価すべきだろうか。
まず,日本経済新聞は「高校の授業で金融教育が必修になった」とか「家庭科の授業に株式や投資信託などの資産形成が加わった」などと盛んに報道しているが,これらはやや勇み足である。
新カリキュラムの家庭科の指導要領が「基本的な金融商品の特徴」に触れることを求めていることは事実である。しかし高校の家庭科科目には調理や被服,住環境に関する実習から他者との共生やキャリア開発,SDGsからまで,きわめて幅広い内容が含まれている。その中で金融教育に割ける時間はほんのわずかであろう。
政府と日銀が中心になって設立した金融広報中央委員会は,自ら行った調査をもとに「日本ではアメリカに比べて金融教育を受けた人の割合が少ない」,「金融知識に自信がある人の割合も少ない」,「国民は金融教育を望んでいる」と述べている。経済メディアもこれらの結果を頻繁に引用しているが,その解釈にも注意が必要である。
アメリカに比べると,日本の家計資産が預貯金などの元本保証商品に偏っていることは事実である。しかし両国の違いは金融教育や金融の知識の違いによるものだろうか。
金融広報中央委員会の「金融リテラシー調査」には,「在学した学校,大学,勤務先において,生活設計や家計管理についての授業などの『金融教育』を受ける機会はありましたか」という質問がある。最新の2022年調査において「機会があった」と回答した人は8.9%に留まっており,米国の同様の調査で「あった」と答えた人の割合に比べると確かに低い。
しかしそれではアメリカ人の金融リテラシーが日本人に比べて著しく高いかというと,必ずしもそうした結果にはなっていない。また,日本では金融教育を受けたと述べている人ほどリテラシーの自己評価が客観的評価を上回る傾向が強く,トラブルに巻き込まれた人の比率も高くなっている。
日米の金融リテラシーに大した違いがないにも関わらず,アメリカ人の方が自己の知識への自信が強いのは,両国民の性格の違いによるものだろう。「あなたは○○に自信があるか」という質問に「ある」と答える日本人が少ないのは,金融知識以外のことに関しても同様である。
たとえば,内閣府が先進国の若者を対象として定期的に実施しているアンケート調査には,「あなたは,自分の将来について明るい希望を持っていますか」とか「自国の将来は明るいと思いますか」という質問がある。日本の若者の間ではこれらの質問に「明るい」と答える人の比率が低いが,それでは「社会をよくするために積極的に関与したいですか」という尋ねると,「そう思う」と答える人も非常に少ない。
これらは若者だけの傾向ではなく,大人も似たり寄ったりである。また,この種のアンケートに「分からない」と答える人が多いのも日本人の特徴である。そこには,よく分からないことや不確実なことにはコミットしたくない,他の人に任せたいという日本人の性向が現れている。金融教育が受講者の知識を増やす効果がある(少なくとも効果がゼロではない)ことは過去の研究によって示されているが,それによって国民の性向が大きく変わるとは考えにくい。
高校時代が金融教育に適した時期かという疑問もある。家庭科の教育内容に生涯の生活設計が含まれているのは,自己に対しても他者に対しても大人として振る舞う意思と能力を身につけてもらいたいという思いがあるからだろう。しかしそれを資産防衛や積極投資の話に矮小化してしまうことは好ましくない。若者が自分の将来を展望する上では,どのような仕事に就いて社会に足がかりを得ることを目指すのか,社会の中で他者とどのような関係を築いて生きていきたいのかを考えることの方がずっと大切である。
「金融リテラシー調査」には年齢階層別の正解率やその分布も報告されている。それを見ると,年齢が高くなるにつれて知識が増える,正解率の分布が所得や保有資産額のばらつきとよく似た分布になっている。つまり,多くの人は必要に迫られればそれなりに学習するし,そうでない時に無理やり教育しても余り効果的でないということだろう。
最後に,政府と日銀が国民に積極投資を行わせたいなら,先ずは自由で健全な金融市場を提供すべきである。しかし今日の日本では,債券,株式,不動産など,いずれ市場も官製相場としか言いようがない状況に陥っている。日銀の四半世紀にわたるゼロ金利政策は,現役時代に真面目に働いて貯金をし,その利息で何とか老後の生活をやりくりしようとしていた国民を兵糧攻めにしているのと同じである。そうした中で国民を「貯蓄から投資へ」誘導しようとしても,色よい反応が得られないのは当然ではないだろうか。
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