世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
思想なき言挙げによる真逆の横行
(元信州大学先鋭研究所 特任教授)
2022.09.19
経済学専門家の諸兄に混じって筆者のような技術者が専門誌に場違いなエッセイを寄稿できることは行幸である。技術系の友人知人から経済専門家へのメッセージとして評価いただけるようになってきた。世界経済評論編集部にはこの場を借りて感謝を示したい。
最近,真逆のことを堂々と主張する,古い言葉なら「転向する」方々が政界やメディアで目立つ。例えば新型コロナ感染の全数検査を実施すべきと煽ったマスコミと識者。医療現場から全数検査をやめて欲しいという声が大きくなったら全数検査は必要ないと大合唱。いざ岸田首相ができる範囲で全数検査を変更すると示したら国民の命と健康の軽視と非難する。経済産業分野の例では「水平分業」から「地政学的分断」への論点変更である。議論反論は1日,製造現場の作業負荷は数ヶ月から数年。朝令暮改で意見を変えるメディアや評論家・野党政治家にとってサプライチェーンと製造業の苦労は考慮対象外なのだろう。
井沢元彦氏は「逆説の日本史」他で,我国は言霊信仰の国であると説いている。主導的立場にあるべき人が非合理的な言霊を気軽にコトアゲして現実を変えられると信じているさまは平安公家と同じである。歴史が示すように京都の公家から見れば虫けら同然の関東武士は公家支配を葬った。今日的にみれば,ニュース(事実を評論なしに正確に伝えること)と論評・エンタメの区別がつかなくなっている「上級国民」に対して大衆が見放すこと,具体的にはTV離れであろう。ヤフコメやSNSと主要報道機関の世論調査の乖離が目立ってきている。
昨今,我国の科学技術力衰退について声高に論評されるが,長年科学技術に携わってきた立場からやるせない思いが募る。結論になってしまうが,「科学技術の衰退」と一言で片付けるのはいとも簡単だが,霞が関を含めて科学振興・産業経済を指導誘導してきた人達の責任はうやむやである。9月8日の日経新聞社説「日本の国力を損ねる若者の博士離れ」も通り一遍の論説であり,学術会議などの権益護持グループが持つ「触れたくない」問題について掘り下げていない。視野を広げればIT分野でさえ必ずしも我国の技術が劣っているわけではないのだが,NTTのiモードの様にIT分野はグローバル展開戦略が稚拙であったことは否めない。他方,IoTの要である日本発リアルタイムオペレーティングシステムTRONはIEEEの国際標準仕様として普及していてほとんどのIT装置はTRONなしでは機能しない。SDGs/ESGで注目されている脱炭素技術でも水素生成や廃棄物リサイクルでアンモニアを製造する技術は我国が一歩リードしている。
論文の査読をしていて気がついたのだが,2015年頃から中国の科学技術台頭は米欧日の分析機器メーカーの最先端装置をふんだんに使っていることが一因である。翻って我国では官民共に研究開発費の削減が続いたために最先端分析装置を購入できず,「追加探索」的研究,つまり重箱の隅を突くようなものが多くなり研究力が衰えている。今どきWindows XPベースの分析機器が幅を効かせているのは情けない。そのため従来の研究との比較で論文内容に疑問を呈するのが容易ではない。先端機器を使った論文がすべて正しいとは限らないのだが,「美しい」画像処理とCG動画がふんだんに使われているとどうしても惑わされる。査読したある中国人研究グループの論文では,適用範囲が限定される定理に基づく測定結果を脈略無くつなぎ合わせて一連のグラフになっていた。著者に質問をしたところ全く答えられなかった。このようなことは他の論文でも結構発生しているのだろうが,奇抜なアイデアが好まれる最近の風潮では基礎的な定理よりCG処理グラフや動画の方が説得力を持つ。必然として,日進月歩のITや機械等の技術分野は,測定時間も大幅に短縮できる最先端機器をふんだんに使える中国人科学者が台頭するのは自明の理である。
我国の科学技術停滞の現状を打破するために「識者」が異口同音に口にすることは「優秀な人材」を育てる,獲得するである。それでは問いたい。霞が関のキャリアや大企業のマネジメントの多くは東大文一出身である。優秀だから採用され,日本式のOn-the-jobトレーニングで育成されて行くシステム,これが間違っているのか?「優秀な人材」と唱えれば優秀な人材がどこからともなく登場して産業経済を振興していくという幻想(言霊)に囚われていないか?仮に現在の東大文一卒が優秀でないというならば明治以来の教育体制を否定することになる。根拠を示さない,お祈りとしか見えない「優秀な人材」という発言には異能,はやり言葉なら「ギフテッド」を指し示していると思われるが,誰がどのような基準で判定するのかという具体的筋道を示さずに言葉だけが先走る。他方で,我国の選抜体系は前例を短時間でまとめる能力に優れた「秀才」を選び出す事を基本にしているので,「ギフテッド」を判別するのも,当然,このシステムを通過した「秀才」によって選抜が使われる。
学術会議任命拒否騒動のような例を引き合いに出すまでもなく,前例を尊ぶ組織が前例を物ともしない異能者を選別できると考える方がおかしい。実際に「ギフテッド」の対極にある学術会議は不思議な組織である。菅首相時代の任命拒否への対応は「前例が無い」であり,現在でも政府に対して前例に従うことを求めている。学術会議(の理事会)は前例主義であることを自ら示しているので,科学技術研究の根本的変革を担うには不適な組織である。「研究評価における研究の多様性の尊重」を提言しているにもかかわらず,相変わらず軍事に対しては厳しい制限を推し進めている。井沢氏の指摘の様に,平安時代の公家と同じで言霊に囚われ実務は前例踏襲,「刀伊の入寇」を撃退した太宰府行政官を叱責する様と同じである。この学術会議が主張する「平和的先端技術研究」という言葉はそれ自体矛盾なのである。
はやり言葉に惑わされるなといっても,言霊信仰の我国では言葉の示す背景や概念が忘れられて言霊になっていく。「ギフテッド」で振興策を推進するなら,いっそのこと映画「攻殻機動隊」の押井守氏,あるいは「さんぽセル」を発明した少年少女の方々に異能者を選んで頂くことが良策となるだろう。
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