世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
経済安全保障をめぐるグローバル・エコノミーの「トリレンマ」:ロシア・ショックと,日本
(桜美林大学大学院 教授)
2022.06.06
グローバリゼーションの「パラドックス」と「トリレンマ」
ハーバード大学のD・ロドリック教授は,2013年に刊行した「グローバリゼーション・パラドックス」(The Globalization Paradox Democracy and the Future of the World Economy)の中で,グローバル化が進む世界経済にみられる政治的トリレンマについて包括的な指摘を行った。即ち,a.ハイパー・グローバリゼーション(グローバル化の深化),b.国家主権(国民的な自己決定),c.民主主義(民衆政治)の3つについて,これを同時に追求・達成することは無理(1つを犠牲にせざるを得ない)であり,経済のグローバル化が進展するなかで,各国・国民はその(政治的)選択を問われ続ける,という内容である。
これは筆者の理解では,全世界で経済のグローバル化が不可避的・不可逆的に進行していく過程で,「グローバリゼーション」の展開が,各国(とくに民主主義国)レベルで,「国民/国家主権(国益・安全保障)」や,「自由&民主主義(の堅持)」と,様々な局面で,深刻に相克/背反してしまう実情(パラドックス)が,政治的トリレンマ仮説の背景にある,と思われる。
グローバル・エコノミーに生じた深刻な「歪み」―英・米の事例
2016年には,先進諸国中でこのパラドックスとは最も無縁かと思われた,英国・米国で,グローバル・エコノミーに深刻な修正を迫る激動が生じた。即ち英国BREXIT(EU離脱)決定と,米国のトランプ政権誕生である。両国(とくに米国)は,規制緩和や市場開放を率先して推進し,90年代以降,グローバル・スタンダード確立で他国を凌駕して繁栄すると共に,国益実現の強い意思と実現力,そして強固な民主主義基盤を誇っていた(はずであった)。しかし英国・米国の国民(民主主義)は,それぞれの投票/選挙を経て,グローバル(経済)化進展の流れに大きく掉さすアクションである「EUからの離脱」,そして「米国(自国)第一主義」を選択する結果となったのである。
新たな「トリレンマ」の構造
これまでも日/米/欧州などの先進諸国では,様々な経済社会のエリア・局面で,グローバリゼーション・パラドックスが発生していたが,2022年プーチンWAR勃発に伴って,今後はさらに以下の3つのベクトル-A「グローバルエコノミ-とのリンケージ緊密化」,B「経済安全保障の強化」,C「自由と民主主義の遵守」をめぐるダイナミズムが相克することによって,深刻なトリレンマが発生することが想定される。
とくに今後,日本がトリレンマに本格的に直面する可能性が高いのではないだろうか?
キーとなる「経済安全保障」ベクトル
上記3つのベクトルが相克し,日本で争点化(トリレンマ化)する可能性が高いのは,B「経済安全保障の強化」を要として,A⇐➡B&C,そしてA&C⇐➡Bが背反する局面ではないだろうか? 具体的には,日本の場合,今後
- ◎非体系/非戦略的な規制緩和が進んだ結果,法/制約の縛りが少ない市場・企業・経済活動を標的に,先端技術やノウハウが(実質的に)流出,ICT/DX分野でハッキングや機密漏洩増加が問題化し,政府・企業レベルの効果的な危機予防/危機管理の方法等が問われ,
- ◎外国(人/企業)による買収や土地所有(とくに地方自治体レベル)等が,国の安全保障(経済安全保障)に抵触し,重要な各種インフラ(案件)の取得・コミットに繋がる場合への制限策や,有効な歯止めの必要性が,俎上に上がり,
- ◎個人情報保護法制下,ネット空間でのフェイク情報やヘイト攻撃による被害が増大する中,DX表現媒体への規制(自主規制)や介入の可否や実効性,更に(医療や金融資産等)ビッグデータ等の機密性保持と,「公共の利益」を理由とした(当局の)使用・コミット要求,のバランス問題がクローズアップするであろうし,
- ◎急増する(海外からの)サイバー攻撃に対して,脆弱なリスク管理体制(被害発生/防御時のみ対応,反撃/危機予防的なシステム構築は困難)の問題,一方で国・企業・個人の各レベルで危機意識が薄く,データサイエンティストを筆頭にDX人材育成が遅れ,かつ不足,(これを人材輸入の形で海外に依存できるか?)といった問題がいよいよ本格化し,
- ◎国内での防衛/軍事面研究への制約の可否,外国人受け入れ(研修生問題や難民認定)や,国家安全保障や最先端技術に関わる研究・技術の機密保持を巡る,対立の激化,
など,いずれも今後拡大していく可能性が高いと懸念される。
ロシア・ショックと日本
今般ロシアが引き起こした「ウクライナ全面侵攻」は3か月超経過したが,これまでネットや各種メディアからの情報群を通じて我々が衝撃を受けたのは,ロシアによる破壊の凄まじさ,一般市民への非道・凶行もさることながら,ロシア(プーチン)スタイルが各所に曝け出した,異形の支配(体制・原理),プロパガンダから戦争指導に至るまで,(グローバル化が進む世界経済社会で)とても理解/共有ができそうにない価値観の表出であり,しかもロシアは責任ある「核大国」「国連安保理常任理事国」にも拘わらず,その主張を強行して憚らない点である。
こうしたなか現在日本は,(欧州の様にロシアと地続きによる直接的脅威や,経済制裁実施に伴う反作用のダメージが深刻な地域ではないものの)ロシアからの脅威感と地政学的緊張感は,これまでになく高まっている。
日本はさらに(ロシアのみならず),「自由&民主主義」に非寛容で,専制的「権威主義」が統治し,日本との経済相互関係(生産・供給・市場・投融資・人流)が緊密な超大国が近隣に存在する。また経済のリンケージが益々強まっている世界とはいえ,政治力学が働く国際機関の舞台では,ロシアの深刻な国際法侵害や無効化,反人道的な蛮行に対するスタンスが,グローバルに一致せず,また新たに「核使用の脅威」はこれまでになく高まるにいたった。
日本は今後,①今般のウクライナのケースを十分踏まえて,②自国の自由/民主主義による政策決定を経た上で,③「経済安全保障」を重視/強化するベクトルに向かい徐々に舵を切り,④地政学的な観点からも,グローバリゼーションの更なる拡大・深化に対して,様々な局面でチェックし,ブレーキをかけざるを得ない事態が想定されよう。
- 筆 者 :平田 潤
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際経済
- 分 野 :国際政治
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