世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2531
世界経済評論IMPACT No.2531

EU東方パートナーシップ:深化と拡大

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所 客員研究員・帝京大学 元教授)

2022.05.09

 ウクライナ戦争は国際関係を劇的に変化させている。その影響は,EUの近隣外交政策,なかんずく東方パートナーシップのあり方,NATO(北大西洋条約機構)依存の欧州安保の危うさ,ロシア東欧依存のドイツ経済の脆弱さなどを露呈,さらにコロナ禍で緊喫の課題となっていたEU統合改革にも大きな暗雲を投げかけようとしている。2期目のマクロン大統領のフランスの役割と責任はドイツの地位低下で一層,大きくなろうとしている。

 欧州連合の発展の座標軸は深化と拡大である。これは補完性の原理と近隣政策の首尾一貫性の問題と置き換えてもいい。欧州連合のローカルな統治形態の基礎原則,補完性の原則にもとづくEU統合の内部的収斂というもっとも核心的なコアの部分である深化と,EU加盟国の外側に位置する近隣国が欧州連合に加盟するための条件整備の拡大,この2つの二律背反とも言える矛盾である。深化がバ―チカルな上下軸とすれば,拡大はホライオゾンタルな平面の空間次元である。これまでEU問題専門家の間でもこの2つの深化と拡大は両立するのは容易ではないとする意見がある。欧州中銀ベノワ・キュレ(Benoît Coeuré)は次のように指摘する。「一国のパワーはその大きさや広さではない。単に大きければ大きいほど強くなるということではないのである。その逆である。欧州連合は統合の質を深めることなく拡大すれば,そのパワーの低下は深刻さを増すのである。このことは拡大のある時点から欧州統合の質そのものが変質してしまい,それまでのようには機能しなくなってしまうのである。それでは統合のための欧州連合の地理的な範囲は一体,どこで何カ国で決定し停止すべきであろうか」。

 2000年代,「熟慮なき」と同氏が憂慮する欧州統合の地理的拡大を域内加盟国の意見を踏まえ最終的目標の合意を形成する議論もなしにEU委員会が拡大を急いだ理由はなにか。それは欧州の政治家やユーロ官僚が抱く地理的不安感であると言われる。拡大についての意思決定の欠如が欧州統合のプロジェクトをすべて迫力のないものにするように見えたのである。そのユーロ官僚の不安とは欧州連合の発展を地理的に明確な範囲内に押し込めてしまうことであった。いくつかの理由がある。その人口比率からEU内の最大の投票権を有することになる国,人口8433万人,面積78万㎢のトルコに影響力を与えることになり,統合そのものを深化させることなく地理的な拡大のみが先行してしまい,欧州連合は永遠に政治的な統合体になることは幻の夢と化してしまう危険を感じていたからである。かつてドゴールはウラル山脈まで,フランスの元首相ミッシェル・ロカール,あるいはIMF専務理事で財務大臣だったドミニック・ストロス・カ-ンなどは,北極からサハラ砂漠までの欧州を地理的に拡大した共同市場のような多文明的な空間さえも構想していた。ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊1991年の後,バルト3国を除く12カ国は独立国家連合体(CIS)を結成,欧州共同体モデルをその統合の目標にしていた。

 EU加盟については2つの基本条約,即ちEEC条約第237条と欧州条約第49条に規定があっても「すべての欧州国家」と述べるのみで欧州の境界線は不明確なままであった。1987年にはモロッコが加盟申請を行った位である。そこでEUはコペンハーゲン基準を1993年に採択して,①欧州連合の価値共有 ②欧州共同体規則の“アキ”(Aquis communautaire)の採択,8万の法規範,法律順守,競争原理,経済通貨同盟の基準順守など政治的,経済的,法的基準の受け入れ能力と態勢が整っていることが謳われた。2002年プロデイEU委員長が加盟順守を確保するため取り決めを導入することを提唱,2003年ニース条約で「コペンハーゲン基準」の合意が効力を持つようになった。①民主主義 ②法の支配 ③市場経済 ④人権・少数民族尊重などの項目において拡大EUと隣接国との間に「文明の境界線,割れ目」(fault line)を発生させないということが強く意識された。

 EUの拡大は2004年5月1日より新規10カ国,2007年さらに2カ国加盟で新しい局面に入った。同時にEUは16カ国との間に2国間の近隣政策協定を締結するために政治経済改革プログラムを策定するように迫った。EUの「近隣諸国」にはロシア・独立国家共同体・ウクライナ・モルドバ・ベラルーシ・地中海沿岸諸国約15カ国など全部で人口3億8500万のEUの影響範囲が拡大しようとした。ドイツに有利な東方拡大に対抗してサルコジ大統領は地中海連合協定を提唱,2008年7月パリに44カ国首脳が集結した。2008年6月ブラッセルEU理事会は「リスボン条約の批准なしに新規加盟交渉なし」と声明,この南方拡大政策はメルケルの反対で頓挫した。EUにはクロアチア,マケドニアが加盟申請,そしてウクライナ,ベラルーシ,モルドバ,セルビア,コソボ,ボスニア,ヘルチェゴビナが申請の意図を明確にしていた。トルコも入れると近い将来EU加盟国数35カ国にも達すると見通されてきた。NATOをとくに恐れるロシアには少なくとも中立である緩衝国が必要で,本来ならばスウェーデン,フィンランド,バルト三国,ベラルーシ,ウクライナ,ジョージア,旧ユーゴの東側の国が「緩衝国」と考えられていた。ウクライナのオレンジ革命に次ぐEU連合協定が深く影響したユーロ・バイダン革命を契機に高まったロシアの警戒はいみじくもEUの東方パートナーシップ政策の行き詰まりを象徴するものであった。今は拡大を急ぐ時ではない。

 フランスの政治学者ジャン・ルイ・ブルランジュはイデオロギー的な理念と地政学的な論理との間の確執,即ち,欧州の普遍的な価値観やローマ法以来の法体系が,欧州の特別な歴史や地理的な条件を凌駕するのか,国際連合的発想の統合欧州の考えが中世のカロリング王朝を源流とする欧州統一という考え修正して世界的な普遍的な理念を掲げるのか,熟慮のときを迎えたと言う。グローリゼーションがひとつの曲がり角にさしかかってきている今はもうひとつの別の選択肢を示す必要があるような気がする。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2531.html)

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