世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
生かされない歴史的教訓:リーダーに求められる「本質」とは
(早稲田大学・文京学院大学 名誉教授)
2022.03.14
「……7月26日,日本資産凍結命令が出され,その日に実施されました。これは我々の手に負えない国際関係のもたらした結果とはいえ,1921年1月にこの支店を開設して以来,20年以上にわたって我々の先輩たちが努力を重ね発展させてきたビジネスを著しく減少しなければならないということはきわめて遺憾です。……」
これは,1941年9月5日付の三菱商事ニューヨーク支店長から,本社総務部長宛の通信文の一部を引用したものである。日米開戦にいたる前の国際ビジネス人の心情がよく表れていると思われる。
1941年12月の日米開戦とともに,三菱商事を含む日本企業の支店や現地法人は米国政府によって接収され閉鎖された。1942年3月に設置された敵産管理局によってこれらの企業は清算され,資産の大部分は売却された。
それから80年後の2022年2月24日,ロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。米国政府はロシアのウクライナ進出の確証を得ており,ウクライナや周辺のNATO諸国への支援を強化し,外交的解決も模索した。こうした動きはあまり効果をもたらすことなく,結局ロシアの軍事侵攻を許すことになってしまった。
米,英,仏,独を含む西欧諸国や日本はただちに,ロシアのウクライナ軍事侵攻に関与した特定の人物や企業に制裁を加え,その資産を凍結し,ロシアを国際的な決済組織であるSWIFTから排除した。
このような事態のなか,多国籍企業や有名ブランド企業がロシアでの活動を停止・撤退している。石油・ガス関係では,BPがロシア国営ロスネフチの持株を売却し,シェルはガスプロムとの共同事業から撤退した。サハリン1およびサハリン2プロジェクトには,日本政府のほか三井物産,三菱商事,伊藤忠商事,丸紅が参加している。日本政府は,当面はこれらの事業活動を見合わせると発表した。
金融では,ゴールドマン・サックスやJPモルガン・チェースが撤退を表明した。自動車関連では,GM,ボルボがロシアにおける活動を停止し,メルセデス・ベンツはロシア企業との資本提携の解消を考えている。日系企業も,トヨタが操業を停止することを発表した。日産,マツダ,三菱自動車も順次事業を停止すると表明している。
また,有名ブランド会社では,東西冷戦の雪解けの象徴として1990年にロシアに出店したマクドナルドがすべての店舗を閉店すると発表した。ほかにも,コカ・コーラ,スターバックス,ルイヴィトン,マリオットインターナショナル,カナダのグース,日本のユニクロなども事業停止や撤退の発表をおこなっている。事業停止や撤退した外国企業の数は,3月10日までには300社を超えた。
こうした日欧米企業のロシアにおける事業停止や同国からの撤退については,以下の複合的要因があると思われる。第1は,企業に対する出身国の国民感情がSNSなどで発信されるという「レピュテーションリスク」である。第2は,経済制裁のためにサプライチェーンが断たれ,決済が進まなくなり経営環境が厳しい状況になったことである。第3に,国際情勢の変化により企業としての対応が複雑かつ困難になってきていることである。第4には,2014年のクリミア併合後の制裁によって,ロシア経済が停滞していることである。ロシアの1人当たりGDPは2013年に1万5884ドルであったが,2020年には1万166ドルに低下している。消費の中心をなす中間層がかなり崩壊したとみられ,アジア諸国に比べて魅力的な市場ではなくなっている。
ロシア側は報復措置として,外資25%以上の会社をロシア経済発展省の管理下に置くと発表した。企業所有者に5日以内に営業を再開するか売却をするか,選択を迫るともいっている。詳細はまだ決定されていないようである。売却された場合には,ロシア人所有となる。この措置が実施されれば米国はロシアに対してさらなる制裁を課すと,報復が報復を生む状況となっている。
多国籍企業の活動領域は,政府の活動領域とは大きく異なる。グローバル化が進んだ現在,第2次大戦や冷戦時代とは比べ物にならないほどの企業が国境を越えて活動し,体制を超えて各国の経済は密接に結びついている。
ところが,世界の政治リーダーは,グローバル化が始まる以前の政治リーダーのイメージから脱却できないでいる。為政者にとっては,「国益」や「国家の安全保障」というのは,とても都合のいい言葉である。この言葉によって,自国民のナショナリズムや愛国心を掻き立てる。為政者のいう国益は多くの場合,国内での自らの地位の保全やメンツを維持するためのカモフラージュとなる。リーダーたちはきわめて内向きになっている。
あえて外国を相手に対立構造を作りだして,国内の支持を得ようとする手法は,体制を超えて中国,ロシア,東欧,中東の国々のみならず,米国や欧州諸国,日本や韓国にも波及しつつある。対立は問題の解決にはつながらないことは,歴史の教えるところである。各国のリーダーは,政治や外交において,利害対立や直面する問題を解決するための「調整」や,良い意味での「妥協」を行い,いかなる戦火をも避けなければならない。
- 筆 者 :川邉信雄
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際政治
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