世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2458
世界経済評論IMPACT No.2458

仮定に対してエビデンスを求める矛盾

鶴岡秀志

(信州大学先鋭材料研究所 特任教授 )

2022.03.14

 ロシアのウクライナへの侵略でネットを介して歴史的な動乱を見ている。過去の歴史は動乱の時代には科学技術が飛躍的に発達することを示しているのだがどうなることやら。他方で,我国の安全保障を議論することについて,この期に及んでタブーを唱える,議論を封殺する動きがあることは残念である。

 カタカナ英語が次から次へと飛び交う時代,改めてワンフレーズ流行語へ苦言である。言霊信仰と言わないまでも言葉狩りが好きなメディアに気を使い,間違った使い方の流行り言葉に陥りがちな現状が科学技術の進歩に影響を与えることが憂慮される。江戸末期以来,先人の努力により日本語を正しく使えば科学技術の概念はほぼ的確に伝わるが,はやりの横文字を乱発すると議論が噛み合わず進歩が停滞する。若い研究者だけではなく中堅も英語由来流行語を平気で使うので妙な形に語義がねじ曲げられ,討論後に双方違った理解で終わるという珍妙なことが発生する。ともすると蒟蒻問答で先端技術を討論していたりする。言論の正確さを追求していた故西部邁氏ならば,この様な学術における言葉の乱用に対して鋭い指摘をされただろう。

 おかしな使い方の代表例は「エビデンス」である。Evidenceの和訳は証拠,証言である。ところが「○○というエビデンスから言えることは…」という使われ方になっている。言い換えれば「○○という証拠(または証言)から言えることは…」となるのだが,○○は事実や結果を指す場合がほとんどなので意味をなさなくなってしまう。読者の方々でも上司や客先から「エビデンスを持ってこい」と言われたことが一度や二度あると思う。ロシアのウクライナへの侵攻でも「証拠」を積み重ねて「事実」を解明するという手順をThe Times, BBC,CNNなどが実行している。我国の「情報番組」とはレベルに大きな差がある。

 似たような流行語として「ファクト・ベース」がある。たいてい「事実にもとづけば」という意味で使っていると思うが,a matter of fact というイデオムが示すように本義は「なされたコト(犯行という意味もある)」なのでResultやOutcomeとの混同で使う日本語化は問題だと感じる。エビデンスやファクト・ベースという言葉を発したら勝ちみたいな風潮は戦後の西洋かぶれの「フランスでは」や左翼活動家の「総括」に通じるので好きになれない。

 理工系の学生が大学で基本として教えられる決まり事は,仮定,実験,考察,結論という順序建であり仮定が最重要である。故西部氏も時々「仮定がおかしいから」と仮定の重要性を指摘していた。研究開発では仮定を組み立てられればそのテーマの半分以上に到達したことになる。既往研究の調査から取り掛かり,自らのスタート地点を決めるために推定と予想を行う。この際,前例に立脚する必要はなく,既往研究の欠点,積み残した点,あるいは否定も含めて論旨の方針を定める。前例が無いことに挑戦するので具体的な実験,思考実験のどちらも仮定によって立てた筋道を一歩一歩確認していくことが重要であり,時としてDemonstrationとProofで結論が得られるまでに数十年かかることがある。その代表例と言えるのが数学のフェルマーの最終定理(300年以上)であり素粒子物理学の「ヒッグス粒子」(47年後に解決)である。

 有名なニュートンの万有引力発見も仮定から結論まで同様の道筋を辿る。巷では「リンゴの落下から引力を発見した。」と語られるが,実際は高校の教科書に正しく紹介されているようにリンゴは関係ない。ニュートンはケプラーが示した「惑星の軌道は楕円である。惑星運動により一定時間に描かれた(パイの一切れの様な)軌跡の作る面積は一定である」という観測結果から何故そうなるのかという仮定を考え,思考実験と振り子の実験から仮定が正しいことを証明した。詳細はかなり込み入っているので省略。結論としてニュートン力学の基礎となる微分方程式を導き出した。

当時の「前例」は「惑星は空の一定の通り道を通っている」という天道説であった。もし,ニュートンの「上司」が万有引力の仮定について「エビデンスは?」と問い質しても前例を否定しているのでエビデンスは存在せず説明できなかっただろう。実際に,当時の宗教指導者は,ニュートンの仮説は地動説を示すので邪悪であると取り合わなかった。すなわち,流行りの「エビデンスを要求する」ということは学問や新しい技術・市場創出を推進することに対して障害につながる。

 エビデンスという言葉を発している人は,仮定のなかに存在する推定や予想に基づく論理建てを理解できない想像力不足,あるいは中世の宗教指導者と同様な凝り固まった発想でしか物事を観察できない。「エビデンスをもとに計画を立ててイノベーションを起こす」という流行りの横文字を並べて部下へ命令することを厭わない役人や幹部は廻りが途方に暮れることに気がつかない。ビジネス計画でも新規であるということは前例が無い,すなわち定量的なデータが存在しない。逆説的に前例があったらイノベーションになり得ないことがEvidentlyにProvenされるのである。

 BtoCビジネスでは消費者に「刺さる」言葉を絶えず生み出す。かつての西武・パルコの「おいしい生活」などの社会で広がった広告コピーは日本語を使った洒脱な表現であったのだがいつの間にか横文字だらけになってしまった。筆者の偏見かもしれないが,タレントやコメンテーターが十分咀嚼できない事象をテキトーな横文字で取り繕い,周りも面白がってその表現を使うということが原因ではなかろうか。あるいは経済指標解説で「調整」という言葉で下降局面をはぐらかす習慣も一種の詐欺行為である。大宅壮一が生み出したことば,「一億総白痴化」がはびこってしまっている。そして,メディアに出てくる識者自身が自分で何を言っているのか判らない状態になり,一般大衆も言葉の意味がわからず,結果的に社会が前進しなくなっている。科学といえども言葉によって支配されていることを肝に銘じなければならない。

 我国の技術が他国に比べて遅れをとっているという記事は暇なく発信される。しかし,発信力を有しているマスコミ自体が「一億総痴呆化」の震源となって我国を蝕んでいる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2458.html)

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