世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
動的平衡と移民のアナロジー
(南山大学国際教養学部 教授)
2022.02.28
“内部の内部は外部である”。福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』(2007年,講談社現代新書)の中に出てくるこの表現がずっと心に残っている。この表現は,膵臓の細胞がタンパク質を作りだし,それを細胞外に送り出すメカニズム(動的な交通)を細胞生物学者パラーディがつきとめた場面で使われた。「パラーディはこの移動がもたらすトポロジーの変位をたちどころに見抜いた。 内部の内部は外部である」(p.197)。膵臓の細胞は,薄い皮膜の一部を陥入させて細胞の内部に小さな部屋を作り,細胞内部で合成されたタンパク質はその小部屋に膜を通過して入る。この小部屋は細胞内を移動して今度は膵臓の被膜と融合し,一部を外界に開いて,小部屋のタンパク質を外側に出す(p.200)。わざわざ小部屋を作らなくても,細胞膜を開いてタンパク質を直接外部に放出すればよいように思うが,そうすると細胞の外の環境が細胞内になだれ込んでしまう危険が伴う。だから,細胞内に小部屋を作って(内部の内部=外部),その膜を開閉させて外部とつながれば,危険を回避できる。福岡が,このバラーディの研究を引き継いだことが著書の後半に語られ,動的平衡という生命の概念へとつながっている。
ここで筆者に生命のことや動的平衡を論じる力はないけれども,“変わることで変わらない”という概念をとても面白く感じた。経済学や社会学,教育学などの分野でもこの知見を応用した記述がなされていることも知った。また,移民に関しても,移民コミュニティを出稼ぎや行商目的の外国人が通過しつつ,コミュニティ全体として一定の恒常性を保っている様子を動的平衡になぞらえた研究もあると知って,やはり,と思った(注1)。
内部の内部が外部-とても単純なアナロジーなのだが,例えば,ニューヨークのクイーンズ地区にはバングラデシュ,韓国,インドやフィリピン出身の移民が,ブルックリン地区にはパキスタン出身の移民が多く住む。(日本人もニューヨーク市にいる日本人のうち半数がマンハッタンに住む。)それぞれの地区や街の様子にはそれぞれのエスニシティが反映されている。マンハッタンからクイーンズ地区に地下鉄で移動するだけでも,途中から自分がどこにいるのか分からなくなる。同じ国の出身者が集住するのはある意味自然のことで,ネットワークを通じて蓄積された情報はそれぞれの出身国者同士を結び付ける。都市の単位だけでなく,アメリカの国単位でみても,都市ごとに特定の国の出身者が多く住むことも観察される。日本にも外国人の集住都市があるし,地域の産業構造から同じ国の出身者が同じ街に住むことも多い。1980年代に日本が外国人労働者に対して国を開くか否か,という議論があったが,国境を自由に開放している国はない。それぞれの国は移民政策(日本で言えば出入国管理及び難民認定法)によって入国する人を選択している。これもまた単純なアナロジーだが,先の膵臓細胞の被膜の働きが,細胞外の環境が細胞内になだれ込むリスクを減らすためのものであるならば,国境管理もその被膜に近い存在なのかもしれない。
経済学の動学分析は,過去の出来事だけでなく,将来を予想しながら意思決定をする人間を対象としている。観察する対象が将来への期待に基づいて行動する,という点で,自然科学とは違うかもしれないが,福岡伸一『新版動的平衡2』(2018年,小学館新書)には,「秩序は,それが守られるためにはまず壊されなければならない。つまり,分解がほんの少しだけ「先回り」するがゆえに,その不安定さを利用して,次の瞬間,合成が盛り返し…秩序を作り出している」(p.273),と,動的平衡の「先回り」を記述している。これは,福岡が西田哲学における時間と空間に関する記述を動的平衡に重ね合わせる試みを回想する中で述べられたものだ。自然にも「先回り」する知恵があるのは,人間が期待を持ち,その期待を現在に反映させて行動することに似ているように思う。
COVID-19によって人々の動きが制限され,日本は第6波の中で来日するはずだった留学生など海外からの人々の動きを止めた。この変化は,新たな秩序を生み出すことになるだろうか。流動性が生まれない,現状維持すら難しい停滞した社会になってしまうのではないかと心配している。
[注]
- (1)栗田和明編(2016)『流動する移民社会 環太平洋を巡る人びと』,昭和堂
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