世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2378
世界経済評論IMPACT No.2378

EUの地政学:ユーラシアにおけるEU,中国,ハンガリー

児玉昌己

(久留米大学法学部 教授・日本EU学会 名誉会員)

2021.12.27

 世は地政学ブームである。インターネットで検索すると多くの文献が出てくる。

 地政学は日本では戦後長くタブー視されてきた。いわゆる「大東亜戦争」で国土が焦土なり,新生日本国には地政学はそぐわないというのが,一般的な理由だった。確かに地政学はドイツでは1933年に権力を掌握したナチス公認のイデオロギーでもあった。ユダヤ人抹殺の根拠ともなる暗い過去を持っていたのが,地政学である。ただし,それは地政学の一面である。

 地政学は地理(geology)と政治(politics)の合成語である。一般的な定義をいえば,政治的現象とそれが生じた地理的条件との関係を考察する学問である。すなわち,海洋国家か内陸国家か,資源・エネルギーの有無など,ある国家の地理的条件が当該国家の政治目標の達成に作用するということは,極めて常識的な考えであった。

 ユーラシアにおいてEUの地政学となると,いかなることが言えるであろうか。

 地政学といえば,イギリスのハルフォード・マッキンダ―卿が有名である。現在の東欧など広範な地域を指すハートランドを制する者はユーラシアを制すと語り,ユーラシアでの巨大パワーの成立を防ぐという観点から,イギリスの国家戦略を考えた。

 他方ハートランドの当事者であるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(RCK)伯も別の立場から欧州の平和を観ていた。RCKは,自身の国家であるオーストリア・ハンガリー帝国が消滅することで,没落貴族となり,国家喪失者となった。この点で,帝国主義列強の雄にして,大英帝国のエスタブリッシュメントの一員であったマッキンダーとは大変な違いであった。

 RCKは,欧州の多くの中小国の側から,欧州の安定とヨーロッパの平和と復権がどうすれば可能となるのかを構想した。すなわち,ドイツ帝国は消滅したが,未だロシア革命での内戦が完全に決着しないなか,欧州の2大強国であるドイツと,フランスが一体化する必要を説いた。そしてその大戦後の平和構想を『パン・ヨーロッパ』として書いた。1923年のことで,RCKがまだ20代のことであった。

 マッキンダ―もRCKも地政学的観点から,地球をいくつかの地域に分けて考えた。RCKの場合,パン・ヨーロッパ,パン・アメリカ,ロシア,大英帝国,極東アジアと5つの地域に分け,それぞれの自律性が世界の平和の核と考えていた。まさしくEU誕生自体が地政学的状況の反映であった。

 時代は下って21世紀。19世紀後半の地政学状況と現代を比較してみると,欧州統合とEUの成功と,ロシアの後退,そして中国の強大化の3点が指摘できる。EUは民主主義勢力として確固たる地位を欧州大陸と世界に示している。2020年にイギリスが離脱したとはいえ,EU加盟国は27カ国に発展したのである。

 他方,ロシア核大国とはいえ,21世紀に急速に強大化した中国との対照をなしている。ソビエト連邦は15の共和国に分解し,人口1億を失い,現在,ロシア連邦はGDPの世界ランキングで10位の韓国以下の11位でしかない。そしてそのロシアにとって代わるように強大化した中国の進出が著しい。「一帯一路」戦略の展開がそれである。東欧諸国の一部も中国のこの世界戦略に絡めとられている。この状況下にあって,ハンガリーと中国の相互接近の動きが興味深い。

 中国製ワクチン,シノファームの使用を真っ先に打ち出したのは,ハンガリーであった。ハンガリーはセルビアとの高速鉄道敷設も中国の力を借りて進めている。孔子学院も5校ある。この機関は欧米では諜報機関だとされ,2005年最初に導入したスウェーデンはこれを全廃した。他方,ハンガリーではそれに加え,復旦大学の欧州キャンパスも整備されつつある。

 21世紀のユーラシアとEUの地政学的状況についていえば,ハンガリーはEUの更なる統合深化の阻止を目的としてチャイナ・カードを行使している。また中国もEU切り崩しの戦略国家としてハンガリー・カードを活用している。この点,両者の利害は一致している。

 ハンガリーにも理由がある。EUを通して進められているのが欧州統合であるが,それは本来的に欧州連邦の形成を意識させるもので,加盟国の国家主権の統合組織への大規模な移譲を求める。それがゆえに,ハンガリーやポーランドなど旧ソ連圏のEU加盟国にとっては不満が大きい。ソ連からようやく回復した主権が再度EUに奪われるという不満である。

 実際,ハンガリーとEUの対立は,オルバン首相が実践する司法「改革」や,少数派の人権や言論の抑圧など多数ある。欧州議会はEU条約第7条に基づき,史上初となるハンガリー制裁を採択した。ただ,全会一致により,議決権の停止までは至っていない。

 他方,中国もウイグル族の人権の大規模蹂躙や香港の民主化勢力の弾圧や台湾への高圧的対応を続けている。それ故緊迫化するEU中国関係で,ハンガリーのチャイナ・カードと中国のハンガリー・カードは双方に欠かせないものとなっている。

 中国は,親台湾政策へと対中政策を一大転換したリトアニアにたいして,同国の輸出を税関で止め圧力をかけた。欧州委員会はこれをEUと加盟国に挑戦する「経済的威圧」(economic coercion)と認識し,更にこれに対抗すべく2021年12月8日,「反経済威圧規則」案を欧州議会と理事会に提出した。

 このEU法案で注目すべきは,全会一致方式が採用されていないことである。ハンガリーなど親中の国家によって,効果的な対中政策が阻害されないような仕組みを導入している。EUでは国家主権の排他性が条約改正ごとに制限されてきた。イギリスがEUを離脱したのは,主権譲渡の故であった。実際,そのキャッチフレーズは,「支配権(主権)を取り戻せ」であった。

 反威圧法案に戻れば,「指令」(directive)とは違い,加盟国の個別の立法を必要としない上述の「欧州議会/理事会規則」(regulation)の制定に向けた動きは,「地政学的欧州委員会」(フォン・デア・ライエン)と自ら語るEUの積極的姿勢の表れといえる。これはロシアやベラルーシ,中国といった異質の国家群という外部圧力に加え,EU内部の「抵抗勢力」としての英のEU離脱により可能となっているともいえる。

 結論を言えば,ユーラシアにあってEUは強大化した中国という地政学上の緊迫化を通して,むしろ統合の深化を進めている。わが国ではユーロ危機,難民危機,2016年の英のEU離脱の国民投票を受けて,「統合の終焉」,「EU解体」,「ユーロ消滅」といった近視眼的な論評が広範になされた。EUはこれらを一蹴するように,強化と統合の深化を加速している。

 「危機は統合を進める」という西独首相ブラントの至言は,着実に実践されているということである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2378.html)

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