世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2252
世界経済評論IMPACT No.2252

21世紀の点と線

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2021.08.16

 科学研究・技術開発は決して社会の動きとかけ離れているわけではない。1954年公開の「ゴジラ」では,古生物学の山根博士と(恐らく)化学者の芹沢博士が登場,両者とも社会と隔絶しているイメージで描かれている。これは終戦後のGHQ指導の下で公職追放,日本科学者会議の設立等が作り出した幻影である。相対性理論でさえナビゲーションのために必要であることを踏まえれば社会と切り離せる科学技術など無い。

 大まかだが両世紀を跨いだ社会と科学の関係を見ると確実に変化していることに気づく。身近では,20世紀は動物の生態研究ルポや世界の名所紹介TV番組が多かった。これらは定点観測レポートである。名所観光番組に惹かれて実際に訪問したら距離感が全く違っていたという経験をお持ちの方も多いと思う。すぐ隣と思っていた人が多かった移動距離270kmのグランドキャニオンとモニュメントバレーなどその典型だろう。21世紀になると「世界の鉄道(フジテレビ)」や「世界で発見!こんなところに日本人(朝日放送)」のようにルートをたどる番組が増加した。また,「ブラタモリ(NHK)」のように地球物理学や地学的な,かなり専門的なつながりを紹介する番組が人気を博している。つまり点から線へと視聴者の興味が変化した。

 人々の意識が点から面,空間を含む線に変化したにもかかわらず,マスコミは相変わらず点を全体として報道するという旧態依然状態である。COIVID-19の大災厄でこの姿勢があぶりだされ,NHK報道は定量的検証もなく街頭インタビューと専門家の話で構成されていて,立花隆的な線で繋いでいく検証ジャーナリズムから程遠くなっている。「点」に拘ることを「掘り下げ」と勘違いしている。夕方から夜の地デジ・BS民放報道番組の方がよっぽどニュース番組である。東日本大震災の福島原発事故後の風評被害も風評被害を防がなければいけないと言いながら結果的に風評被害の助長に加担しているとジャーナリストの井上千穂氏が日本原子力学会誌で指摘している。

 Webの発達で影響力が下がったといえども,マスコミの影響力は甚大で社会の風向きを作り出し,その言説が科学技術政策にも少なからず影響している。この場合のキーワードは「公平性」である。公的な研究開発助成は次第にフォローアップがなくなってきている。もちろん,JSTとNEDOはその問題に気がついていてフォローアップ助成というものを設けているのだが研究開発のゾンビ化を招くような状況である。競争的研究資金政策は一見公平性が担保されているように見えるが,助成金申請WEBを見れば判るように,年々応募項目が細分化されているので実質的に研究の自由度が下がっている。各学会の年会や研究分科会の細分化とも連動していて,そのグループに所属しないと発表できない,助成金申請も通らない,結局グループのボスが支配することになり自由な意見が言いづらくなってしまっている。研究開発の項目分類が微細化しているので申請項目に文理融合のような横断的項目があっても形而上学的研究内容になってしまう。化学材料の世界で考えると,合成方法,精製分離,加工応用,安全性研究,市場化・資金調達方法といった科学・工学・経営という「線」としてのつながりを形成できない。ところが時系列的,歴史的に繋がっている科学技術というのは材料分野と装置産業に多い。突然EVに切り替えるというドイツのやり方も時間のかかる電池技術をコピペするだけでは失敗するだろう。

 米国もアカデミックの世界は似たようなものであるが,安全保障分野が基礎技術から実戦配備・現場での問題解決まで統合するシステムなので「点」だけを追い求めるゾンビ化を防ぐ形になっている。また,MITやハーバードといった有名所以外で,ニューヨーク州University At Albanyはナノをキーワードとして社会学的な研究まで包含して1つの学部として新設している。これまでも,古くはUniversity of ArizonaにOptical Scienceという部門があり,天文研究,衛星写真(画像解析),コンピューターサイエンス,戦略等の内容を大学,空軍,企業が1つの集合体として活動していた。日本の企業や大学も関わっていて,大型天体望遠鏡のレンズは大学のキャンパスにあるアリーナのような「研究所」で日米の技術者によって製造された。このように,軍事はだめ,アカデミアは崇高であるというような垣根をなくすことによりイノベーションは進むのである。米国の大学は公立私立を問わず外部の人を入れた評議会の審査があるので地域や社会の理解無しでは学部や研究施設の編成・予算ともに承認されない。すなわち,大学が社会に発信する努力をすると同時に,特にローカルのマスコミが正しく大学の活動を報道する努力をしているのである。そして数々の有名天体観測所に巨大なレンズを製造納入していることを地域の人々が誇りにしている。

 筆者のような一研究者の声はなかなか届かないと思うが,我国の未来のために研究開発体制の改善案を提案したい。第一に研究助成金申請と学会分科会の細分化を解消することを行わなければならない。これは現在の潮流に逆行し,ボスとされる既得権益者の利益と相反するので容易ではない。文科省や社会が唱える若手研究者の登用も,助成金の申請テーマが極端に細別化されていて研究者の視線がタコツボ化しているだけではなく,具体的な将来ステップが示されていないので研究者になろうという意欲が湧かない。戦前から80年代までの旧弊とされた「教室制」は,学位取得後に地方の大学(戦前は専門学校)や企業に就職して各自の研鑽,目標発見,社会の仕組みを身につけることを行い,各「教室」の教授の目に叶う努力を行っていた。この「叶う努力」部分が「恣意的である」として公募採用に切り替えたが,実質的に同じ大学学部の部下を拾い上げる形になり,トップクラス大学以外はかえって大学ごとの縦割りになり内向きになってしまった。明らかに政策失敗に終わっているので80年代以前に戻して地方大学や企業で経験を積み活躍しそうな人材を主要大学に吸い上げ,低偏差値校を米国のローカルカレッジのような扱いにすべきである。いくら地方大学といえども,地元食材活用ラーメンの共同開発など論外である。

 政策・作戦は失敗を繰り返さないための研究から始まる。「点」の主張から何も発展しない,ワクチンを貶めた人物が社会活動家・言論人としてもてはやされ恐怖を煽るマスコミ誘導の社会は日本経済にとって何も利益をもたらさない。点を線にするために破壊を行い革新的な未来を生み出す覚悟が求められる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2252.html)

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