世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2241
世界経済評論IMPACT No.2241

ベトナムのTPP参加経緯と中国加盟に関する一考察

池部 亮

(専修大学商学部 教授)

2021.08.02

 なぜベトナムは2007年の世界貿易機関(WTO)加盟以降も環太平洋パートナーシップ(TPP)や欧州ベトナム自由貿易協定(EVFTA)にかくも積極的なのであろうか。2007年のベトナムの一人当たりGDPは1152ドルと低所得国であり,工業やサービス産業も脆弱で,自由貿易によって自国市場を開放すると外資系企業に席巻されてしまう恐れもあったはずである。それなのにWTO加盟後も,市場開放を実行し,次なるTPPとEVFTAへと邁進してきたのである。

 ベトナムが自由化レベルの高いFTAに参加する動機は,第1に対内外国直接投資と輸出拡大をはかること,第2に外圧による国内の立ち遅れた経済法整備を推進すること,第3に外交的,政治的要因の存在があげられよう。特に,第3の点については,幅広い国々と経済統合を進め,外交チャンネルを多元化することで非伝統的な安全保障を強化することができる。さらに,ベトナムに限らず,他国も同様だが,特定の大国への経済的依存を強めたくないという事情もある。軍事力や安保同盟といった伝統的な安全保障ではなく,自由貿易や外資系企業の生産立地,環境や労働といった非伝統的な安全保障は今後ますます重要性を増すと考えられる。しかし,ベトナムにとって対中貿易赤字の規模は看過できない大きさに膨らんでいるし,輸出では米国市場への過度な依存を少しでも緩和しておきたい。それゆえ,対外経済関係を多国間のFTAへの参加を通じて多重化することはベトナムにとって必要な処世術でもある。

TPP加盟の経緯

 ベトナムは社会主義市場経済国であり,国有企業への補助金の問題やサービス市場の開放など,共産党一党独裁ならではの課題も多い。また,「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)」(1)の加盟11カ国の中でもベトナムは唯一の低所得国である。他の加盟国を見ると高所得国に分類される国々である。政治体制だけでなく経済水準でもベトナムは異質な存在なのである。

 米国がTPPの前身となるP4協定に参加を表明したのはブッシュ政権末期の2008年9月のことである。その3カ月後,米国通商代表部(USTR)はオーストラリア,ペルー,ベトナムがTPP交渉に参加する予定であると発表した。つまり,ベトナムはかなり早い段階でTPPへの参加を決意(2)していたことになるし,経済的な影響分析などはせず政治的な決断であったと考えられよう。

 一方でベトナムはTPP交渉への参加について,「米国に招待された」としている。米国が交渉初期段階からベトナムに対し参加を促した理由については明らかではない。将来,中国が経済自由化ルールに従うことを促すために同じ政治経済体制のベトナムを原加盟国として入れておこうという米国の意図があったと筆者は考えていたのだが,そうとは言えないようである。2008年当時,TPPの構想には中国を自由貿易で包囲するといったことは意識されていなかったというのである。確かに中国を自由貿易によって包囲するというTPPの性格が前面に出ていたのであれば,ベトナムは米国から招待されたとしても,軽々にTPPへの参加を表明できなかったであろう。

 ベトナム側のTPP交渉団長を務めた工商省次官はベトナムが米国に招待された理由について,①TPPを将来拡大していく上で発展途上国であるベトナムが参加していることがプラスとなること,②ベトナムがWTOなどの約束事項を厳格に履行してきた実績が評価されたこと,③人口規模が大きく,高成長を続けるベトナムの市場性が期待されたこと,をあげている(3)。

米中対立下での展望

 ベトナムにとってCPTPPとEVFTAの発効は,少なくとも外資系企業の誘致と輸出を拡大するという点で大いに効果を発揮している。そこへ米中対立が先鋭化し,中国からの貿易転換効果も加わり,経済的なプラスの効果はさらに勢いを増している。

 米国が仕掛けたTPPから米国自体が離脱し,その枠組みに中国が参加検討を表明する事態となったのは皮肉である。そして英国が正式にCPTPP加盟申請をして,加盟国の拡大が期待される。筆者は複数国のFTAの枠組みは,大国不在の方が上手くいくと考えている。大国は巨大な市場を武器に枠組み内のルールを自国優先のルールに変更したり,相手国に無理な市場開放を迫るといったことがしばしば起こってきたからである。この点,CPTPPはこのまま米国も復帰せず,中国もロシアもインドも加盟しない方が自由貿易の枠組みとして高い完成度を維持できるのではないかと筆者は考えている。

 中国が本気でCPTPPへの加盟を考えているのかは分からないし,原加盟国がどのように判断するのかも分からない。中国と同じ社会主義市場経済化国という特殊な政治経済体制であるベトナムは,国内経済構造においても中国とほぼ同様の問題を抱えている。一点言えることがあるとしたら,このベトナムがCPTPP原加盟国であることは,中国加盟を拒もうとする国や陣営に筋の通った反対理由を掲げるのを難しくさせるのかもしれない。

[注]
  • (1)CPTTPは米国離脱後の11カ国による現協定のこと。
  • (2)USTR, “2009 Trade Policy Agenda and 2008 Annual Report”, 2021年5月14日参照。
  • (3)『Dien Dan Doanh Nghiep(ビジネスフォーラム)』2016年1月29日。https://enternews.vn/vi-sao-viet-nam-duoc-moi-tham-gia-tpp-94049.html, 2021年5月14日参照。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2241.html)

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