世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2164
世界経済評論IMPACT No.2164

オリンピック:北京を控え,モスクワから学ぶ

榎本裕洋

(丸紅経済研究所 経済調査チーム長 チーフエコノミスト)

2021.05.24

 オリンピック・パラリンピックに関する議論が目立つ。特に来年の北京大会については,一部メディアを通じて人権問題を理由とするボイコットを巡る議論も出てきた。そこで五輪ボイコットと言えば多くの人々が思い浮かべるであろう1980年のモスクワ五輪について書きたい。1979年12月の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻を受け,参加88カ国に対し不参加66カ国というボイコットラッシュとなったあの大会だ。

 ここで質問。いわゆる西側先進国(ここではOECD加盟国と定義する)のうち,モスクワ五輪を完全にボイコットしたのは果たして何カ国だったかご存知だろうか。正解はカナダ・西ドイツ(当時)・日本・ノルウェイ・トルコ・米国の6カ国。「意外と少ないな」と思われた方が多いのではないだろうか。1980年当時のOECD加盟国は24カ国だったので,上記6カ国を除く18カ国は「競技だけ」など部分的には出場していたのだ。1980年7月19日のモスクワ五輪開会式の模様を翌20日の読売新聞朝刊は「『国旗抜き18カ国,寂しい行進』西ヨーロッパの国を中心に18カ国が,選手団をパレードさせなかったり,国旗に代えて五輪旗を掲げて行進したり,プラカードに正式の国名でなく,その国の希望によって国内オリンピック委員会(NOC)の略号を書いたり,まちまちな形で参加」と報じている。

 実はモスクワ五輪でボイコットした国の数を66カ国にまで押し上げたのは,西側先進国よりも,旧ソ連によるアフガニスタン侵攻に憤慨したイスラム諸国,それから元来旧ソ連と関係の悪かった国々だ。実際,モスクワ五輪ボイコットを最初に決めたのはサウジアラビアで(1980年1月6日決定),翌1月7日には中国(当時の中ソ関係は非常に悪かった)もボイコットを決めているが,これらはモスクワ五輪ボイコットラッシュの本質を端的に表している。

 ここで気になるのは,同じ西側先進国の中で何が参加・不参加を分けたかということだ。単純にいうと参加・不参加を分けたのは,1)当該国の対米依存度,2)当該国スポーツ界の政府依存度,の2点だ。1)について説明の必要はないだろう。2)は英・仏のケースがわかりやすい。英・仏の場合,政府はボイコットの方針だったが,オリンピック委員会が政府の方針に反して個人資格での参加を認めたことでモスクワ五輪参加への道が開けた。因みにこの時の英国選手団の1人がモスクワ五輪1,500m走で金メダルを獲得し,現在国際陸上競技連盟会長を務めるセバスチャン・コー氏だ。一方ボイコットを主導した米国でも,政府の方針に反して米国オリンピック委員会はモスクワ五輪参加の道を模索したものの,2)をクリアーできず1980年4月13日に不参加を決定した。同様に日本オリンピック委員会も1980年5月24日に多数決を経てモスクワ五輪不参加を決定している。この辛い経験を経て,日本スポーツ界は財政的に独立するべくスポーツのビジネス化を進めて行くことになった。

 最後になぜ「モスクワ五輪に西側先進国の過半が参加したこと」が日本人に知られていないのかを考えよう。1980年当時の新聞のテレビ欄を見てふと思った。「実は日本人の多くはモスクワ五輪のテレビ中継を見ていないのでは」と。例えば1980年7月20日の読売新聞朝刊のテレビ欄を見ると,某テレビ局が深夜11:50からモスクワ五輪体操・水泳を衛星中継している。しかしモスクワ・東京の時差が6時間(当時のソ連は夏時間未導入)ということを考慮すると,放送開始時間が遅すぎないだろうか。当時の雑誌はこう伝えている。この某テレビ局は当時としては異例の1社独占でモスクワ五輪放映権を約20億円で購入した。しかし日本が不参加を決めたことで当初想定したような高視聴率が期待できなくなり,同時に広告料収入も期待できなくなったことから,放映時間を大幅に短縮し,深夜枠に収めたようだ。深夜枠,かつ日本人選手は登場せず,となると殆どの日本人はモスクワ五輪を見なかったに違いない。

 あれから約40年が経過した。その間,スポーツ界はどれだけ独立性を高めたのか。「強風に勁草を知る」べく北京オリンピック・パラリンピックの行方を見守りたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2164.html)

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