世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
市場創造は購買決定要因を洗い出せ:長期存続企業の智恵に学ぶ
(日本大学 教授)
2021.03.08
今日のような競争・市場環境がダイナミックに変化する時代には,先発企業の競争優位性がますます高まっているとも言われている。先発で市場参入し,その分野でブランドを構築すれば,製品名が業界を代表するような知名度を確立することができる。後発で参入し,それなりに成功しても顧客の記憶にはなかなか残らないのも事実である。リスクを取っても新しい分野に参入し,成功を収めるメリットは大きい。まさにリスクテーキング,プロアクティブ,イノベーティブという企業家精神の特性を発揮することが,環境変化が大きな時代には重要になってきている。
確かに先発で市場に参入することは,多くのメリットをもたらす。例えば,市場に早く参入することで,稀少資源を先取りすることが可能となる。メガネが曇らないマスクを開発した白元(現白元アース)の戦略は,日本で数社しかない原材料メーカーをいち早く押さえることで,他のメーカーが模倣することを困難にした。しかし,かならずしも先発企業がいつでも競争優位性を構築できるわけではない。今日のようなデジタル化時代には,技術進歩が速いため,先発企業といえども競争優位性を維持することは難しい。既存の研究においても,先発優位性は企業の成功や競争優位を築くことを可能にする,数ある要因のうちの1つに過ぎないということも指摘されている。
それでは,後発で市場に参入する場合,どのような利点がもたらされるのか。既存の研究では,需要の不確実性を見極められることや,研究開発費やプロモーションコストを押さえられるなどの利点があると言われている。ここでは後発参入の具体的な事例から新たなメリットを考えてみる。事例としては,伝統と革新を重んじる老舗企業の後発戦略をみることにしよう。老舗に着目するのは,後発というハンディを,何百年も続く老舗の智恵でどのように乗り越えていくのか,ということに関心があるからである。とくに新規参入が難しいとされる異業種分野への後発参入についてみてみることにしよう。
京都にある㈱イシダは,創業が1893年の老舗ハカリメーカーである。売上げの主力は食品分野であり,現在はハカリだけではなく,川下の包装分野に進出してハカリのシステム化へと動きを加速化している。とはいえ,食品事業分野での売上げが圧倒的に多いことから,他分野での新規事業を模索していた。そこで,目をつけたのが医療分野であった。イシダは小売分野で導入されている電子値札の技術(電子ペーパーを制御する技術と省電力通信)を蓄積しており,その技術を医療分野へと応用できると考えたからである。
しかし,この分野への進出に対して社内の反応は芳しくなかった。というのは,技術的にはシナジーが効いたとしても,外来患者案内システムは将来的にスマホに取って代わられる可能性が高いのではないか,という懸念が社内にはあったからである。実際,案内用紙を院内に張り出して,スマホで院内の呼び出しが確認できるというプロモーションを実施している病院もあった。
イシダは競合他社と異なり,技術の進化がスマートフォンという一つの製品に絞り込まれるという単純な因果関係を想定せず,むしろその技術進化が市場の隙間を生み出すという複眼的な視点で技術進化を捉えた。事実,技術の進化は顧客層を狭めることも多い。例えば,ラジコンへリ業界で著名なヒロボー(株)は,ラジコンヘリでの製品機能の高度化競争が,顧客をセミプロ化させ,周辺にいる顧客を遠ざけていたことを認識し,一般の人でも取り扱いやすい機能と価格を設定することで顧客層を広げ,一時期,世界のトップシェアを取っている。
スマホへの進化は,病院の主要顧客層でもある高齢者のニーズを取り込めてはいなかった。他の病院を調査すると案内のマニュアルが長く,とても高齢者が一人でマニュアルをスマホに取り込むことは難しかった。イシダは,「患者が見やすくて,わかりやすいこと」という第一の購買決定要因を見いだすことになる。次にイシダは,もう一人の顧客に目を向けることになる。病院のスタッフである。病院は慢性的に人員不足に悩まされている。この課題を解決するためには,新しい装置を入れても病院スタッフの手を煩わせないことが必要であった。そこでイシダは,「スタッフが製品を取り扱う上で楽である」ということが,第二の購買決定要因であると認識する。
また,かつては医療機器に対する影響の懸念から,病院ではあらゆる無線が制限され,限られた医療用PHSしか使用が認められてこなかった。しかし,近年では無線LAN(WiFi)の利用が認められ,電子カルテシステムの普及とあいまって,WiFiアクセスポイントが院内の通信インフラとして整備されつつある。イシダはここに着眼し,案内受信機の端末をWiFi対応して乗り入れできれば,ユーザーにとって都合がよいと考え,これが第三の購買決定要因になると仮説を立てた。
これら三つの購買決定要因を,製品開発レベルに落とし込んだイシダは,後発でこの分野に入りながらも,2年間という短期間に主要な大手病院への参入に成功している。イシダは現在,新たな成長分野として医療機器への本格的な参入を意図している。その第一弾が,全身麻酔の手術患者の尿や血尿の度合いを自動計測する国内初の装置の開発である。この装置は,2021年を目途に,日本と米国で販売が予定されている。現在,イシダはイシダメディカルという新会社を設立して,米国の市場開拓に挑もうとしている。外来患者案内システムでの成功は,医療機器分野でのイシダのグローバル事業展開をさらに加速化させているのである。
イシダの事例は後発で参入する場合の購買決定要因の重要性を教えてくれる。しかし,購買決定要因は時間の経過とともに変化する。この変化に先発メーカーは気がつかないことが多い。というのも,物を見るというのは知覚と解釈の相互作用であるため,見るものはしばしば「見たいもの」に左右される。個人も組織も目の前のタスクに集中するあまり,購買決定要因の変化を見逃すことが多い。
イシダの事例から学ぶべきことは,顧客の異なったコンテクストを視野に入れながら購買決定要因を探し,一つの製品開発のストーリーに仕上げることである。そのためには,微弱な市場環境の変化はもちろんのこと,ターゲット顧客以外の顧客,提供する製品やサービスとの補完関係など,製品に関連する環境を幅広くウォッチするという周辺視野の広さが必要とされるのである。
[謝辞]
- ㈱イシダの事例については,國﨑嘉人氏(現イシダメディカル㈱代表取締役社長,元㈱イシダ医療事業企画室室長)に貴重な情報を提供していて頂いた。ここに記して感謝の意を表したい。
[参考文献]
- 兒玉公一郎(2013)「先行者と後発者の相互利用」『組織科学』Vol.46.No.3.pp.16-31
- 山田英夫・遠藤真(1998)『先発優位・後発優位の競争戦略』生産性出版。
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