世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
コロナパンデミックを越えて:白馬会議36の視点
(白馬会議運営委員会事務局 代表)
2020.12.07
今年の春先から日本に上陸した新型コロナウイルス感染は依然,収束していない。白馬会議は2008年リーマンショックの年に,「西のダボス,東の白馬」を目指して北アルプスの麓,白馬村で開催して以来,昨年の第12回までに延べ800名を越える「知的個人」が結集し,様々なテーマから「日本の未来」を見つめて来た。
今年11月に予定していた第13回はコロナウイルスのため来年に持ち越さざるを得なくなった。断腸の思いである。しかし,茫然自失というわけにはいかない。この世界史的事件に対して12年間積み重ねて来た白馬会議の知的アセットをフル稼働させようという機運がメンバーの中にみなぎって来た。白馬会議に集う「知的個人」の中より「有志的論客」36名に,それぞれの視点からショートメッセ―ジの寄稿をお願いし,『コロナパンデミックを越えて―白馬会議36の視点』をまとめた(白馬会議HP参照)
レポ―トは様々な分野,問題意識からなる36名のメッセージを以下4つの章に編集している。
第1章では「コロナ禍」の深部を覗いた時,何を感じ思ったかについて10の視点から報告している。
平尾氏(視点1)は,なぜここまで人は恐れ,うろたえ,ときには声高に叫ぶのかと,我々の「コロナ脳」化を糾弾する。戸所氏(視点2)はコロナ禍が格差を深化拡大させ,オンラインやリモートというデジタル化の名の下に利便性優先の独裁的組織運営社会が進行しているという。湯澤氏(視点3)はコロナとの遭遇で人々が毎日の「暮らし」を座標軸にした生き方に気づき,疫病の恐怖から「母なる大自然」を感じ始めたと実感する。一方,菊澤氏(視点4)はコロナの政策対応が機会主義的な人々を出現させ,日本の固有文化の美点を台無しにする野蛮が復活してきていると警告する。
七田氏(視点5)は学生たちの雰囲気,息遣い,熱気,風水でいう‘気’が肌に伝わってこないオンライン講義をデジタルなバッテイングセンターに例える。井川氏(視点6)もテレワークやWEB会議でイノベーション(新結合)が本当に生まれるのか,早急にかつ慎重な検証が必要であるという。
コロナ禍の現場からは自ら居酒屋も経営する行政書士水野氏(視点7)が感染症の専門家がいない民間の商用施設に対する強力な行政支援を求める。嶋田氏(視点8)は地域の限られた医療資源を効率よく活用できる情報手段と提供体制の整備のためオンライン診療が必須という。樋口氏(視点9)は原発施設にコロナ禍が襲い機能麻痺に陥った場合を想起し,「平和時利用」しかできない核の恐怖に言及する。そして中北氏(視点10)はコロナ禍が襲いかかる悲観,絶望に対して「苦悩を突き抜けて歓喜にひたれ」(『運命』)というベートーベンの気概に思いを寄せる。
第2章ではコロナ後に見えてくる世界,あるいはその課題につき13の視点から報告する。武者氏(視点11)はコロナパンデミックが古い制度・習慣や抵抗勢力を,そして間違った経済思想や緊縮財政・金融を吹き飛ばす歴史の歯車になったと高らかに宣言する。一方,小島氏(視点12)は日本の問題はコロナ以前から存在し,先送りを続けた結果一段と深刻になっており,それがコロナで露呈したと見る。松田氏(視点13)は従来の欧米式競争型解決から和や調和を旨とする日本型ソリューションが人類全体が求める答えになっていくと予感する。
小黒氏(視点14)は行政サービス情報を最も適切なタイミングで個人に直接通知できる「デジタル政府」推進の起爆剤にせよと檄を飛ばす。杉浦氏(視点15)はコロナ禍が新自由主義的経済思想や政策体系の矛盾を増幅させたが,菅政権の対応策はそこから抜けきっていないと見る。新氏(視点16)はコロナ前,コロナ後に関係なく,勝ち残る企業になるための根源である経営理念の重要性がいや増しに高まると確信する。知事から参院へ転進した上田氏(視点17)はコロナに対して正しく事実を知り,正しく恐れることで世界を,日本をいい方向に持って行くチャンスにすべきと訴える。
亀井氏(視点18)はコロナ禍で暗中模索が続く2020年から30年は,様々な最先端技術が次々に実用化される「テクノロジーボーナス」の時代でもあると勇気づける。鶴岡氏(視点19)も技術立国ニッポンのコロナ対応力をもって,国民的感染症対策を目指す「接待用アンドロイド」の開発・実用化に挑戦すべきという。平田氏(視点20)はコロナウイルスの如き「見えざる破壊者」に対して,最小コストで最大危機を回避し得る免疫細胞のような統合的リーダーシップを待望する。
金田氏(視点21)はスクリーン・ニューディール(非接触型テクノロジー)と温暖化対策や自然豊かな地方への回帰といったグリーン・ニューディールが結合したニューノーマル社会を提起する。山本氏(視点22)は感染症の蔓延というグローバルな外部不経済を経験する中,企業や個人が自発的な貢献を通じて公共財を供給すべき時に来ていると主張。牧野氏(視点23)はコロナ危機の再来に備え,各国のシンクタンクが危機管理対策の共同検証を行うべきと呼びかける。
第3章ではコロナパンデミックに遭遇した世界に如何なる国際力学変動が生まれているのかについて,8つの視点から報告する。川島氏(視点24)の深刻化する米中対立下の東アジア情勢観察は中国春秋戦国時代の合従連衡を想起させるが,あの時代との決定的な違いは「秦」が2つ(米中)あることだ。金井氏(視点25)は中国の覇権が確立すれば,「長いものに巻かれる」だけの日本は易々と「反中」から「親中」に転向できると言い切る。矢野氏(視点26)は米中対立の激化は米が率いる海洋国家群と中露が率いる大陸国家群の地政学的対立を長期化させ,日本は海洋国家群の第一線としての軍事的重要性を増大させると見る。
一方,小谷氏(視点27)はコロナパンデミックにより地政学が地経学に変容する中で,日本は政治・軍事面以上にデジタル経済化の対応力向上とイノベーション人材の育成が急務であるとする。田中氏(視点28)はコロナウイルスが中国の米欧日に向けて放った「姿の見えない刺客」のように見え,その首尾は上々と思いたくなるという。馬田氏(視点29)はコロナも米中対立も収束する気配はないが,グローバル化が終焉したわけではなく,強靱化に向けて再構築に入ったと見る。藪内氏(視点30)はパンデミック下で専制体制とグローバリストの対立が先鋭化する中,本来,利他主義を土台としていた日本の国柄を再認識すべきだという。新井氏(視点31)コロナは人類に新しい文明への転換を促しており,その背景に「ディープステイト」の存在があるのではと言及する。
第4章はコロナ禍に遭遇した日本の地方がこれからどう立ち上がるのかについて5つの視点から報告する。佐々木氏(視点32)は米カリフォルニア州1州ほどしかない日本国内で47人の知事達がコロナ対策で右往左往する姿に,47都道府県体制の行きづまりを見る。西澤氏(視点33)はコロナ対応によるリモートワークやオンライン化の進展が大都市エリアの実質的拡大となり,地方の個性や豊かさの減少圧力につながると危惧する。
坂東氏(視点34)はコロナへの不安を人々が広く「我が事」として考える機運の醸成につながっている現在こそ,社会システムのあり方を官民挙げて議論できるチャンスと見る。藤巻氏(視点35)は「コロナ疎開」が話題になる中,別荘地130年余の歴史ある軽井沢町として,ぶれることなく受入れのメッセージを出したという。佐々木氏(視点36)はコロナパンデミックから千三百年前の紀元720年に日本書紀が編纂されたことに思いを馳せ,国・県・市町村の絆を強くし,本年を地方創生の国創り元年にすべしとする。
36名の寄稿者ひとりひとりが歴史の中に生き,歴史の中で考え発言する意味を噛みしめた気がする。来年の秋にはなんとしても白馬村に結集し,この歴史的パンデミックの総括を徹底討議したい。本レポ―トはそのための基本資料になると確信している。
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