世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
市民社会・国家・古典的統治原理の変質
(エコノミスト )
2020.11.02
最近の海外ニュースによると,香港の雨傘運動はタイにも波及しているようである。20世紀前半までは言論活動が低調であり,暴動や一揆,デモの類しか民衆には表現方法がなく,社会不満のはけ口は直線的に暴力的になっていた。だが,現在の交渉方法にはマスメディアやミニコミからネット通信はじめ高度伝達手段が幅広く用意されている。この方法の有効活用を今以上に高め,いわゆる街頭行動や街頭集会等,公共空間の秩序崩壊を招くことを控えるべきではないだろうか。
我が国の街頭闘争で最も激しかったのは60年安保闘争であったが,これに大きく関わったいわゆる進歩的知識人の旗手に清水幾太郎がいる。清水は戦前から理想的な市民社会論を論じてきたが,晩年は様々な思想的曲折を経る中で,愛国的主張に辿り着く。師に初めてお会いしたのは『日本よ 国家たれ --核の選択』(1980年)の出版記念パーティーである。当時活躍されていた評論家や政財界の人が大勢参加する会合であった。この時,秦野章は清水に「なぜ安保闘争なんかに関わったのか」と質問していたが,回答は「私は一貫して反米愛国の徒だ!」とのことだった。以来,毎月の例会「清水研究会」に何度か参加させてもらった。清水の「市民社会論」は1940年に岩波講座に収録されている(1951年に創元文庫)。師は市民社会の在り方として,トマス・ペインの言説を援用し「国家による統制と干渉とが無用である」「外部から別の秩序をこれに与えるのは無益である」と説明している。また,ヘーゲルを論じて「市民社会が国家のうちに超越されるのではなく,市民社会がそのまま国家である」として,基盤としての隷属民の扱いはさておき,理念的に自律的市民像を描いている。
これに対して,アジア諸国は我が国を例外に西欧的発展から遠い存在として捉えられていた。それを代表する論説として,マルクスの「アジア的生産様式論」やそれを発展的に論じたウイットフォーゲルの「東洋的専制政治論」がある。ウイットフォーゲルは共産主義的思想から反共産党的主張に転向した思想家であるが,皮肉にも教授の分析・政策は「大躍進」やスターリン主義の戦略的政策モデルにもなった経緯がある。論拠はM.ウェーバーが指摘している中国文明と政治の原型を形成した大陸の地政学的特徴にあった。つまり大河の河川工事に大量の人的動員が不可欠である,という中国的現実である。河川管理が政治統制の中核に位置する中国社会は,「水力社会」とも概念化された。これが農耕文明の精華を形づくることになり,肥沃で安定的な社会を形成してきた。だが,その安定故に近代化が等閑にされる,という負の側面を引きずることになる。
中国はインドや欧州の様な地域と異なり,争いは少なく生存率は高い。豊かで安定的な社会は,その結果として大量の死者を発生させることもないため,死者を弔い崇拝するという宗教は成立しない。代わって,儒教や道教という人知の思想が生まれる。この中国思想は人民を中央集権的に統治する根本思想である。「一君万民」という統治形態は君子を頂点に,人民を支配する構図である。
大思想の実践的な適用・政治システム化は大抵発生した地域よりも,伝播した周辺国によって教条化され制度化される傾向が強い。その機能を論じたものにキム・イルコン著『儒教文化圏の秩序と経済』がある。金教授は韓国のNIES的発展のイデオロギー的側面に着目して,この著書をまとめている。つまり,韓国の経済発展は経済計画とそれを支える官主導型の開発独裁が儒教的秩序をもって達成されたとしている。これが政治主義的要素と民間企業の効率的な結合である。この発展パターンはガーシェンクロン・モデルの一つの適用と見られるが,ではなぜ北朝鮮というより儒教的政治的体制が経済発展しなかったのか,という疑問が新たに浮上する。また,中国がなぜアヘン戦争直後から興隆する洋務運動が成功しなかったのか,という事になる。これはガーシェンクロン・テーゼそのものの難題だった。
この点に関しては,余りにも政治主義的な経済運営や封鎖的経済関係から説明が可能である。北朝鮮は日韓併合の植民地時代と戦時統制経済,さらにソ連の影響下の準戦時体制が長期間継続した軍事的政治主義の国家である。こうした体制下では儒教的イデオロギーは益々強化されながらも市場経済が入り込む隙間がなくなり,経済的自由は窒息してしまう。従って,経済発展は達成されないことになる。いわゆるNIES的発展は世界市場との開放的な連関があって初めて,達成可能な経済的成果であり,市場的現象である。
大陸中国はウェーバー的・ウイットフォーゲル流の「水力社会」を数千年の長きにわたって形成してきた。その中で培われてきた統治原理としての根本思想は,深く農民社会に根差している。それ故,毛沢東が「新民主主義論」を高々と提起したところで,市民社会を形成し,その後社会主義段階に移行するほど現実は順調に事が運ばない。一朝一夕に欧州やソ連型の社会主義に転換できないことは明らかである。中国の社会構造は建国の1949年時点においても90%近くが農民であり,10%程度が都市住民に過ぎない政治経済社会である。これを統治するためには第2次大戦の大混乱も手伝って,「民主集中」程度の統治原理ではとても国家統治は及びもつかない。中国共産党に国家主席を配置しなければならないのは,そのためである。
プロレタリア独裁の指導原理は,独裁機能だけが肥大化する。「一君万民」のインプリントされた精神構造に,さらに新たな政治思想をビルトインさせてしまうのである。大文明国家は地主階級や買弁資本家の追放という大革命,文革という旧習と旧制度の大改革の渦中にあっても,深く構造化されたフロイト的精神構造に楔を打つことは出来ない。数千年に及ぶ中華大帝国と中国史は,欧州的市民社会を形成するには巨大過ぎるのである。だが,この巨大国家の分裂ベクトルは,大きな政治的混乱を引き起こす可能性が高い。本来的に分権的な市場経済と国家統治の狭間で,中国はその矛盾を外延的に解決する方向に歩み出している様に見える。これが「社会主義市場経済」という基本原理なのであろう。そして,これに対するM.ピルズベリー『China 2049』の中国分析は,我々に多くの示唆を与えてくれる。
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