世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1918
世界経済評論IMPACT No.1918

「衆愚」と「ポピュリズム」

小浜裕久

(静岡県立大学 名誉教授)

2020.10.19

 「衆愚」と「ポピュリズム」,例によって妙なタイトルだ。塩野七生が『文藝春秋』9月号で,衆愚とは民衆が愚かということだからこの頃では使わない表現だそうで,代わりに「ポピュリズム」というらしい,と書いている。筆者は,「衆愚」と言うと,直接か間接的かはともかく,有権者の多くが短期的な自分の利益だけを考えて自国のリーダーを選ぶ状況を思う。「ポピュリズム」と聞くと,まずアルゼンチンのペロニズムを思う。豊かな自然資源にあぐらをかいた大衆迎合的政治を思う。まあ,「衆愚」と「ポピュリズム」は,政治の表と裏か。

 アメリカの大統領選挙も最終盤を迎え,トランプ陣営は焦っているようで,ウソの切貼りでキャンペーン・ビデオをテレビで流しているらしい。「新型コロナウイルス対策」の失敗をバイデン陣営に言われるのがすごく嫌で,そりゃそうだろう,トランプ政権の初動の失敗で多くのアメリカ人の命が失われたのだから。10月10日から流されたトランプ政権の新型コロナウイルス対策の成果を強調するビデオで,ウイルス対策を担ってきたファウチ博士が,トランプ大統領を称えるように「ウイルス対策のために最大限の力を注ぎ込んでいる」と発言するシーンがある。しかし,それはファウチ博士が国の医療当局の対応について一般論として発言したもので,文脈を無視して切貼りしたものらしい。そのことを記者に訊かれてドナルドおじさん,「ファウチ博士がそう言っていることに違いはない」と,小学生でも言わないような言い訳。

 国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長,ホワイトハウスの新型コロナウイルス対策の記者会見のニュースでよく見掛ける背の低い70歳代後半の感染症の専門家だ。ドナルドおじさんが,新型コロナウイルスについて「むちゃくちゃ」を言ってファウチ博士の方を見て同意を求めても,冷静に「自分はそうは思わない」と答える場面を覚えているだろう。そういう場面が頭にあれば,ファウチ博士がドナルドおじさんの新型コロナウイルス対策を称賛するわけはないと分かるはずだが,アメリカ人の4割くらいは分からないらしい。「賢い庶民」が「衆愚」に陥る瞬間だ。

 ある政治学者はインタビューで「安倍政権がやっと終わり」と口を滑らした。ほっとする気持ちはよく分かる。菅内閣は安倍政治の継続性重視ということらしい。政策の継続性はとても大事で,いろんな所にそう書いてきた。でも,それは大統領や総理大臣が替わる度に,政策ががらっと変わるのは駄目,という趣旨だ。

 今の自民党の言う政策の継続性は,なにか自民党がこれまで築いてきた利権・既得権益を守りたいという「継続性」に聞こえる。菅政権は,「モリカケサクラ」は再調査しないと言っている。庶民が望むことでなく自分の権力維持志向なのか。政府は国民のために働くものだと思うけど。

 経済が元気に成長するには,不断の構造調整が必要だ。1980年代後半だったろうか,東南アジアの大国のある大臣と規制緩和について話していた。規制緩和の必要性について意見が一致し,「じゃあ,なぜその通りに規制緩和政策を進めないんだ」と言ったところ,「お前なあ,規制緩和みたいな政治的に難しい政策は,三歩前進,二歩後退なんだ」と言われたことを思い出す。筆者は競争至上主義者ではない。効率追求と公正のバランスが大切だと思っている。1954年,大蔵省が発表した「今後の経済政策の基本的考え方」は,はっきり「効率と公正」の同時追求を唄っている。

 1960年10月12日,日比谷公会堂で日本社会党委員長浅沼稲次郎が暗殺された。総選挙のための立会演説会で,西尾末広民社党委員長,浅沼,池田勇人自民党総裁の順で演説することになっていた。10月18日,衆議院本会議において,池田勇人内閣総理大臣が追悼演説に立った。池田は,浅沼の友人がうたった,

  •   沼は演説百姓よ
  •   よごれた服にボロカバン
  •   きょうは本所の公会堂
  •   あすは京都の辻の寺

を引いて,委員長となってからも,この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行う君の姿は,今なお,われわれの眼底に,彷彿たるものがあります,と述べた。この追悼を聞いて議場で涙を流す社会党の代議士もいたという。

 政治家の質は,国民のレベルと平仄があっていると思う。でも,庶民が望む政治は,役人に忖度させ,学者にも忖度させ,新聞記者にも忖度させ,イエスマンを周りに置くことではない。

 むかし本田宗一郎は,自動車エンジンは空冷であるべきか水冷がいいかで,若い技術者と大喧嘩。その若いエンジニア,頭に来て2か月も無断欠勤。彼こそ,ホンダの3代目社長の久米是志。本田靖春がインタビューで「天才エンジニアと言われた創業者に逆らって頭に来ないんですか」と訊いたら,本田宗一郎は「自分に逆らうくらいの人じゃなきゃ事業は任せられないよ」と答えたという。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1918.html)

関連記事

小浜裕久

最新のコラム