世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
コロナ危機で透けて見えたこの国の姿
(国際貿易投資研究所 客員研究員)
2020.07.06
修羅場になると本性が露わになるのは,国家も個人と同様である。新型コロナウイルスという未曾有のグローバル危機に直面して,日本を含む世界各国が悪戦苦闘している様を国内外のメディア報道等で目にするたびに,そのことを痛感する。様々なコロナ対策が議論され実施されるなかで,日本の特異な姿が欧米等諸外国との比較で浮き彫りになって見えてきた。それはやや大袈裟に言えば,国家統治システムから国民の生活習慣に至るまで幅広い要素から構成される姿である。
本稿では,そうした日本らしさの強みと弱みについて,素人の庶民感覚で気づきの点を整理してみたい。まず弱みを3点。第1点は,日本は有事の時でさえ,トップダウンを受け入れる素地のないボトムアップ型社会だということだ。コロナ以前には一強と言われてきた安倍政権でさえ,コロナ対応では梃っている。諸外国が罰則つきの命令で対応しているのに対し,日本はもっぱら要請ベースだ。憲法の制約が根底にあることは事実だが,それが全てではないだろう。会見等で総理や担当閣僚らが必要以上に謙ってお願い口調であるのに対し,諸外国のトップは政治リーダーシップを顕示するかのように殊更強い口調で国民に訴えている。また,二言目には〝専門家のご意見〟に言及する場面が目立つ。専門家会議の廃止にあたって同会議メンバーからの「施策の実行は政府が責任を負い,専門家組織は現状分析と評価を政府に提言するという役割分担を明確にする必要がある」旨の提言は,他国では端から言わずもがなのことであろう。
第2に,日本が官僚統制国家であることを改めて痛感させられる。それは部分的には第1点と表裏の関係でもある。強固で安定した官僚組織は平時においては必ずしも悪いことではない。だが,今回のような国家全体の緊急事態においては,縦割り,前例踏襲等の官僚組織の性が,PCR検査や各種給付金を含め至るところで迅速で適正な政策実施の大きな障害となっている。官僚組織の弊害は万国共通の面もあるが,日本の場合は省庁ごとに機能集団というよりも共同体的色彩が強いため,より深刻となりがちだ。
持続化給付金事業で経産省が同省系団体や電通に丸投げしたとして問題視された件で,野党の論客の某国会議員がTV番組のなかで「本来,全銀協など金融庁系の組織の協力を仰ぐべきだが,経産省は絶対に自省の系列しか使おうとしない」といった趣旨のコメントをしていたが,同じことは例えば10万円の特別給付金についてもあてはまるのではないか。全世帯の口座への振り込み業務など経験のない自治体の市・区役所任せではなく,所得税還付等で手慣れた国税庁傘下の税務署(全国に524)が前面支援していれば,国民は2ヶ月も3ヶ月も待たされることにはならなかったはずだ。
第3は,必ずしもマイナス面ばかりではないが,日本はリスクをとることに対してあまりにも慎重な国だということである。政府も国民も「安心」,「安全」という言葉が大好きだ。本来,如何なる事象についても100%の安全などあり得ないのだが,国民はそれを要求し政府はそれを約束しないと激しいバッシングを受ける。コロナ感染者数では米国はじめ他の先進国に比べて2桁も3桁も少ないにもかかわらず,経済活動再開に舵を切ったのはほぼ1ヶ月遅れだった。本稿執筆中の7月2日には,都内の感染者数が107人と2ヶ月ぶりに100人超えとなり,国内不安が一挙に高まったが,欧米諸国でこのレベルの感染発生率ならば即,経済活動の全面再開だろう。
このコロナ禍の最中,日本政府はブースターの落下に住民が不安という理由でイージス・アショアの導入を突如断念したが,米国の軍事関係者はさぞ唖然としたことであろう。迎撃ミサイル発射時とは,例えば北朝鮮から核弾頭ミサイルが日本の領域に向かって飛来し,もし迎撃しなければ数十万の国民が犠牲になると予想される国家存亡の危機である。コロナ対応とは無関係のはずだが,このタイミングでの導入断念には何か奇妙な関連を感じてしまう。
次に日本らしさの強みについて。紙幅の都合で詳述はできないが,少なくとも以下の4点は指摘しておきたい。第1点は,罰則のない「自粛」が十分機能するほど自主性や連帯性といった価値観が社会全体に浸透している国だという点である。数年前のことだが,外務省の地球環境問題担当の高官が経団連の会合で「国際社会の常識では,自主的行動とは何もしないことの口実である」と言い放ち,経済界を激怒させたことがあった。国際情勢には精通していても日本の特質に疎い外交官は,企業が業界別ガイドライン等による自主行動計画によって産業廃棄物や温暖化ガスの削減に多大な成果を上げてきたことを理解できなかった。
第2点は,社会秩序の尊重と忍耐強さを共有した強靱な国民性である。長引くコロナ禍にあって,途上国のみならず欧米諸国でも生じているような暴動,略奪などは日本とは無縁である。これはやはり「民度」の高さと言ってよいのではないか。
第3点として,日本には経済格差や社会格差などによって他から分断されたコミュニティーがほとんど存在せず,同質性の高い平等な国であることが,コロナ感染地域の分布状況から見て取れる。スラム街を抱える途上国は言うに及ばず,欧米諸国においても黒人貧困層や移民・外国人労働者居住地域等に多数の感染者が発生している。他方,日本では東京はじめ大都市に感染が集中しているが,社会格差とクラスター発生場所を関連づけた報道は耳にしない。
第4点は,突出した衛生意識の高さである。日本人は海外に居住してみて初めてそれに気づくことが多い。家内でも土足であることに始まり,日本人の清潔感では到底受入れられない欧米人の非衛生な生活習慣は少なくない。この点が,ここまでの日本のコロナ禍第1波封じ込め成功と無関係ではないだろう。
ただし,不幸にして巨大な第2波が襲来した時,果たして「平時モード」しかない日本らしさで乗り切れるか定かではない。本当に民度が試されるのは,その時だろう。
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