世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1743
世界経済評論IMPACT No.1743

コロナ感染症の跋扈する中での大学に関する雑想:大学は出たけれど

榎本俊一

(関西学院大学 准教授)

2020.05.11

 文部科学省「学校基本調査」によれば,大学卒業後の就職率は,リーマン危機後の不況により2009年卒で60.8%(対前年度比▲7.6%)に急落した後,世界経済回復を受けて増加に転じ,2013年卒で急落前の水準を回復してからも増加を続け,2019年卒は大学卒業者57万2,639人のうち44万6,794人が職を得て,就職率は78.0%と過去22年間の最高となった。そのうち,正規・非正規職員の内訳を見ると,経常的な収入を得る仕事(自営業を含む)に就いた正規職員は43万897人,非正規職員は1万5,897人であり,8割弱がほぼ正規就職できるのであれば,学士資格は人生の門出に有効にあるかに映る。少子高齢化による人手不足を反映した就職状況は今後も持続できるのだろうか。

 コロナ感染症が雇用市場にもたらす長期的な影響については主観的「悲観論」以外に,客観的な論拠に基づく議論はこれからのようだ。3月末から4月中旬に就職情報会社が実施したアンケートでは,2021年卒採用はスケジュールが後倒しになるものの採用予定数に変更はないとする(マイナビ調査(1,926社)では84.1%が当初予定数を維持又は増)。しかし,コロナ感染症は外生的なショックであり,労働市場において不連続な変化が発生する可能性があり,これらの調査結果は不連続を織り込んでいない。

 米国連邦労働省の4月30日発表では,米国の新型コロナウイルスの影響による失業者数が過去6週間で3000万件超に達し,英Oxford Economicsは2020年2月3.5%だった米失業率は4月に14%に達し2009年10月の世界金融危機時の10%を上回るとする。我が国は米国に遅れること1ケ月半で緊急事態宣言を発令。総務省「労働力調査」では,3月までの完全失業率(2.5%)が分るだけだが,IMF予想で我が国のGDP成長率が米国(▲5.9%)並みの▲5.2%に急落すると見込まれる以上,我が国もGDP成長率が▲5.4%に陥った2009年(完全失業率5.08%,失業者数約100万人増)に並ぶ状況に陥ると予想される。

 新規雇用が全職種で絞り込まれるのは必至で,2022年卒採用は2021年卒から一変して厳しいものとなろう。小津安二郎の映画ではないが,「大学は出たけれど」という言葉が切実な響きを帯びるかもしれない。コロナ感染症の外生的ショックによる労働市場の冷込みが世界金融危機と同程度で済んだとしても,2010年卒の就職率が前年68.4%から60.8%に急減したことを踏まえると,2022年卒の就職率は約70%に低下する懸念がある。コロナ感染症もスペイン風邪と同じく終息に2~3年を要し,その間,防疫のため経済・社会活動が制限され続けると予想されるため,世界景気後退が短期でV字回復を遂げるとは考えにくく,新規採用の抑制は続くであろう。

 また,2019年卒は少子高齢化等に起因する人手不足から大卒者の正規採用比率が96.4%と高かったが,世界景気の先行きが不透明な中で,企業は安全弁として正規採用を抑制するものと想定される。2022年卒のうち正規職員として就職できる比率は6割台に落ち込み,その状況が長期持続することも否定できない。大学進学率が5割を超える中(2019年度54.67%),就職活動でライバルと対等の条件を整えるために学士号が必要であるとしても,子女1名に幼児期から1,000万~2,000万円の教育費を投資した結果がこれである。

 大学は研究・教育の場であり,学生に安定した就職を保証する機関ではないが,子弟1名に幼児期から1,000万~2,000万円の教育費を投資する親なり学生なりの立場に立てば,「大学は出たけれど」で済む話ではなく,「なぜ大学に進学するのか」「大学に進むことで何が得られるのか」をシビアに問い直す契機となるだろう。仮に,世界経済がコロナ感染症による景気後退から2~3年で回復し,我が国の雇用環境もコロナ感染症前に戻れたとしても,いったん「大学に進むことで何が得られるのか」が社会で真剣に問うべき課題としてビルトインされてしまえば,10年単位で問われ続けることとなろう。

 大学で学ぶ意義は何なのだろうか。1990年代後半,日本は企業に有為な人材を育てることを大学に求め,自主的に物事を考え,判断行動する,インテグリティある人物を育てるべく,欧米の教育システムを範としてきた。①知識の伝達ではなく「考える力」の養成,②少集団クラスでの教員・学生による議論中心の授業進行,③社会の動きを反映した実学的な課題設定等々を日本なりにアレンジして導入すれば,企業の代わりに人材育成できると考えられた。とすれば,大学4年間に300万~600万円の投資を行う親・学生が,卒業すれば安定した職業に就けることを求めてもおかしくないが,どうもそうなっていない。

 一部の先進的な有力校を除けば,多くの(文系)現場で耳にすることは,「こんなはずではなかった」との声である。知識の詰込みはしなくなったが,文章読解力のない,必然的に文章作成もできない学生。参加者が講義の流れを把握し,適切なタイミングで適切な発言を行い,一団となって授業を前に進めるには,当該分野での素養のマスターと授業に先立つ徹底した予習が必要であるが,両者を欠いたままになされる議論。社会の動きを反映した課題設定と言いつつも,未来よりも過去を向きがちな実務家教員(私?)と,教員が関係者との調整や企画立案に多大な精力と時間を投入し,多忙な企業の実務家の方々の好意の協力を得て行われるにも関わらず,「お仕着せ」の感があるビジネス・プラン策定……。

 むしろ大学改革前の時代の方が,自主的に物事を考え,判断行動する,インテグリティある人物が育ったのではないかとの指摘(愚痴?)がある始末であるが,コロナ感染症に伴う経済社会変動は,従前から問題認識されていたが正面から必ずしも向き合ってこなかった「大学に進むことで何が得られるのか」に対するシビアな問いかけをもたらすのではないだろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1743.html)

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