世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1694
世界経済評論IMPACT No.1694

望ましい現金給付策とは

伊鹿倉正司

(東北学院大学 教授)

2020.04.13

 新型コロナウィルスの感染拡大に対する緊急経済対策の目玉の1つである現金給付策が,4月7日に閣議決定された。現金給付をめぐっては,当初,全国民に1人あたり1万5千円~2万円程度の給付,現金給付ではなくて「お魚券」「お肉券」の配付,現在行われているキャッシュレス還元策の規模拡大・延長などが検討され,この1か月ほど迷走した感は否めないが,結果的に個人世帯に30万円,中小企業に最大200万円,フリーランスを含む個人事業主に100万円の現金支給が大筋で決定された。

 一方,米国においても現金給付策が実施され,家計には大人1人あたり最大1,200ドル(約13万円弱),子供には500ドル(約6万円弱)が支給される予定であり(所得制限あり),失業給付金なども合わせると,家計への直接支援額は5000億ドル(約60兆円弱)規模になる予定である。

 米国の家計に対する現金給付策と比較して,日本の現金給付策は規模・対象範囲ともに大きく見劣りすることから,インターネット上では,「政府は多くの国民が現在置かれている状況を全く理解していない」「日本国民は政府から見捨てられた」といった意見が数多く見られている。しかしながら,日米の現金支給策を比較する際,米国の社会保障制度が日本のそれと比べて脆弱であることを考慮する必要がある。周知のように公的医療保険については,日本は全国民が対象となる国民皆保険なのに対して,米国は主に65歳以上を対象としたメディケアと,低所得者を対象としたメディケイドしかない。また公的扶助についても,米国には生活保護制度がなく,失業給付制度も脆弱であるため,日本よりも大規模な現金給付を行わざるを得ないということだろう。

世界的なトレンドになりつつある現金給付

 今回の現金給付策は,多くの国民にはある意味「奇策」として捉えられがちであるが,世界的に見れば現金給付は決して奇策ではない。

 現金給付は,「無条件現金給付」と「条件付き現金給付」に大別できるが,前者の代表例は「ベーシック・インカム」である。ベーシック・インカムは,政府が無条件に最低限の生活を保障するための給付を行う制度であり,厳密には,①一時的ではなく定期的・安定的な給付であること,②現物給付ではなく現金給付であること,③全ての国民を対象とした普遍的なものであること(所得制限などを行わない)という特徴を有する。人工知能(AI)の進展・普及が,将来,大量の失業者を生み出すのではないかという懸念から,近年,我が国でも導入の是非が議論されているが,欧米ではこれまで数多くの導入実験が行われ,2016年にはスイスにおいてベーシック・インカム導入の是非を問う国民投票が実施された(結果は導入反対多数で否決)。直近でも,英国のジョンソン首相が新型コロナウィルスの感染拡大に伴う生活支援策として,ベーシック・インカムの一時的な実施を検討する考えを示した。主に先進国において無条件現金給付の議論が活発な理由は,前述のAIの進展・普及以外にも,少子高齢化の進展や雇用の多様化などを背景に,正規雇用を前提した戦後の社会保障制度の維持が困難になりつつあるという構造的問題の存在が指摘できる。

 一方,条件付き現金給付に関しては,1990年代以降,貧困削減策として広く途上国(特にラテンアメリカ諸国)において実施されている。条件付き現金給付とは,例えば教育や医療に関して条件を付けて現金給付を行うものであり,具体的な給付条件としては,「子供がいる家庭に対して,学校への出席率を85%以上に保たなければならない」や「妊婦に対して,3ヶ月に1度は必ず定期検診を受診しなければならない」というものである。条件付き現金給付の効果は,条件がどのように設計され,実施されたかによって大きく異なるとされるが,近年では,東南アジア諸国やアフリカ諸国において実施が広まっている。

望ましい現金給付策とは

 現金給付策は通常,受益者を限定するために,資力調査(所得や資産の調査),カテゴリーによる分類(例えば高齢者や障害者に限定するなど),自己選択(ある行動をとらなければ受給できない)といったターゲティングを行うのが一般的とされる(宇佐美耕一・牧野久美子「新興諸国の現金給付政策-分析の課題と視点-」『新興諸国の現金給付政策-アイディア・言説の視点から-』アジア経済研究所,2015年3月)。今回の現金給付策が多くの国民から支持されていない理由は,これらのターゲティング(住民税非課税世帯に限定,自己申告制など)が適切なものではなかったということに他ならない。ではどのようなターゲティングが適切なのか。筆者の考えとしては,適切なターゲティングができるのは平常時のみであり,現在のような緊急時においては,ターゲティングそのものの設定が困難であると考えている。よって,ターゲティングを行わない無条件現金給付が,無駄な混乱を避け,社会のセーフティーネットでは十分に対応できない人々を救うという現金給付本来の趣旨からしても,最も望ましい政策といえよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1694.html)

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