世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1641
世界経済評論IMPACT No.1641

出入国管理と海港検疫に見る水際のコントロール

平岩恵里子

(南山大学国際教養学部国際教養学科 准教授)

2020.03.02

 ダイヤモンド・プリンセス号をめぐる様々な出来事は,人が空や海を渡って国境を超えることの多様さと複雑さを改めて知る機会となった。国際労働力移動を研究の対象にしている筆者にとって,57か国に及ぶ国と地域からの乗員・乗客3,711名が上陸できず,検疫のために10万トンを超えるクルーズ船(ほぼ一つの町!)に隔離されるという出来事は,国境が映像として姿を現したように見えた。入国拒否や自国民の退避など国境という水際のコントロールは,外国船籍の船舶(ダイヤモンド・プリンセス号は英国船籍で運航会社は米国)に対する検疫がからむことでとても複雑になっているようにも見えた。そこで,水際のコントロールについて考えてみた。

 日本の出入国管理に関する法律は,入管法(出入国管理及び難民認定法)で定められている。もともと,日本の出入国管理に関する法律は,連合国軍総司令部の指令に基づく1951年の政令「出入国管理令」が基本である。アメリカの移民法に倣ったもので,翌年の平和条約発効に伴い法律としての効力を有するものとされた。国際慣習法上で言えば,入国については国家の主権的権利に属すと考えられており,外国人に入国や在留の自由はない。そうした条件を決めるのは国家の自由裁量となり,入管法はこれにあたる。日本がウエステルダム号(オランダ船籍,運航会社は米国)の寄港を拒否したのも,この裁量があるからだ。外国人の出国の自由については,世界人権宣言や国際人権規約で認められている。

 海港検疫については,近代国家を目指す明治政府が必死に追い求めたものであることを今回知った。海洋政策研究所のOcean Newsletter,第172号(2007.10.05発行)に掲載されている市川智生氏の「海港検疫の知られざる歴史を検証」に詳しく示唆に富むため,以下,紹介したい。1858年の修好通商条約によって対外貿易の拠点となったのは横浜,長崎など5港。しかし,コレラや天然痘など致死率の高い急性感染症が国内でも蔓延するようになり,港の役割は対外貿易の拠点としてだけでなく,検疫の役割が重要な意味を持つようになった。開国以前には長崎の出島などに上陸するオランダ人と中国人には長崎奉行所により健康チェックが行われていたそうだが,組織的な海港検疫が可能になったのは,1879年,欧米の制度に基づいて「海港虎列剌病伝染予防規則」(のちに「検疫停船規則」に変更)が成立してからだった。とは言え,外国船を検疫する根拠は諸国との不平等条約であったために法的には存在せず,各国の公使から検疫拒否にあい,そのことが1879年にコレラで多数の死者を出すに至る。苦慮した政府は,検疫措置を必要最小限にとどめる代わりに,必要が生じた折には事前に各国公使の協力を取り付けることとしたとのことである。1899年に日本政府の悲願だった条約改正が成立し「海港検疫法」が施行されるまでの20年間,日本の水際は「名を捨てて実を取る」方式(市川)によって守られていたのだ。

 市川が,開国後間もない日本と現代とを単純に比較することはできないとしながらも,「検疫が入境時に行われるものである以上,国際間の合意が必要であることは変わりがないし,移動形態や地域が複雑化するなかでの検疫という課題は現在にも通底している」と述べていることに,なるほど,と思う。船籍と運航会社が異なる場合,船の管轄権などを含めて誰にどのような責任があるのか,という複雑さも増しているし,国際的な合意についても,当時よりグローバル化した経済活動の下で合意形成するのは困難が伴うだろう(2月21日付の日本経済新聞には,政府が管轄権に関する国際的なルール作りに乗り出した,とある)。人権への配慮もコントロールとのバランスにおいて大切な論点になるだろう。

 最後に,今回学んだことを国際労働力移動の経済分析に無理やり結び付けるとどうなるだろうと考えてみた。国際労働力移動に関わる研究は1970年代になって進み始めたが,それ以前は,国境を越えて移動する生産要素は資本であり,労働は移動しない,とされていた。しかし,各国の移民法や港湾検疫など国境という水際でのコントロールが人々の移動を反映し変化してきたことを考えると,移民を含め人々が移動する視点を採り入れた研究が豊かになってきたのはうれしいことである。移民が受入れ国にもたらす経済的な影響については,理論分析においても実証分析においても,たとえネガティブな点があったとしても短期的かつ大きなインパクトにならず,むしろポジティブな評価ができる,という結論が概ね出されている。国境を取り払い,人々の移動を自由にすれば世界のGDPは飛躍的に伸びる,という主張すらある。今回のように様々なコストがかかる事態が起こりうることを考えると,人々の移動に伴うリスクやコストを含む環境の変化と経済厚生に関する研究はさらに深まり,これまでとは違う結論や,まったく新しい視点が得られるようになるかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1641.html)

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