世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
アカデミーの形成:全体と部分というイディア
(エコノミスト )
2020.02.10
18−19世紀の科学革命
イギリスの産業革命は職人の技術開発力によって齎された。この時代,科学思想と技術開発の大きな発展が見られたが,イギリスの大学ではその成果をカリキュラムとして体系化することはできなかった。これを実現できたのはイギリスではなく,ドイツに於いてだった。地理学者フンボルトの兄によって創立したベルリン大学(1810年)で,近代学問と教育体系が形づくられた。
これに焦りを感じたイギリスはテクノロジー教育への片務的梃入れを図り,すぐ役立つ講座のみに重点を置くようになった。確かに,この時期は自然哲学から脱却し,「科学思想+技術開発」教育へと飛躍することが大学には求められていたが,人文学=教養教育も捨ててしまう傾向が強まったのである。これでは本末転倒であったと,エリック・アシュビーは『科学革命と大学』(1967年邦訳)で指摘している。その理由付けとしてホワイトヘッド(イギリスの数理哲学者)の言説を引用している(第4章:大学の二重人格,より再引用)。
科学思想と技術との関連について。
「単なる実務家の大ざっぱな専門的諸価値と単なる学者の空虚な専門的諸価値との間には共通するなにものかがある。いずれのタイプもなにものかを見失っている。諸君がこの二組の価値を一組に合わせてみたところで,見失われた諸要素を手に入れることはできないのである。諸君が太陽についてのすべてを,大気についてのすべてを,また地球の廻転についてのすべてを理解しても,諸君はなお日没の輝きを把握しえないかもしれないのだ」。
凡そ古今東西において,人文社会科学を排除することによって高等教育が興隆した,という話など聞いたことがない。むしろ,時の学術政策の失策や迷亭によって大国が衰退したことは,歴史書にあふれている。あたかも「大坂冬の陣」の和議の条件として内堀まで埋められ,「夏の陣」で豊臣勢が一掃された状況に酷似しているのではないか,とさえ思えてくる。
硬構造か,柔構造の社会組織か
ソ連崩壊までの経済学は「二つの経済学」としてマルクス経済学と近代経済学(ソ連・東欧の工学部講義)が並列していた。体制崩壊とともにこれらの区分けも,砂上の楼閣になってしまった。そもそもソ連崩壊の直接的契機になった要因は「チェルノブイリ事件」であった。組織運営の齟齬が齎した代表的な事件である。もっとも,この底流には極寒の地のエネルギー危機が存在している。原子力とロケット開発を至上の科学研究分野としていたソ連では,コントロール技術(半導体やセンサー)開発にまでは手が回らなかったのである。
現在の経済学はミクロ経済学とマクロ経済学がある。なぜ二つなのであろうか。ミクロ理論をいくら積み上げても,マクロにはならないから「二つの経済学」である。二つの学問領域が併存しているのは経済学だけではない。数学も代数学と幾何学が存在しており,その理論的結合と統合は時代を超えて試みられてきた。古代エジプトの測量に端を発するギリシャ幾何学とインド代数学は,7世紀以降のアラビア数学によって融合される。大文明は大海の如く,清流も濁流も分け隔てなく受け入れる。それが文明興隆の源泉になるのである。さらにルネサンスを経て,デカルトは「解析幾何学」によって代数学と幾何学を理論的に統合しようと研究した。その後の数学の発展も,これをベースに急速に射程範囲を拡張している。だが,デカルトの普遍数学と言われる方法は,『方法序説』でも明言しているように,決してすべての学問領域を数学によって説明可能,というものではなかった。
先に挙げたベルリン大学だが,東西ドイツ統一の後遺症から未だ脱却できずかつての威名を回復していないが,アメリカン・スタイルのモデルだけで世界的学問体系を蘇生することはできないだろう。歴史の短いアメリカでは,研究費を惜しまない大規模な実験やデータ解析(シミュレーション)を方法的中枢に於いているが,それ故古典的文献の評価は低い。
この点,近代医学を確立したクロード・ベルナールは次のように言っている。
「私は実験学者としては哲学体系をさけている。しかしそのために哲学的精神までも排斥することはできない」(下線は原文)とし,なぜなら「哲学者はまた,一般的の知的訓練によって精神を涵養しつつこれを強壮にし,それと同時に,到底説きつくすことのできないような大問題の解決に,精神を絶えず接触させているのである」。
哲学や広範囲の分野に基礎を於いた体系こそ普遍的価値を維持する。このような知的遺産を形成するためにも,アカデミーに生産要素を投入しなければならないし,教科書的理解で良しとする研究など人類史への冒涜である。
高度知識社会での創造の場
労働市場の長期固定化から脱却するため,働き方改革を加速する必要があるが,産業構造高度化に対応した知識集約型社会の現実的取り組みのために,旧態依然とした初等中等教育機関や民間企業の雇用構造・勤務形態を改革しなければならない。また,国家権力を超える程の所得を,個人に与える社会に未来はないし,放置しておけば社会規範を崩壊させるだけである。社会的リーダーは余程の人徳が備わっていなければならないが,そのような人は極めて稀であるから,人的資源は適正に活用しなければならないだろう。
マスコミでしばしば取り上げられているように,「大学はもう死んだ」(入試作業が年5回も6回も行われ,雑務に追われる教授)というのであれば,これに代わる社会的研究エリアとして「アカデミー」を形成しなければならないだろう。それは学界や大学,シンクタンク,社会の隅々に点在する知的諸活動の連結による組織系である。長期ヴィジョンと差し迫る対策は自ずと異なるし,その区分けを整合的かつ的確に判断できる多様な学説(史)に精通した人が,アカデミズムの担い手に相応しい。浅薄な理想モデルを振りかざし,機械的「解」を導き出す分析から長期間耐え得る政策を導き出すことは不可能である。テクノクラートに偏することなく,また「一人一票の原則」に基づいた民主主義を踏まえながらも,知識人が社会の要所々々で主体的に活躍する社会でありたい。
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末永 茂
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