世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1604
世界経済評論IMPACT No.1604

農業のパラダイムシフト

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2020.01.20

 台風19号で千曲川の氾濫により大きな被害を受けた長野市であるが,筆者の生活圏(半径約10km)は全く被害を受けなかった。時々の所用で通っていた国道18号災害地域区間は復興救援活動の重点路線でもあったので邪魔にならないように迂回していたが,年末にその活動が冬季休止になったので,御用納め後に災害区域を北から南へ運転した。ショックを受けた。これほどの被害とは思いもしなかった。北から南へ,ある交差点1つ超えると突然数キロに渡って荒涼とした状況が続く(水害の痕跡は殆ど無いのだが)。アップルラインと呼ばれている国道の両側は広大なリンゴ畑が続いているが,畑の地面が出荷直前の,しかし被害を受けたリンゴで覆われている有様は筆舌し難い。家屋,商業施設も無人で人々の息吹が無かった。元に戻すだけでも数年は掛かるだろう。更に南下してある交差点を越えるとガソリンスタンドが営業中で,突然,人の温もりを感じる生活圏に戻った。わずか数キロの区間だけが,景色は同じなのに別世界になっている。

 (本題に移って)通販の発達は時々刻々進展していて,東京都区内の一部地域ではAmazon.comの日用品短時間配達まで可能になっている。食料品の鮮度が問題視されたが,パック詰めの肉や魚,カット野菜の一般化によってさしたる苦情もネットで見当たらない。むしろ配達サービスの労働条件の方が議論の的になっている。最早,Amazonで扱えないものは無いのだろう。生活に直結するミクロな市場のサービス・イノベーションが経済全体に影響を与え始めた(統計数字はまだ出ていない)。地方都市では自ら車で買いに行けば済む話と思うが,近所でもスーパーの宅配サービス軽バンが走り回るようになったので全国的現象かもしれない。

 しかし,真空冷蔵冷凍パックできる魚や肉と異なり,カット野菜の品質を維持するためにはかなりの技術が要求される。野菜の洗浄や保存加工は自動化できても,傷んでいる部分の除去など流通の過程で誰かが人手で行う必要がある。地方都市に住むようになって気がついたのは,首都圏では「宝石のように美しい」形状の野菜が当たり前に店頭に並んでいることである。こちらでは,キャベツは店頭で客が傷んでいる外側を剥く(一度剥いたら買わなければいけない),キュウリやダイコンは直線状ではない(板摺は難しい),トマトは形がいびつで不揃い等,首都圏より安く美味しいのだが見栄えは悪い。伊那谷の市田柿は美しく有名だが,長野市周辺の干し柿は真っ黒で固くて不揃いである(しかし市田柿よりよっぽど美味しい)。カット野菜パックの品質を均一にするには,畑から加工場へ均質なものを供給しないと余分なコストが必要となり,わが町のスーパーに並んでいる野菜など不良品となり大量の廃棄物が発生する。廃棄部分は家畜の餌にすればよいという解決策回答は小学校レベルなのでここでは取り上げない。

 Amazonの食料品のネット通販が明示するのは野菜・果物の工場生産である。この方向性は,最近の気象災害による影響をミニマイズする上でも重要である。既にきのこ類や一部葉物野菜では実現している。Hokuto(ホクト株式会社)のキノコ工場は羽田空港周辺の最新配送センターのような数階建ての工場で,台風19号被災地の工場は「1階」が浸水して操業停止なったが上階の設備は無事であった。農業生産者の老齢化,慢性的な人手不足で,Hokutoのキノコ工場のような自動化野菜工場は増々進歩するだろう。日本人の大好きなイチゴは,本来,春から初夏にかけて温暖地域で露地栽培されるものであった。現在では,寒冷地でもハウス内の多段棚で水耕栽培され,秋から冬の終わりが旬になっている人工的な園芸果物である。夏でも市場に出せるように冷房ハウスで栽培しているだけではなく,暑さに負けない品種改良も試みられている。ミツバチの病気や不足による受粉の問題が生じているが,ミツバチやイチゴの遺伝子改良で解決できる日がやってくるだろう。

 野菜・果物の工場生産が進むと,現在の農業を支えている大きなビジネスの枠組がパラダイムシフトする。まず,殺虫剤・除草剤の類はほとんど不要になる。水耕栽培で少量の肥料と水で効率的に大きな効果を生む。オランダではハウス栽培で単一品種のトマトを大量生産して西側欧州地域で市場シェアを獲得している。国土の殆どが乾燥地帯のイスラエルは,点滴農法で水の消費を最小限にして,地中海地域で農業生産国として成長している。これらの農法は,広域の散水が不要で大幅な水の節約になり農業可能地域が拡大する。一部の環境推進者が声高に唱えている「仮想水の輸出入」という議論も消えていくだろう(元々,為にする議論で経済に何も貢献しないが,所謂「リベラル」な方々の知的遊びである)。リンゴやブドウでも,老齢化に対処するため肩より低い低木や低い棚で蔓を育成する栽培方法が導入されているので,近い将来は工場栽培も可能になるだろう。穀物は広大な面積を使っているが,製鉄所の規模を考えると土地の面積が障害になるという考えは捨てたほうが良い。氾濫で畑一面が水に浸かってしまう損害を鑑みれば,屋内育成で確実に収穫する方が有利になるだろう。農業用化学品工業が衰退し,DNA操作等の生化学に取って代わられる(この意味でバイエルのモンサント買収は正しかったのだが…)。

 一見,水,農薬,肥料,土壌が大幅に削減できる農業工場であるが,今までとは異なり電力が重要な経営の要になる。ライフサイクル的に俯瞰すると,水資源確保,農化け品(塩ビを含む)等製造・輸送・散布のエネルギーよりも農業工場の電力消費の方が直感的にかなり省エネだが,ミクロ的には地域の電力消費が増大する。従って,ローカルな電力確保が重要になり太陽光,風力,小規模水力による発電・給電の充実がポイントになるだろう。インフラ変換に加えて,現在の農業関係法律,規制もゼロベースで改変する必要がある。工場生産なので,第一次産業ではなく第二次産業+ITになる。票田を含めた既存の利権を破壊することが最も難しい課題になりそうと考えるのは筆者だけではあるまい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1604.html)

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