世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
Brexit離脱強行派の思惑は時代錯誤か:経済政策のフリーハンド,国際収支構造,欧州大陸を越えたい英国
(パリクラブ日仏経済フォーラム 議長)
2019.10.14
離脱によって政策運営の自由裁量度がアップ
Brexitの影響をマクロ経済,国際収支,英国の世界との関係などから見ていくと違った姿が見えてくる。髪を振り乱したジョンソン首相だけの発言だけみていてはその背後にある「統合ヨーロッパ」のオールタナティブなビジョンが見えてこない。
まず第1にマクロの経済政策について言及しなければならない。仮定の話であるが,もしEU経済にユーロ危機が発生しなかったとした場合,次のように別のシナリオを想定できないものだろうか。2000年代に入ってからのEU,とくにユーロ加盟国の経済のつまずきは2008年以降とくにEU経済の「ジャポニゼーション」と形容される失われた10年でもあった。もしリーマン・ショックを乗り切る経済政策をEUが採ってギリシャ危機などがなかったならば今のような英国のEU離脱騒ぎはなかったのではないか。ユーロ危機以前,90年代後半から2000年代のはじめにかけてトニー・ブレア首相率いる労働党政権の英国は明日にも条件さえ整えばユーロに加入するとまで内外に宣言していたのだ。さらにブレア首相は2007年リスボン条約で制度化されたEU理事会の議長,すなわち初代のEU大統領候補にフランスのサルコジー大統領候補によって推挙さえもされていた。ほとんどユーロ経済圏に統合することを英仏海峡の両岸では時間の問題と考えていた。
アムステルダム条約の規定に加えてEU委員会,欧州中銀,IMFのトロイカ「監視団」から金融支援と引き換えに要請された一連の緊縮財政政策は機関車とされたドイツのデフレ政策も手伝い欧州経済は経験もしたことのない経済の停滞に陥った。難民の流入がこれに輪をかけた。英国にユーロ通貨を採用する機運は急速に冷めて,また財政規律,インフレ率,公的債務についてマクロ経済政策の自由裁量の許されないEU経済に距離をおきたいという気持ちが高まった。EU条約第50条ユーロ離脱によってこのような経済政策の拘束から離れることによって経済政策の自由裁量が回復されることになる。欧州単一市場アクセスが難しくなるが,財政政策も金融政策もフリーハンドになれる。長期的な経済の展望を冷静にEU経済の慢性的な低迷を考えるとEU離脱は正解かもしれないということもあり得るかもしれない。
サービス黒字が貿易赤字や第2次所得赤字を補填する国際収支
第2はBrexitそのものの影響であるが,短期に見るとそのマイナス,とくに実物ショックは多分,否定しようもないだろう。単一市場へのアクセスが困難となり,統合で得られていた貿易創出効果が失われる。EU離脱によって英国の対ドイツ,オランダ,フランスを中心とする対EU貿易赤字は拡大するものと考えられる。しかし輸出面では変動為替相場制下においてBrexitリスクからポンドは切下げに動いている。実物面の影響はこの為替を通した価格の調整を通じて中期長期的にはマイナスの影響はある程度緩和されることも見通される。
英国経済が他の先進国と大きく異なるのはその国際収支構造である。英国は金融およびその周辺サービスが創出するサービス収支と投資収益で経常収支の赤字を補完していく経済である。これはドイツや日本のような経常収支黒字,資本収支赤字型ともフランスのような貿易収支赤字,サービス収支と第一次所得黒字型とも違い,英国は2012年以降,輸送・旅行などのサービスと金融収支黒字が貿易収支赤字を補填するパターンとなっている。英国の金融活動は国内資金仲介より欧州を中心とする国際的金融業務仲介で,EUでパスポート協定免許を取れば金融業務インフラに優位を持つロンドンの地位は揺るがない。モノに比し証券投資のように先進国間で資本移動に制約がない。
世界的視野の大英帝国の再結集は時代錯誤か
第3は地政学的な国際関係の変化をフランスの人口学者エマニュエル・トッドは「問題は英国ではなくEUなのだ」(文春新書)と題する本のなかでBrexitを正当化する。トッドは特に「帝国」を志向するドイツを現代史の教訓として意識する。
Brexitの動きとは別に2010年11月締結のランカスター・ハウス英仏防衛軍事2国間協力協定は2020年をめどに兵器や空母の共有,遠征部隊5000人の派遣をうたった画期的とされる安保条約がある。これは1904年ドイツの台頭を前に成立した英仏協商現代版であり,この対独戦線の結成にロシアも加わると過去のようになる。英国の世界的地政学者マッキンダーはユーラシア大陸に覇権を築くパワーが世界を制覇すると警告したが,資源大国で人材豊富なロシアに技術経済大国ドイツが同盟すれば米英アングロサクソンの世界的覇権が揺らぐことを強く懸念した。そのために英国は「光栄ある孤立」政策を捨て欧州大陸に介入し独露同盟を阻止する必要を提唱した。その結果は英仏同盟(1904年4月8日)と露仏同盟(1894),英露協商(1907)の英仏露の3国協商(Triple Entente)の結成であり,ドイツの3国同盟と対立し第一次大戦に繋がっていった。
さらに気になる動きがある。1973年英のEU加盟で粉砕された「世界の英語諸国民の夢」を英国の歴史家アンドリュー・ロバーツは,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,連合王国の英語名の頭文字をとって「CANZUK」(Canada Australia, New Zealand, UK)カンザック連合体よって緊密な統合構想を持ちあげる。これは一種のグレイター・ブリテン構想でもある。「カンザック連合」は大英帝国の21世紀版の「帝国2.0」であるとされる。多くの有名な政治家や学者の名前を挙げることができる(注)。
[注]
- デヴィッド・デーヴィス(David Davis,2018年7月までメイ政権ブレクジット担当大臣),リアム・フォックス(Liam Fox,メイ政権貿易担当大臣),マイケル・ゴヴ(Michael Gove,保守党政権大物閣僚歴任),ダニエル・ハナン(Daniel Hannan,欧州保守改革グループ欧州議会議員),マイケル・ハワード(Michael Howard,元保守党党首),ボリス・ジョンソン(Boris Johnson,元ロンドン市長,2016年7月~2018年7月外務・コモンウェルス大臣)等の保守党系人物が絡む。ここでは「グレーター・ブリテン」(Greater Britain)構想という名の下で政治イデオロギーの相違(自由主義者から社会主義者まで)を問わず多様な思想家が,英国本国と移住植民地(カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカ地域)との,さらにはアメリカ合衆国をも包摂した英語圏諸国全体の統合を提唱しているのである。なかでも重要な人物としてJ.R.シーリー(John R. Seeley,ケンブリッジ大学教授),E.A. フリーマン(Edward A. Freeman,オックスフォード大学教授),ゴールドウィン・スミス(Goldwin Smith,英国歴史家),A.V. ダイシー(Albert V. Dicey,法学者),J.A. フルード(James A. Froude,歴史家・小説家),ジェームズ・ブライス(James Bryce,自由党政治家),J.A. ホブスン(John A. Hobson,「異端の」経済学者),L.T. ホブハウス(Leonard T. Hobhouse,ニューリベラル政治理論家・社会学者),チャールズ・ディルク(Charles Dilke,政治家・共和主義者),セシル・ローズ(Cecil Rhodes,帝国主義の政治家),アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson,詩人),W.T. ステッド(William T. Stead,急進的ジャーナリスト)を挙げることができる。
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