世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1423

世界貿易体制の幻影

小野田欣也

(杏林大学総合政策学部 教授)

2019.07.22

 今世紀はTPP11をはじめとするFTAが進展し,ヒト・モノ・カネの国際的自由移動や貿易・投資による国際的生産ネットワークの深化は,まさにグローバリズムの発展を表現している。しかし本来それを支えるはずのシステムや制度はいかがであろうか。

 2001年の閣僚宣言によって開始されたドーハ・ラウンド(ドーハ開発アジェンダ)は長期にわたる交渉を経て,ようやく2013年末にバリ合意(貿易円滑化協定,農業分野および開発分野における部分合意など)という極めて小規模な合意にしか至っていない。その後2015年と2017年の2回のWTO閣僚会議が実施された。しかし2015年は閣僚宣言が出されたものの,今後のWTOの方向性に関し先進国と途上国の意見収斂が出来ず両論併記となった。2017年は閣僚宣言(全会一致が原則)ではなく,議長声明で終結している。情報技術協定の品目拡大交渉や電子商取引に関する議論などは,いわゆる数十カ国の有志国会合が中心で,全世界一致の制度を構築するにはほど遠い。まさにメガFTAのWTOバージョンといったところである。

 アメリカのWTO改革要求や地球温暖化防止のパリ協定離脱,あるいはイギリスのEU離脱など,最近世界貿易体制を根底から揺さぶる事象が多い。トランプ政権になってからはとかく内向きの政策が多く,アメリカの世界貿易体制へのプレゼンス低下がその不安定化要因であることは確かだが,これは現在に限ったことではない。アメリカ・ファーストはある意味アメリカの伝統でもある。

 グローバリズムを強力に推進する担い手の不在が問われている,あるいは1920〜30年代のようにある意味過渡期であるとも言われるが,そもそも今までの世界貿易体制が本当に成熟してきたのだろうか。

 1960年代,世界貿易の成長率が最も高かった時代でも,ケネディ政権が,繊維の国際貿易においてSTA(綿製品における短期取極)とLTA(綿製品における長期取極)という二つの管理貿易体制を作り出したが,元々は大統領選対策というきわめて国内的な事情からである。繊維の国際管理貿易はニクソン政権のMFA(綿製品に加え,羊毛製品,化学繊維,合成繊維製品を含む国際多繊維協定)で完成する。それ以降の政権も,鉄鋼貿易におけるトリガー・プライス制度(当時世界で最も生産性の高かった日本の鉄鋼生産費に輸入費用を加えた価格をトリガー(引き金)としてダンピング調査の開始基準とした)や鉄鋼輸出シェア制限(アメリカの鉄鋼輸入枠を一定に定めて,それを鉄鋼輸出国に割り振る)など,管理貿易にいとまがない。さらには1980年代にあれほど問題視された相互主義や,二国主義も,現代ではそれほど希有な出来事に感じえない。

 ウルグアイ・ラウンドやドーハ・ラウンドの交渉は大統領選でしばしば中断された。あの頃から模索された世界貿易体制は,実は幻影に過ぎないのではなかろうか。

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