世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1375
世界経済評論IMPACT No.1375

日米貿易交渉に臨む米国の基本的スタンスと対日認識:トランプ政権下でも変わらぬ米国の本質とは何か

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2019.06.03

 米中貿易戦争の煽りで延び延びになっていた日米貿易交渉が,ようやく動き出した。仮に,国賓として滞日中にトランプ大統領から言及があった参院選直後の8月決着が事実ならば,第一ラウンドは農産品市場のTPP並み開放(+α?)のみを目玉とした分野限定的な協定締結で終了かもしれない。だが,その場合には交渉開始を合意した昨年9月の日米共同声明に明記されている投資・サービス分野を含む広範囲で高水準の協定をめざす第二ラウンドが,本番となるだろう。

 いったん本格的協議が始まれば,官僚組織同士の専門的で時間のかかる地味なプロセスとなるのが日米交渉の常である。米国の通商戦略マフィアのコアな狙いは,単なるモノの輸出ではないからだ。それを裏付けたのが,長年にわたりワシントンの最有力ロビー団体のトップに君臨するドナヒュー全米商工会議所会頭の「(日米通商協議は)短期間で軽い合意をするよりは時間をかけて良いものにすべきだ」との発言(5月15日の日経新聞インタビュー記事)である。

 トランプ大統領については専らその特異な言動が注目を浴びがちだが,対日通商政策をめぐる米国の本質は従来からさほど大きく変わることはなく,今回も交渉が本格化してくれば,それが前面に出てくるのではないか,というのが筆者の見立てである。そこで本稿では,1980年代の日米貿易摩擦時代以来変わらぬ伝統的な米国の基本的なスタンスと対日認識に焦点を当て,筆者なりに整理してみたい。紙幅の都合上,簡略な説明になるが,以下5点を指摘する。

 第1点はバイ(2国間)志向,裏を返せばWTO軽視である。日米貿易摩擦時代にも米国はガット(WTOの前身)上疑義のある対応を日本側に次から次へと要求してきた。その典型が灰色措置と言われた自動車の対米輸出自主規制の強要だった。また,長年にわたり米国のアンチダンピング規則はWTOルールとの整合性がないことが何度も指摘されてきたが,一向に修正しようとはしない。今や凍結同然のWTOドーハ・ラウンドだが,立ち上げの際には消極的だった米国を日欧が連携して説得するという局面もあった。通商戦略研究の第一人者だった故小寺東大教授は,「WTOとFTAの法的関係は,国内法に例えれば商法と企業間契約の関係のようなもの」と説明されていたが,米国にはWTO体制が自国の通商法制の上位概念であるとの認識が希薄である。米国のバイ志向とWTO軽視は,決してトランプの専売特許ではない。

 第2点は,重商主義的発想である。貿易赤字は「悪」と考える国は米国に限ったことではない。ただ米国の場合は,貿易不均衡はもっぱら相手国の責任とする傾向が非常に強い。米国の貿易赤字は相手が「不公正(アンフェア)」だからという主張である。トランプ大統領が中国だけでなく日独等の黒字国を批判する発言を連発しているが,これも貿易赤字を嫌った歴代の大統領や連邦議員らの立場と基本的には同根である。

 第3点は,日本市場に対する基本認識である。日米摩擦時代には「日本は米欧と全く異質の価値観を持つ」と主張する「リビジョニスト」らがワシントンを跋扈していた。彼らは日本の「閉鎖性」を激しく批判する日本叩きの急先鋒だった。さすがに近年はそうした主張を耳にすることはないが,それは決して米国の日本市場への認識が変わったことを意味しない。バブル崩壊後,日本の経済・産業が急速に勢いを失ったため,もはや米国にとって脅威ではなくなり対日関心が低下しただけのことである。就任間もないアジア歴訪で日本を真っ先に訪問したオバマ大統領は,サントリーホールで行った演説の中で半世紀にわたる日米同盟関係の意義を滔滔と語り両国の様々な価値観の共有を賛美したが,同大統領でさえ,APEC会合等の別の舞台では,日本市場(特に自動車市場)が閉鎖的であるとの認識を公にしている。また,オバマ政権2期目の時代にワシントンで開催された日米ビジネス実務者会議(日本側議長は筆者)における米国議会スタッフ(通商担当)の日本市場に関するプレゼン内容は,まるで摩擦時代の認識のコピーのようだった。曰く日本の自動車市場はOECD諸国中最も閉鎖的である,曰く輸出拡大のため円安誘導を行っている等々。

 第4点は,国内法制度への介入である。通商協議のなかで日本の国内規制まで踏み込んでくる傾向はEUにもあるが,米国ほど露骨ではない。数年前,「日本企業を買収し難いのは,社外取締役が少ないからだ。コーポレイトガバナンスを米国並みに改革せよ」との米国の要求に日本の経営トップは唖然とした。また,TPP交渉参加当初,日米並行協議で首席交渉官を務めた筆者の友人の某外務省高官は「なぜこんなことまで口を挟まれなくてはならないのか悔しくて夜中に目が覚めた」とぼやいていた。今回もUSTRが用意している対日要求リストには,食品安全基準や薬価制度の見直しの他にも様々な国内法制度に係わる項目が盛り込まれているであろうことは想像に難くない。

 第5点として,米国企業に日本市場への参入意欲がある分野はさほど多くはないことを指摘しておきたい。大括りで言えば,投資・サービス,農業以外では製薬・医療機器分野(ヘルスケア)ぐらいではないか。自動車,鉄鋼業界などは米日経済協議会(日米財界人会議の米側組織)の会員にすらなっていない。これらの業界は国内市場への日本の参入を制限したいだけで,対日輸出マインドはほぼゼロだからだ。

 ところで,今回の日米貿易交渉では日本側にかつてないほど大きな優位点がある。それはTPPと日欧EPAが発効していることだ。トランプ政権は輸入車への高関税を先送りする代わりに対米輸出制限を日本とEUに対して求めてくるのではないかとの報道があったが,米国とは違ってWTOを重視してきたEUがそのようなあからさまなWTO違反の要求にすんなりと応じるはずがない。すでに欧州委員会は,WTOルールに反する米国の要求は一切受け付けない旨表明している。WTO体制を脅かしかねない米国の露骨な保護主義に対しては,日本はEUと連携することによって,強い姿勢で臨むことができるはずである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1375.html)

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