世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
正しい誤答:G20のGを考える
(外務省経済局政策課 企画官)
2019.06.03
大学入試の問題では,著名な文学者や文芸評論家でさえ,作者の意図や登場人物の心情を読解する選択肢を間違うことがあるという。
G20(主要20か国・地域)のGは,老舗のG7と同じく,「グループ(Group)」の頭文字というのが,教科書的な正解だ。しかし,これを「政府(Government)」の頭文字だと答えた人は,胸を張って減点に甘んじてよい。世の中の潮流の本質を正しくつかんでいるからだ。筆者はここで,政府の重さを強調したいのではない。むしろ,その逆である。
6月末,安倍総理大臣は,大阪G20サミットを主宰し,経済成長の促進と格差への対処,環境や開発などの地球規模課題について,世界の議論を主導する。2008年11月,金融危機に共同対処する必要から,従来あった財務大臣・中央銀行総裁会議を,各国首脳がワシントンD.C.に集い,文字通り最高峰(サミット)の高さに梁を重ねて以来,初めて日本が議長国を務める。この1年間,首脳会議以外にも,11月末の外相会合(名古屋)まで,財務(福岡),農業(新潟),貿易・デジタル経済(つくば),環境・エネルギー(軽井沢)など8つの閣僚会議が予定されている。
なるほど,確かに,Gは政府を意味するわけだ。しかし,「正しい誤答」に至った人は,G20と並んでB20やC20という言葉を知っている。Bはビジネス・経営者,Cは市民社会(Civil Society)の略称だ。ほかには,L(労働組合),S(サイエンス・科学者),T(シンクタンク),U(アーバン・都市),W(ウーマン),そしてY(ユース・若者)を冠した団体がある。これらは,「エンゲージメント・グループ」と呼ばれる。エンゲージとは,婚約指輪のそれであるが,ここでは,対話や関与,参画の意味だ。マクロン仏大統領が掲げる「アンガジュマン(engagement)」には,政府と幅広い社会各層が,無関心やシニシズムに駆られて互いに背を向けず,共同体の意思決定に能動的に参画することで自由や民主主義を不断に活性化し,民衆が勝ち取った価値を画餅に終わらせない意義がある。黄色いベスト運動では,この政治信条の真価が試されている。また,北欧諸国が育むコーポラティズムは,政労使の合意形成から発展し,今では多元的な利害を立法や政策過程に陰に陽に取り込む方法論に受け継がれている。多様な関係者の対等な関係で成り立つエンゲージメントの技法は,欧米に一日の長があるようだ。
エンゲージメント・グループは,基本的に,G20と同じメンバーの社会・市民団体の代表が自発的に集い,それぞれが重視する現下の諸課題につき議論する。その成果は,報告書に取りまとめられ,議長国の政府に提言されることが慣例だ。前年末のアルゼンチンから,わずか半年にもかかわらず,今年も首脳会議に照準を合わせ,各グループの視点や知見を総動員した珠玉の提言が次々と安倍総理に直接手渡され,広く発信されている。
異なるアルファベット間の関係を捉えるキーワードは,「包摂的(inclusive)」という形容詞である。「包括的(comprehensive)」という同義語が持つ,完璧に閉じられた静的な感じとは対照的に,すっぽりとした袍(ほう)のような胴着に,様々な行動主体や課題が絶え間なく流れ込んでくる動的なニュアンスがある。国連持続可能な開発目標(SDGs)や気候変動パリ協定は,政府間の国際約束であるが,先進国も途上国も,富者も貧者も,老若男女も,社会のさまざまなステークホルダーに各々の持ち場や能力に応じた義務を公平に求める点が画期的である。責任の担い手が,Gに限られないのだ。
そうなると,異なるグループ間の意思疎通は益々重要になる。特に,日本では,「お上と下々」という垂直方向の弊習を打破する効果がある。また,霞ヶ関の線引きを軽々と越えるジェンダーや高齢化,デジタル化といった分野横断的な課題に関し,異なる守備範囲の間で見通しを良くする作用もある。水平方面の議論が,立場や所属の蛸壺に陥りがちな「その道のプロ」たちを救い出すのだ。さらに,各グループの活動や訴えは,国境を越えた人びとの連帯をも促している。
ここで重要なのは,「Gとそれ以外」という仕切りは,時代錯誤で本末転倒であること。そして,婚約と同じく,主張するだけではだめで,互いの目を見,声を聞かなければ,エンゲージにはならないこと。こうして,9つの英大文字による洞察と知恵,政策と行動が集まり,いよいよ6月末の大阪G20サミットでひとつに充填される。
さて,G20サミットは,単独行動主義や保護主義に対する「マルチラテラリズム」の意義が問われる場でもある。この言葉の正しい訳語は,「多国間主義」だ。けれども,SDGsが,それぞれの国や会社,そして一人ひとりの行動規範に組み込まれているというような現代社会の本質に通暁する人ならば,マルチラテラリズムの内実を正確に表そうと,国や政府の重さ(ここでは,さしずめgravityのGだ)を軽くし,「多者による多元的な多辺主義」とでも訳出するだろう。これもまた,正しい誤答に違いない。
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