世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
統計不祥事を機に大学は統計教育の見直しを
(明治学院大学国際学部 教授)
2019.03.11
毎月勤労統計調査などの不備が次々と明るみに出る中,政府統計の作成体制のありかたが改めて問われている。多くの識者が指摘する現状の問題点は,個々の統計の作成が各省庁に任されていて整合性が確保されていないこと,統計作成に十分な予算や人員が割かれていないこと,担当者が頻繁に交代して専門家が育っていないことなどである。
これらが重要な問題であることに筆者も異議はない。しかし気になるのは,こうした問題を指摘する人々の多くが大学で経済学を教えている教員であるにもかかわらず,それらを自分たちとは無関係の事柄だと考えているように見受けられることである。
日本の省庁で統計作成の予算や人員のカットが続いてきたのは,政治家や国民の間で統計が社会の理解や政策の立案のために必要だという意識が弱いためだと思われる。そしてそうした風潮は,高等教育機関において統計教育が軽視されていることと無関係でないと思われる。ここで言う「統計教育」とは,統計学の教育ではなく,現実にどのような統計が作られているかを知り,それを使って現実の社会を考察する機会を提供する教育のことである。
文部科学省の統計によると,平成30年度に商学・経済学の学士号を得て日本の大学を卒業した人は約10万人に上る。これは同年の大卒者の約18%で,他のあらゆる専攻より多い。また,同じ年に商学・経済学を専攻して大学院に進学した人も約3.8千人に上り,文系の中ではもっとも多い。
しかしこれらの人々が在学中に経済統計についてどれだけ学んでいるだろうか。経済学を専攻して大学に入学した人が最初に学ぶのは,マクロ経済学とミクロ経済学,そして統計学である。統計学は応用数学としての統計学であって,現実の経済統計について学ぶ科目ではない。
こうした状況は上級生になっても続く。二,三年になると応用科目として「計量経済学」が配置されていることが多いが,これも統計学を学ぶ科目である。計量経済学は経済研究を意識した統計学だが,経済統計そのものの解説はその主たるテーマでない。
大学において経済統計の教育に力点が置かれていない一つの理由は,統計関連の科目を教える教員の多くがユーザーとして統計を利用している人々ではなく,統計理論の専門家であることだ。統計学の専門家は数学者に近く,現実の経済や経済統計にはあまり関心を持っていないこともある。
これは必ずしも統計関係の科目だけの話ではない。たとえば,一国の経済の全体像を把握する目的で作成されている基幹統計として,国民経済計算(GDP統計はその一部)がある。しかし大学でマクロ経済学を教えている教員の中で,国民経済計算の作成方法を丹念に辿ってみたことのある人がどれだけいるだろうか。
大学院になると,理論重視・現実軽視の傾向がいっそう強まる。大学院で学ぶ経済学は学部で学ぶ経済学に比べて格段に応用数学の性質が強い。学位論文で実証研究を選べば現実の統計と格闘する機会はあるが,自分が選択したテーマに関する統計以外は何も知らないまま卒業してゆく人が多いはずである。
日本の高等教育において経済統計が軽視されていることは,教科書の出版状況にも表れている。ミクロ経済学やマクロ経済学の教科書は初級から上級まで無数に存在する。「経済統計」というタイトルのテキストも出版されているが,それらのほとんどは統計学の教科書である。日本の公的経済統計を解説した数少ない教科書として矢沢弘毅『コア・テキスト経済統計』(新世社)と清水雅彦・菅幹雄『経済統計』(培風館)があるが,前者は出版から10年以上経っているし,後者は初学者向けとは言い難い。
経済統計のテキストがあまり出版されないのは,大学でそれを使用する科目が配置されていないことに加え,それを執筆できる人が少ないからだ。教科書以外の経済統計の解説書も官庁エコノミストや官庁出身の大学教員が執筆したものが多く,純粋な大学人が執筆したものは少ない。
しかしこうした状況は大変不幸である。大学で経済学を専攻する人の多くは経済「学」には触れるものの,それを使って自ら現実の社会を分析する機会を持たないまま卒業してゆく。こうした人々の中で卒業後に統計の積極的なユーザーになる人は稀だろう。官庁や金融機関で調査職に就けば統計を利用せざるをえないが,こうした仕事に従事する人は就職後に自分で必要な統計の出所やクセを学んでいるはずである。
毎勤統計以外の公的統計に関しても綻びが目立つ中,個々の省庁から統計作成部署を切り離して独立組織に集約することや,官庁・大学間で統計専門家の人材交流を促進することを提言する人もいる。しかし人員を一所に集めても人材不足が解決するとは思えないし,官庁や民間調査機関の出身でない大学人の中で公的統計のバージョン・アップに知的貢献ができる人材は多くないと思う。むしろ大学が官公庁や民間機関に教えを請い,社会的要請に応えられる教育体制を整えるべきではないだろうか。
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