世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1288
世界経済評論IMPACT No.1288

TPPプレイバック:なぜ交渉参加推進の声は劣勢だったのか

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2019.02.25

 昨年の12月末にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)11が発効した。思い返せば,TPP賛否をめぐる対立は,民主党政権期から第二次安倍政権発足当初の頃にかけて国論を二分したわが国通商史上の大問題だった。そのわりには今回,世間の注目度も低く静かな船出だったということは,もはや当時のTPP騒ぎの記憶は風化してしまったということかもしれない。TPP参加推進の旗頭たるべき経済界にあって,経団連の国際経済本部長として事務方の責任者だった筆者が当時を振り返って最も鮮明に脳裏に焼き付いている記憶は,TPP反対派の凄まじいばかりの威勢のよさに比べ,推進派の声は何と遠慮がちで弱々しいものだったかということである。

 おそらく世間では「TPP参加は大企業や財界による政府に対する強い圧力により実現した。農業などの弱者がその犠牲になった」との見方が広く流布しているのではないだろうか。本稿では,そうした常識が全く誤りであることを当時のエピソードをいくつか紹介することで説明してみたい。

 経団連事務局には日々,財界記者クラブはじめマスコミ各方面から様々な政治経済問題について取材申し込みが入るが,通商分野はテーマが地味で国民的関心も高くはないので普段はさほど多くはない。だが,TPPは例外だった。筆者のところにも頻繁にアプローチがあったが,ある日,日テレの記者から取材協力要請の電話が入った。「反対派の活動については農業団体主催の大集会などあっていくらでも絵がとれるが,賛成派の絵がなくて番組構成上,困っている。経団連の動きを何か撮影できないか?」だった。TPPの意義をPRできる好機と考え,二つ返事で了承したのだが,後にふたつの予期せぬ障害に直面することになった。

 ひとつは,TPPの意義やメリットを検討するワーキンググループ会合(主要なグローバル企業約20社の部長クラスで構成)の全景にTVカメラを入れた時。ほぼ全ての企業が机上の企業名プレートをカメラが映さないことを条件としたのである。もうひとつは個別企業へのインタビュー要請があった時。筆者が全般的な説明を行い,日テレの夕方の報道番組で放映されたまではよかったが,問題はその後だ。「経団連事務局による一般的な説明もいいが,なぜTPPが必要なのか企業の生の声も撮りたい」との日テレの要請により,電機,自動車業界等の代表的な企業数社に打診したところ,何と軒並み辞退されてしまったのだ。各社の広報室が特に難色を示したようだった。唯一,最後まで社内説得に尽力してくれたソニーの渉外部長から「やはり無理でした」との電話を受けた時はさすがに愕然とした。

 TPPに対するこのような企業の慎重なスタンスは,TPP推進のためのシンポジウム企画の際にも苦労の種となった。パネリストの人選で学者や米国代表はすんなり決まったのだが,肝心の企業代表の引き受け手がなかなか見つからない。最後は経団連の副会長会社でもあったトヨタ自動車の会長に何とか登壇頂けたのだが,後日談として同社の経団連窓口責任者が筆者に内々に打ち明けてくれたところによると「これ以上固辞すると,我が社と経団連事務局との関係に支障をきたす」が最後の説得材料だったそうだ。むろん冗談半分だろう。ただ,社内では営業部門がTPPに後ろ向きだとの噂を何度か耳にしていた。真偽のほどは確認できていない。

 推進派の声が盛り上がりに欠けたもうひとつの要因は,財界以外の各界,特に政治経済分野の学者や有識者からの発信が鈍かったことにあるというのが筆者の見立てである。2011年10月に「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」というネット上の団体が設立された。ウィキペディア等には,メンバーは学識者,経済界,労働界,農業界,言論界などで形成され,著名な経済学者らの呼びかけより設立されたと書かれているが,事実とはかなり異なる。実際は,代表世話人への就任依頼や各界への参加要請からサイトの立ち上げ・運営に至るまで全て経団連事務局主導だった。いくらTPP参加は日本にとって不可欠だと訴えても財界エゴとの先入観で見られがちだったので,経団連は一切表に出ず中立公正たる有識者による国民会議との体裁をとったのだ。むろん,代表世話人はじめ参加メンバーは皆TPP参加には賛同されたのだが,残念ながら自ら企画を持ち込むということは一切なく,総じて受け身だった。やや厳しい見方になるが,著名な学者には用意された神輿には乗っても自ら汗をかいて神輿を作るほどの熱意はなかった。

 推進派からの発信が盛り上がらなかったことを示すエピソードのなかから,NHKに纏わる噂にも一言だけ触れておきたい。情報通の友人から「NHKはTPP推進に慎重だ。受信料の徴収への影響を懸念してのことらしい」と耳を疑うような話を聞いたのである。TPP参加の是非とNHK受信料の支払い云々との因果関係は全く理解不能だ。さっそく面識のあるNHK上層部の某氏にぶつけてみたところ,即座に否定されたので,これもあくまで噂にすぎなかったのかもしれない。ただ,あれほど国民的議論が沸き起こっていた最中,TPPの意義を正面から取り上げたNHKの特別番組を見た記憶が筆者にはない。

 反対派に比べ,推進派の活動が物量的にも資金的にも圧倒的に劣勢だったにもかかわらず,最終的には日本がTPP交渉に参加することになったのは,ひとえに安倍政権の政治的決断によるものだった。それを公表した2013年3月15日の安倍総理の演説は,自由貿易体制の選択による繁栄とアジア・太平洋経済圏創設の意義について国民に訴え,まさに国家百年の計を示すものだった。同演説を熟読すれば,決して財界や大企業が圧力をかけ語らせた言葉ではないことがわかる。国家のリーダーとして安倍総理自身の決断だったはずである。ところで,冒頭タイトルにもどって,なぜ推進派の声が遠慮がちで弱かったのかについては,正直なところ筆者にも確固たる答えは未だ見出せていない。個々の企業にとってはTPPの具体的なメリットが必ずしも明確ではなかったことや,農業への影響について配慮や忖度があったことも事実だが,当時のTPPをめぐる一種独特な雰囲気はそれだけでは到底説明がつきそうもない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1288.html)

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