世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1287
世界経済評論IMPACT No.1287

トランプ政権の経常収支赤字是正策をどう見るか:「グローバル・インバランス論」(IMPACT No.1221)へのコメント

田中素香

(東北大学 名誉教授)

2019.02.18

 2018年12月17日の本欄に「関税戦争とグローバル・インバランスについて考える」が掲載された(No.1221)。アメリカ政府が中国への非難を強めている経常収支不均衡を「グローバル・インバランス」と命名した上で,アメリカの対中経常収支赤字は貯蓄・投資ギャップ式が示すように,両国民の貯蓄行動と投資行動との総合的な結果であるから,是正するには両国民の貯蓄投資行動が変わらなければならない,したがって,トランプ政権の対策は間違いだと主張する。

 貯蓄・投資ギャップ式というのは,M-X=I-S,で表示される国民経済計算の恒等式である。Mは財・サービスの輸入,Xは財・サービスの輸出,Sは国民貯蓄,Iは国民投資である。つまり,経常収支不均衡=貯蓄・投資ギャップ,ということになる。アメリカの経常収支赤字(M>X)はI>S,つまりアメリカの過小貯蓄(投資額以下の貯蓄)であり,中国の経常収支黒字(M<X)はS>I,つまり,過剰貯蓄,ということになる。したがって,その是正作について,上記の本欄では次のように主張する。

 「グローバル・インバランスを解消するには,人々の貯蓄や消費に対する生活様式を変更する必要がある。中国は貯蓄を減らす必要があり,アメリカは貯蓄を増やす必要がある」。トランプ大統領は施政方針演説で,「富や雇用が国外に流出した」といったが,それは思い違いであって,真実は貯蓄・投資ギャップ式にある。したがって,トランプ政権が敢行している経常収支赤字是正策は的外れであって,両国は貯蓄への対応を変更するしかない。

 この主張をそのまま受け入れていいだろうか? 複雑な実態をあまりに簡単に処理してはいないだろうか。

 コメントの第2は貯蓄・投資ギャップ式の性格に関わる。理論的にいえば,貯蓄・投資ギャップ式は因果関係を示すのではなく,事後的に成立する国民経済計算の恒等式にすぎないということを考えないといけない。経常収支不均衡=貯蓄・投資ギャップという式は,国民経済計算の2つの定義式,Y=C+I+XーMと,Y=C+S,とから導出される。それは,経常収支不均衡と貯蓄・投資ギャップは事後的に一致するという恒等式の関係であって,経常収支不均衡が貯蓄・投資ギャップで決まるという因果関係を示しているわけではない。

 恒等式に因果関係を読み込もうとすれば,もっともらしい理由付けが必要になるのだが,12月の本欄ではそのような試みはなされていない。

 S-I=X-M,と逆にして,一国の貯蓄過剰(S>I)は経常収支黒字の結果であると逆読みすることもできないわけではない。一国の競争力が強すぎて,X>Mになり,急増した輸出収入が企業では内部留保(=企業貯蓄)となり,賃上げやボーナスを受け取った労働者の貯蓄(過剰収入は貯蓄に廻す)となり,結果的に貯蓄超過になった,というような解釈もできないわけではない。両方とも恒等式を因果関係に読み込んでいて,そのままでは受け入れられないのである。

 第2点として,資本が国際的に自由移動し,金融グローバル化まで進むと,S-IはX-Mの結果だという理由付けは困難になる。たとえば,バーナンキ元FRB議長が唱えた「グローバル貯蓄過剰”the global saving glut”」(2005年)説を考えてみればよい。

 「中国が世界を相手に獲得した膨大な外貨をアメリカにドル準備として保有するために対米投資(公的資本の投資)をするので,アメリカの長期金利は低下し,貯蓄を抑制し投資を後押しする。ゆえに,FRBの金融引き締め政策は効果を喪失し,投資を抑えられない」という趣旨の説明をした。投資には住宅投資を含めて考えてよい。短期金利と長期金利との間に成立するはずの右上がりのイールドカーブが横に寝てしまい,金融引き締め政策は効かない。この21世紀型の現実をもたらしたのは中国の政府による対米投資だ,とバーナンキは非難した。アメリカの過剰投資,したがって過小貯蓄は中国のせいだというのである。こうなると,「アメリカは貯蓄を増やす必要がある」と忠告しても,「アメリカの貯蓄投資パターン(生活様式)」を中国が動かしている,という現実が重い。

 中国の黒字についても,貯蓄・投資ギャップ式の単純な解釈をはみ出していた。中国が変動相場制をとっていて外国為替市場に介入しなければ,国際収支は自動的に均衡するはずだ。人民元の為替相場は暴騰するであろう。貯蓄・投資ギャップ式に為替相場の話は含まれないが,現実の経常収支を動かす重要な要因だ。

 バーナンキの議論の時期を考慮して,2000年から05年までの累計をとると,中国の経常収支黒字は3470億ドル,資本純流入は2910億ドル,合計6380億ドルだった。中国は人民元売り・ドル買いの大規模介入により人民元の対ドル相場を維持した(05年7月にはついに対ドル中心レートを切り上げ)。同期間の中国の外貨準備増加は6640億ドルで,中国から巨額の公的資本がアメリカに流入した。

 そしてその中国に向かってアメリカ大企業のアウトソーシング・オフショアリングが大規模に行われた。アメリから大量の雇用が中国に流出したのである。本来ならアメリカに投資され多くのアメリカ人に雇用をもたらしたはずの設備が中国に建設され,中国の雇用を引き上げ,中国人の貯蓄を殖やした。つまり,巨額の富がアメリから中国に流出したのである。トランプ大統領の対中経常収支赤字是正政策は乱暴だが,理屈を踏み外しているから誤りだ,とまではいえない。事実を踏まえている面もあるのである。

 貯蓄投資ギャップ式の公式的解釈はこうした重要な事実を無視する結果になる。要するに,貯蓄・投資ギャップ式が独り歩きして,現実を反映した理論になっていないのである。国際経済学者,国際金融の専門家はその点への考慮を忘れるべきではない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1287.html)

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