世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1280
世界経済評論IMPACT No.1280

ユーロ:「基軸通貨」の夢でなく「多極化」への適応

蓮見 雄

(立教大学経済学部 教授)

2019.02.11

 2019年は,ユーロが導入されてから20年目を迎える節目の年である。2018年末,欧州委員会は,ユーロの国際的役割の強化に関する政策文書を公表した。これについては,既に多くのマスコミで報じられているが,ロンドンも抜けるし,ドル覇権に挑戦するなんてできるわけがない,そもそも財政統合なしで基軸通貨を語る資格がない,むしろユーロの地位は低下する,といった言説が目に付く。

 2017年の決済通貨の構成では,ドルが40%を占めるのに対して,ユーロも36%と健闘しているようにみえる。とはいえ,世界の準備通貨における割合では,ユーロは20%を占めているものの,ドルの62%には遠く及ばない。外為市場でのユーロのシェアは,せいぜい10%代半ばである。2008年から2009年の金融危機後,ユーロ建て債券は減少している。そもそも,世界のGDPにおけるユーロ圏のシェアはわずかに12%,EU全体としても17%にすぎない。だから,筆者も,ユーロの存在感を高めるのは難しいという大方の意見には同意する。

 しかし,欧州委員会が「基軸通貨」の夢物語を語っていると評価するのはいかがなものか。確かに,引退間近のユンケル委員長が夢を見ている可能性も否定はできないが,ユーロが導入され東方拡大が平和裏に進みユーフォリアに浸っていた2000年代前半ならいざ知らず,その後のユーロ危機,難民危機,反EU勢力の台頭,Brexitと艱難辛苦の道を歩んできた欧州の政治家や官僚の皆さんが,ユーロの基軸通貨化を本気で夢見るなんてありそうにない。少なくとも,EUとロシアのエネルギー紛争を巡るやり取りを観察してきた筆者の目からみると,欧州の皆さんは,いつも強気の振りして理念とか原則とか規範を掲げながらも,実際には自らの弱点を自覚していて,地道な努力と工夫を積み重ねて事を有利に運ぶ条件作りに長けたリアリストのように思える(ウクライナ問題のように,不用意に関わって,時々やけどして,軌道修正をするのだが……)。

 なるほど,同文書は,経済・通貨同盟,銀行同盟,資本市場同盟の完成を基礎に,(1)ヨーロッパの金融市場,(2)国際金融市場,(3)主要な(key)戦略的部門の3分野でユーロの国際的役割を強化するイニシアチブを取る,と記している。しかし,基軸通貨(key currency)を目指すとは書かれておらず,国際金融市場におけるユーロの役割強化も掲げられてはいるが,具体的には,グローバルな金融の安定化のために中央銀行の協調を促すこと,欧州の諸機関によるユーロ建て債券を強化すること,発展途上国のユーロ決済システムへの参加を支援すること,が示されているに過ぎない。

 上記(1)のヨーロッパの金融市場を強化しようとするのはEUとして当然のこととして,むしろ新しいのは(3)の主要な戦略部門においてユーロの利用を拡大したいと明記している点である。具体的には,エネルギー,原材料・食糧,輸送機器製造(航空機,船舶,鉄道)の3分野である。実は,ユーロの国際的役割の強化に関する政策文書と同時に,エネルギー分野におけるユーロの国際的役割の強化に関する勧告とスタッフ・ワーキング・ドキュメントが公表されている。当然のことながら,同時に公表された一連の文書が相互に関連していることは容易に推測できるはずだが,これらの文書に注意を払った報道や論評は,実はほとんどない。

 EUは,世界最大のエネルギー輸入地域であり,石油需要の90%,天然ガス需要の70%を輸入に依存し,これらの輸入に過去5年間平均で年間3,000億ユーロを費やしている。ところが,ユーロまたは自国通貨建てで購入さているのは,石油の10%,天然ガスの30%にすぎず,残りはすべてドル建てである。要するに,欧州委員会は,まずここからユーロ決済を広げ,ドル依存を低減し,できるならばユーロの影響圏を拡大していこうではないかと勧告しているのであって,基軸通貨を夢見ているわけではない。

 そもそも,欧州委員会は,EU経済が世界経済に組み込まれていることを強く意識している。この認識を端的に示すのが,2015年に公表された政策文書「みんなのための貿易:より責任ある貿易・投資政策を目指して」である。同文書は,効果的,透明性,EUの価値を主眼において通商政策を進めると謳っている点ではまさにEUらしい文書なのだが,重要なことは,新たな通商政策を打ち出す前提となる欧州委員会の認識である。同文書は,冒頭で「今後10〜15年に世界の経済成長の90%以上は欧州域外で生じる」こと,「グローバル・バリュー・チェーンの発展が輸入と輸出の相互関係を強め」,「EUはエネルギーや原材料輸入に依存している」だけでなく,部品,設備,資本財も「EUの輸入の80%を占めている」と指摘し,EUにおける経済成長と雇用創出にとって欧州域外との経済関係を強化することの重要性を指摘している。

 こうした認識を前提にすると,欧州委員会が,EU経済の相対的な地盤沈下を想定しつつ,自らのツール・ボックスの中からユーロを取り出して,それを最大限有効に利用して世界経済における自らの立ち位置を確保・強化しようと試みるのは,まったくもって当たり前のことではないだろうか。

 加えて,EU以上に大量のエネルギーを輸入するようになるのが中国である。拙稿「ロシアとドル:「新冷戦」か「歴史の始まり」か?」(世界経済評論インパクトN0.1071,2018年5月7日付)で指摘したように,中国は,人民元の国際化を打ち出し,2018年3月からは人民元建ての原油先物取引を開始し,金備蓄を強化し,脱ドル化の準備を着々と進めている。

 世界最大のエネルギー生産国といえばロシアだが,その最大の顧客はまさにEUと中国である。今や,ロシアは,中国から人民元建て決済を,EUからユーロ建て決済の誘いを受けている。事実,2017年時点で,既に中ロ間貿易の20%近くがルーブルか人民元による決済になっている。加えて,2019年,EUがロシアに対して積極的にユーロ決済を持ちかけるとすれば,米国による経済制裁が次々と強化され米ロ対立が高まっている状況下で,ロシアが誘いに乗らないという選択肢はありそうにない。

 要するに,ユーロの国際的役割を強化するとしてEUが目指しているのは,米国に挑戦することではなく,米国依存,ドル依存を是正し,欧州域外の国々と積極的に関わり,多極化する世界に適応することなのだ,というのが筆者の見立てである。日EU・EPAもまたそうしたEUの戦略の一環でもあるとすれば,日本もユーロ建て決済のお誘いを受けることになるかもしれない。それは,日本にとっても,多極化に適応することを考える良い機会になるかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1280.html)

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