世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1156

夢の日本発人材インキュベーター構想

平岩恵里子

(南山大学国際教養学部国際教養学科 准教授)

2018.09.10

 タイ北部の洞窟に閉じ込められたサッカー少年たちが無事に救出されたと分かった時,とてもほっとしたが,国籍を持たない少年がいたということを知ってタイ北部をめぐる人の移動の背後にある現実を改めて思った。というのも,学生と一緒に研修のためにしばしばチェンマイのNGO「暁の家」を訪問しているのだが,そこでは国籍のない山地民の青年たちを支援しているからだ。国籍がないと隣町への移動すら認められず,道路上の検問もしばしば行われている。

 タイはASEAN諸国の中で最も多くの移民を抱えている。もともと1980年代後半までは移民の送出し国であったが,輸出志向の工業化による経済発展と共に労働力の受入れ国にもなり,双方向の労働移動が観察されるユニークな存在である。タイにやってくる移民労働者のほとんどはカンボジア,ミャンマー,ラオスの出身である。この隣国3か国からは不法移民も大変多く,合法移民をはるかに凌ぎ390万を超える労働移動があるとの報告もある。1990年代初めには農村部の余剰労働力が消滅し,農業労働者の賃金が上昇し始めるという形で労働市場の転換点に達したとされ,以後,北部,東北部,南部に農業や漁業を担う労働力が隣国から流入しているのだ。一方,タイ国内ではバンコク首都圏及びその周辺に向かう国内移動が継続的に続いていることも観察されている。こうして,タイをめぐる労働移動は,アジア地域における労働移動の変化をよく表している。アジアは世界の移民の40%を生み出す地域だが,その半数以上はアジア域内で移動している。新しい移民の36%をアジアが受け入れているとの報告もあり,ヨーロッパ諸国やアメリカへの流れをすでに上回り,移民の一大ハブと化しているのだ。Nikkei Asian Reviewが“Migrants look to Asia, the new land of opportunity”のタイトルで,移民に門戸を閉ざし始めているヨーロッパ諸国やアメリカに代わって移民はアジアに向かい始めている,と報じているのもこの流れの一端を表すようで興味深い。新宿区に住む3,000人ほどのネパール人が,コリアンタウン大久保をネパールタウンに変えつつあると報じ,アメリカに向かわずに日本に向かったネパールからの若者を取り上げている。実際,日本も在留外国人の80%がASEAN諸国出身であり,今やアジアの中では移民の移動先トップ10に入る人気の国なのだ。

 東アジア地域は,積極的に外国投資を受入れ,「世界の工場」として工業製品を生産・輸出する産業集積地を形成して発展してきたが,その空間では活発な労働移動も伴っていて,賃金格差を背景にした発展途上国から先進国への移動,いわゆる「南北」移動とは異なる動き-「南南」移動を含めたより複雑な空間が観察されるように思う。また,首都圏への人口集中という視点から見れば,バンコク首都圏と同様,東京の首都圏も日本の専門的分野で就労する,いわゆる熟練労働者のほとんどを吸収しているものの,これから積極的に受け入れたいとする高度人材をいかに引き付けることができるかは,バンコク首都圏との競争にかかっているかもしれない。

 以前ならヨーロッパの国々やアメリカに向かおうとした若者が,続々とアジア,そして日本に向かう図を想像するとどうだろう。付け焼き刃的な未熟練労働受入れ策ではなく,成功したいという夢や意思を持つ人々を“人”として迎え入れ,教育の場も提供し日本で働き生活してもらう。多様性が生み出す社会へのインパクトは,もちろん負の面があることは様々な国が経験したことではあろうけれど,肥沃な土地を育んでくれる正の面をまずもって期待してみる。例えば,あの国籍のないタイのサッカー少年のような若者を招き,身分を日本が保証しながら日本で学んでもらう。彼らが教育を受けた後はどこへなりと送り出す。そのまま日本に残り働いてもらえるなら大歓迎する。将来は日本を拠点とした人材の循環が生まれることを期待する。夢の日本発人材インキュベーター構想である。

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