世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1152

「日本版NCAA」はスポーツ族の独り歩き?

藤村学

(青山学院大学経済学部 教授)

2018.09.10

 2年前の拙稿「五輪招致は勝者の呪い?」では,近年の五輪ホスト都市にとって概ね歓迎されない収支勘定の証拠が多いことを紹介した。本稿では東京五輪をはずみとして提唱されていると思われる「日本版NCAA」について以下の4文献を読んだうえで私見を述べたい。

  • 1.ガーニー,ロピアノ,ジンバリスト著・宮田由紀夫訳2018年6月『アメリカの大学スポーツ:腐敗の構図と改革への道』玉川大学出版部(原題Unwinding Madness: what went wrong with college sports and how to fix it)
  • 2.宮田由紀夫2016『暴走するアメリカ大学スポーツの経済学』東信堂
  • 3.『現代スポーツ評論(特集:大学スポーツの産業化)』No.36,2017年5月発行
  • 4.大学スポーツコンソーシアムKANSAI編2018年3月『大学スポーツの新展開:日本版NCAA創設と関西からの挑戦』晃洋書房

 NCAAとはNational Collegiate Athletic Associationの略で,全米の大学のあいだで各種スポーツ競技の試合・広報・財務などを統括する「全米大学体育協会」のことである。1番目の文献の原題に含まれるmadnessという単語は,毎年3月に行われる全米バスケットボール・トーナメント選手権が現地では“March madness”と呼ばれることに由来しており,同書のタイトルは「ファンが狂乱状態となって視聴する米国大学スポーツの現状と課題をひもとく」というような趣旨であろう。同書の訳者であり,2番目の文献の著者でもある関西学院大学の宮田教授は,手際よく「本家」NCAAの歴史と課題を紹介しており,とくに大学スポーツの収支勘定についての実証分析を丹念に拾ったうえで警鐘を鳴らしていることは注目に値する。

 宮田教授によれば,米国の一流私立大学では大学本体の予算の中で,資産運用益が毎年の運営費で重要な役割を果たしているが,スポーツではそのようなことは難しいという。大学にとってスポーツ興業に力を入れる動機は,入場料収入といった直接的収益よりも,知名度向上や志願者増加,卒業生からの寄付金増加といった間接的利益が主体だが,米国における数々の実証研究からは,「他の条件が一定」のもとでスポーツの戦績が大学財務に与える影響については明確な証拠が得られていないうえに,フェアプレイに反する不正・欺瞞行為によるスキャンダルというダウンサイドのリスクのほうが大きいだろうと示唆している。日本でもデータに基づいた論争が望まれるとしており,筆者の属する大学にとっても箱根駅伝の活躍の効果がどの程度なのか,宿題をいただいた感がある。宮田教授は,スポーツは選手が卒業して入れ替わるので何連覇とかするのも容易ではなく,せっかく築いた地位を維持するためのスポーツ「軍拡競争」が続く,としている。筆者も同感であり,この「軍拡競争」を「分かっているけど止められない下方に落ちていく競争(race to the bottom)」と言い換えたい。

 3番目の文献は,日本の大学スポーツについて研究してきた人たちによる様々な視点からのエッセイ集であるが,前のめりになっている人たちと,冷めた目で見ている人たちの論説が比較的バランスが取れている。興味深いのは,日本の商業化スポーツでこれまで優勢であった野球の分野でのある研究者が,以下の通り述べているところである。「教育研究や運動部が利用する以外の時間で民間に貸出できるほど潤沢にスポーツ施設をもっている大学や,スタジアム・アリーナの建設費・改築費を償却できるほどに人気のある対抗試合を頻繁に行える大学がどれほどあるのだろうか。率直に言って,疑問である…」。

 4番目の文献は,関西圏の大学スポーツ関係者が,「日本版NCAA」のキャッチコピーに呼応して前のめりにエッセイを集めた印象が強い。スポーツを「する」「みる」「ささえる」の3本立てをどうやって好循環にもっていくべきか,という各論編に偏っているのは違和感をもってしまう。スポーツを「する」「みる」までは筆者も自腹でお金を喜んで払うが,「ささえる」となると次元は全く異なる。大学内なり,国家レベルなり,税金を召し上げてでも「ささえろ」という理屈になれば,全体主義であり,断固反対せざるをえない。

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