世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1145
世界経済評論IMPACT No.1145

英国の「合意なしのEU離脱」が現実味

田中友義

(駿河台大学 名誉教授)

2018.09.03

 2016年6月23日,英国民は国民投票で,賛成51.9%,残留48.1%の僅差で「EU離脱」(ブレグジット)を決めた。英国政府は2017年3月29日,EU離脱を正式に通告する。離脱時期はEU基本条約第50条の規定により,2年後の2019年3月29日と決まった。交渉期間がわずか2年ときわめて短く,当初から期限内の合意,批准は疑問視されていた。

 その後の英国の政治的混迷とEUとの離脱交渉の行き詰まりなどから,英EU交渉当事者の意図に反して,「合意なしの離脱」が現実味を帯びてきている。

 テレーザ・メイ英首相は,内閣および与党・保守党内の強硬離脱派と穏健離脱派の圧力の板挟みで,統一的な離脱方針を決定できず,綱渡りの政権運営を強いられてきた。局面打開を狙った2017年6月8日の英下院選挙で,与党・保守党議席が過半数割れと予想外の敗北を喫し,政治的混迷はますます深まる。

 メイ首相がEU離脱後もEUとの協調を重視する「穏健路線」の基本方針について,特別閣議で閣僚の合意を取り付けたのが,総選挙1年後の本年7月6日のことである。時を移さず,英側交渉責任者であるデービッド・デービスEU離脱担当相,ボリス・ジョンソン外相ら強硬離脱派閣僚が相次いで辞任した。与党・保守党内ではEUから完全離脱するという公約をメイ首相が反故にしたとの批判が根強く,今後のEUとの交渉次第では,不信任投票実施を求める動きが強まる可能性もある。

 英政府は特別閣議後の7月12日,EU離脱方針を明確にした「白書」を公表したが,来年3月の離脱時期が迫る中,遅きに失した感が強い。英国の新提案を受けて,英EU離脱交渉が7月26日,ブリュッセルで開かれたが,EU側が工業製品・農産品貿易に限定した「自由貿易圏」を創設するという英国側の提案に難色を示した。ミシェル・バルニエEU首席交渉官は「英側の提案は,関税同盟の保全,EU共通通商政策,規制政策,財政収入をリスクにさらすことなしに実行できるのかどうか疑問である」と指摘した。

 交渉の中で,最大の障害になっている問題は,英領北アイルランドと国境を接しているEU加盟国アイルランドとの国境管理をどうするかということである。

 英EUはこの地域の国境における通関措置を含む国境管理の復活を回避し,北アイルランド紛争の平和的解決のための「ベルファスト合意」を維持することでは合意しているものの,EUは北アイルランドのEU単一市場との一体性を維持するための「特別規定」が認められなければ2020年12月末までの移行期間を含む離脱協定に合意することはできないという。このことは,北アイルランドを関税同盟に残留させてEU法の管轄下に置くことを意味する。強硬離脱派はグレート・ブレトン島(英国本島)とアイルランド島(英領アイルランド)をアイリッシュ海で分断するものだと強く反発する。ドナルド・トゥスク欧州理事会常任議長(EU大統領)は「アイルランド国境問題が解決しない限り,交渉の進展はない」と述べている。いずれにしても,次の欧州首脳会議が開催される本年10月の交渉期限までにアイルランド国境問題で合意できない場合,「合意なしの離脱」が現実味を帯びてくる。

 欧州委員会は7月19日,実質的な交渉期限とする10月までに「秩序ある離脱に向けた合意が形成されるか,いまだに不確実だ」として,来年3月29日以降,英国はEUの「第3国」となり,EU・英国の政府,企業,市民への影響が及ぶとして,「あらゆる結果」への準備加速を求める政策文書を採択した。欧州委員会がEU・英国間の「合意なしの離脱」のシナリオを明示した文書を採択し,欧州の政府,企業などに対応を求めるのは今回が初めてのことである。時を置かず,英政府も8月23日,合意がないままの無秩序な離脱になった場合に備え,国民や企業に向けた注意事項を発表した。

 英国の大手世論調査会社ユーガフが7月19日〜20日に実施した調査結果では,EU離脱を巡るメイ政権の基本方針は英国にとって「良い」と思う人の割合が12%にとどまり,「悪い」が43%に上った。仮に国民投票が実施されれば何を望むかとの質問でも,EUと決別する「強硬離脱」を選んだのが38%,メイ政権の方針の「穏健離脱」を選んだのは12%だった。最多は「EU残留」の50%だった。その他のいくつかの世論調査結果も同様の評価であり,メイ首相の支持率は今や22〜24%と低迷している。英国がEU交渉でさらに譲歩する余地はほとんどないだろう。英EUは「合意なしの無秩序離脱もやむなし」とする最後の切羽詰まった交渉局面を迎えている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1145.html)

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