世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国際知への推薦書—最新OECD刊から
(外務省 経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部 参事官)
2018.08.06
パリの街は,7月14日の革命記念日の祭日を境に,人も車も根こそぎ持っていかれたように閑散とする。経済開発協力機構(OECD)本部の専門家は,このときとばかりに,窓から緑の風を取り込み,ふたたび喧騒に包まれる秋までの日数を数えながら,積みあがった文献を読み,構想を練る。
21センチ―。毎年初夏に行われ,今年は5月末にフランスが議長国を務めたOECD閣僚理事会で出された刊行物を積み上げてみた。A4判の両面印刷でもこの厚さ。日頃から,ペーパーレス化を訴える「医者の不養生」そのものであろう。そして,これらは,加盟国の全会一致が得られるまで何度も改訂が重ねられてきた文書だ。だから,OECD本部界隈の印刷業者は,毎年,春から初夏にかけて繁盛するといわれる。そして,秋口になると,たちまち焼却業者が繁盛する,とも。
OECDの国際ランキングは,いつも各国の取組に手厳しい。日本だって,勤務環境や「幸福度」などのテーマで,容赦なく辛い点がつけられる。たまには,その「お返し」もいいだろう,と,この「21センチ」の玉石混淆に順位をつけ,短評を加えてみた。いわば,この夏の推薦図書ランキング,今回はその上位3品である。
第1位は,「多国間世界の中のデジタル化(Going Digital in a Multilateral World)」というタイムリーな労作だ。デジタル化という現象の功罪はまだまだ分析の途上だが,その福音を最大化し弊害を緩和するためには,従来通用してきた政策を見直し,国際協調のレベルとスピードを一層高める必要がある。この一冊は,デジタル化経済に関する先駆的な取組の中間報告だ。これを読むと,OECDが,なぜ,デジタル化をはじめ,グローバル化,高齢化やジェンダー,環境問題などについて,分野横断的な論理(ナラティブ)を編むことに徹底的にこだわるのかがよく分かる。それは,個別分野のプロフェッショナルの蛸壺化や「政策の合成」の誤謬を避けるためには,公共政策を紡ぐ一貫した哲学が重要であり,それを,政府,企業,一人ひとりの市民が「作戦図面」を共有することが必要不可欠だからだ。例えば,OECDは,デジタル化は市場原理に任せるばかりでは,個人の性別や年齢,企業の規模,都市か地方かにより能力や機会の不平等を固定化し,結果の格差を助長する可能性がある,という仮説を貿易投資,競争政策,税制などさまざまな分野で実証してきた。その上で,政府や企業,コミュニティが,そうしたデジタル化についての全体的な論理を共有した上で,雇用の分野では,技能訓練を通じた一人ひとりの生産性,一つひとつの職の質を高めつつ,労働市場で能力と職の需給をマッチングさせる施策をとることで,経済成長の過程で生じる機会と結果の歪みを緩和することが出来ると考える。この点に関し,日本国内の「働き方改革」は,往々にして職場における各人の創意工夫の次元で語られがちだが,OECDに集約される国際的文脈を読むと,そうではなく,個人に過度のシワ寄せがいかないように,公共政策ができること,すべきこと,すべきでないことを考えさせられる(なお,デジタル化に関するOECDの全体論理は,拙稿「疾走するOECD,デジタル化時代の国際協調-2018年閣僚理事会の概要と意義」(国際貿易投資研究所,フラッシュ374,377各号を参照されたい)。
推薦図書の第2位は,新機軸のひとつ,「グローバル・イベントと地域開発に関する理事会勧告(Recommendation of the Council on Global Events and Local Development)」だ。スポーツの世界大会や文化祭典を主催する国や地方自治体が,配慮し守るべき点を,入札や汚職防止,環境保全,観光や建設業など産業振興,住民の能力開発などについて勧告する。東京や大阪ならば,役所の足腰も強く,国際行事の経験も豊富で,若い人口や情報も流入し「規模の経済」で回るから良いけれど,地方都市が「祭りのあと」の寂しさや悩みを解消するためには違った工夫が必要なのだ。各国における地方都市の先行事例を検証し,政策的示唆を追求する意欲的な取組の発展を見守りたい。
第3位は,打って変わって,海外に投資する企業の自己防衛策の書ともいえる「責任ある企業行動のデュー・ディリジェンス・ガイダンス(Due Diligence Guidance for Responsible Business Conduct)」だ。OECDは,グローバル企業が守るべき,情報開示,労使関係,環境,消費者保護等についての原則と基準を示す「多国籍企業行動指針」を定めている。同指針では,企業活動による悪影響を特定し,防止し,緩和するため,リスクに基づいたデュー・ディリジェンスを実施するべきとしており,OECDは,そのためのガイダンスを鉱物や衣料など業種別に定めてきた。今般,これら別々に展開してきた手引書の共通項を抽出し,一般化したのがこの冊子だ。多国籍企業が,主に途上国で,環境や人権で住民や非政府組織から提訴され,又,不買運動や反対運動などに遭うケースは後を絶たない。手引書ゆえの簡潔さも売りで,企業統治(コーポレート・ガバナンス)と法令順守(コンプライアンス)の観点から,極めて実践的な内容になっている。
さて,ここまで,日頃ランキングをつけられている側が,つけている側に順位をつけてみて,少しだけ溜飲が下がった。ただし,以上3冊の厚さは,たったの2センチ。残り19センチ分とあわせ,各種業績はOECDのホームページ上で閲覧できる。是非とも,読者諸兄の好著を見つけてほしい。
ところで,OECDの出版物の多くは匿名である。ただ,多くの船頭がハンダづけした駄作なのか,逆に,優れたひとりが筆を揮った逸品なのかを判定するのは,それほど難しくない。各国から派遣された外交官は,よく言われる。出版物を数多く読み込み,着想や論理構成,用いられている分析枠組や方法,そして筆致のクセに至るまで文面に親しみ,OECD事務局の専門家の誰が書いたのか特定できるレベルにまで習熟してやっと「半人前」。そして,執筆者に直接,その労作から啓発された点,望むらくは改善すべき点などを指摘してやり,たまにはビールでも飲みながら議論を深め,互いに認め合い,大いに気脈を通じてこそ初めて「一人前」の仕事ができるのだ,と。その域に達しなければ,まだまだ修行が足りないということだ。
パリも朝夕涼しくなってきた。今週,少し日焼けして,秋に向け静かな創作意欲を燃やしているであろう,あの人の執務室にふらっと顔を出してみようと思う。
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