世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1118

世界経済秩序の望ましい再編に向けて

小林尚朗

(明治大学 教授)

2018.07.30

 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(原作1937年)が,漫画化された効果もあり,空前のリバイバル・ヒットとなっている。およそ80年前の著作ながら,同書のなかには主人公である中学生のコペル君が,グローバル・サプライ・チェーンについて思いを馳せる場面がある。コペル君は,赤ん坊の時に飲んで育った豪州産の粉ミルクについて,牧場や牛や現地の人々,粉ミルクの大工場や港や汽船で働く人々,そして商社や広告会社,倉庫,配送,小売りの薬局で働く人々のことを想像する。そこでは数え切れないほど大勢の人々,しかも薬局の主人以外は自分にとって見ず知らずの人々がつながっている。さらに,そのような関係は身の回りの様々なモノでも同じであると気づき,それを「人間分子の関係,網目の法則」と名付けるのである(注1)。父親代わりの叔父さんは,それを発見したコペル君に敬服したうえで,地球を包んでしまうほどのこの関係が,残念ながら人間らしい関係には至っていないと指摘する。文字通り物質の分子と分子との関係のようなものに過ぎず,誰かのために好意を尽くして喜びとするような,本当に人間らしい関係ではないというのである(注2)。

 グローバリゼーションが拡大・深化した今日では,このような「人間分子の関係,網目の法則」が当時と比較できないほど広がっている。それを通じて人々は物質的に豊かな生活を手に入れられるようになったが,その一方で個々の関係はますます疎遠となり,そのせいもあって,個々が自らの利益の最大化ばかりを追求する傾向が強まった(またそれが正しい道であると信じるようになった)。まさにテンニエスの言うところの,ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)への転換,すなわち「近代化」の進展である。その進展過程で経済的効率性が高まったのは確かだとしても,人間らしい関係や自然環境など,多くのものが失われた側面があることも否定できない。利益社会においても,国家が共同社会に代わり一定の社会保障を担ってきた時代もあったが(福祉国家体制),個々の利益の最大化を追求するには「自由」の拡大が必須となり,小さな政府(租税負担の削減,規制緩和,民営化)が求められるようになった。共同社会を失い,福祉国家がその役割を果たせなくなるなかで,人々は自己責任論を甘受するか,自らよりも弱い者たちを排斥するか,ポピュリズム的に現行の体制(秩序)に牙を剥くようになった。

 米国でトランプ政権が誕生したのも,この動きの一端である。とりわけ1990年代以降,グローバル化時代の政策規範として,世界各地で新自由主義的な「ワシントン・コンセンサス」が適用されてきた。しかし,その行き過ぎた自由市場志向のため,各政府に政策の「選択の自由」が与えられず,先進国と途上国とを問わず,多くの副作用を生み出すことになった。それを踏まえれば,米国にも「政策の選択余地」が認められるべきであり,「自国第一主義」は必ずしも頭から否定されることではないのかもしれない。その意味ではトランプ政権の誕生は,「ワシントン・コンセンサス」に抗いたい,これまで「はしごを外されてきた」新興諸国などにとって画期的なこととも評価できる。

 トランプ大統領は,自身の貿易アジェンダとして,「我が国の競争力のために,また,ますます国際的で競争的な市場において“米国製品を買い,米国人を雇う”ことが最善の選択となるために,不公正な貿易慣行から米国の労働者や企業を守り,米国の製品とサービスに対する障壁を取り除くことに集中している」(注3)という。しかし言うまでもなく,脅しと強者の論理を通じて貫徹される弱肉強食の世界は,効率的でも公正でもなく,ましてや持続可能なものではない。「自由・無差別・多角主義」という従来の多角的システムにおける大原則を悉く否定し,WTOなどのルールを無視する身勝手な「自国第一主義」は,許される選択肢ではないのである。また,ますます複雑化するグローバル・サプライ・チェーンおよびグローバル・バリュー・チェーンは,「自国」とは何であるのかを問うてもいる。ハード・パワーで中国が勃興するなか,ソフト・パワーにおける米国の求心力の低下は,「歴史は終わっていなかった」ことを自ら立証している。

 各国・各人の経済的結びつきが広がった今日,グローバルな規模で本当に人間らしい関係を実現しなければならない時期を迎えている。トランプ大統領による既存秩序の破壊行為を,国際協調を通じて有意義な「創造的破壊」にすることができれば,そこにはノーベル平和賞さえも浮かび上がるかもしれない。「私たちはどう生きるか」が問われている。

[注]
  • (1)吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫,1982年,83〜88頁。
  • (2)同上書,93〜98頁。
  • (3)President Donald J. Trump Proclaims July 17, 2018, as Made in America Day and this week, July 15 through July 21, 2018, as Made in America Week, July 13, 2018. https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/president-donald-j-trump-proclaims-july-17-2018-made-america-day-week-july-15-july-21-2018-made-america-week/

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