世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
英国総選挙の結果について思う:リーダーはBrexitにかかる不都合な真実を国民に説明すべき
(国際金融情報センター・ブラッセル事務所 所長)
2017.06.19
6月8日に英国で実施された前倒し総選挙の結果,与党・保守党は単独過半数を割り込むまでに議席を減らした。議会における指導力を強化し,EUとのBrexit交渉で裁量を確保しようとしたメイ首相の思惑は完全に外れ,Brexit交渉の先行きは不透明感を増している。
メイ首相は,昨年6月の国民投票で示された民意は移民の流入制限,と整理している。その上で,「悪い合意ならばない方がまし」との立場から,人・カネ・財・サービスにかかる域内移動の自由は不可分,との基本原則を堅持するEU側と厳しく対立してきた。
英国がEU共通市場へのアクセスなどを放棄する「ハードBrexit」路線を維持するか,まだ定かではない。ただ,原則として19年3月までの離脱交渉期間内にEUとの新たな関係についても合意したい英国にとって,政局の混乱が状況を一層不利にしていることは明らかであろう。
英国では,昨年の国民投票以降,ポンド安を受けた輸出の増加に加え,堅調な内需が予想外に景気を下支えしてきた。しかし,ここにきて景況感,物価等の経済指標は急速に悪化し始めている。金融サービスについても,EU側からの様々な圧力により,金融機関はロンドンの金融センター「シティ」からEUへの移転を余儀なくされつつある。
6月13日,欧州委員会はユーロ建て金融商品を扱う特に重要な域外国清算機関向けの新たな規制案を公表した。これが欧州議会等で採択され,仮に英国の清算機関がEUへの移転を強制されることになれば,シティの存在感は大きく低下しかねない。ユーロ建て金利デリバティブ取引の清算で圧倒的なシェアを持つLCH.Clearnet(ロンドン証券取引所傘下の清算機関)がEUに移転した場合,英国で一日当たり1兆ユーロ近いビジネス及び8万人以上の雇用が失われるとの見方もある。
金融サービスは,サッチャー政権以降,英国経済を牽引してきた基幹産業であるが,金融機関や取引の国外流出は既に確定的な状況にある。他方EUでは,5月に親EUを掲げるマクロン仏大統領が誕生して以来,EU懐疑派の伊ポピュリスト政党が地方選で大敗するなど,域内統合深化を後押しする風が吹き始めている。
Brexitは英国とEUの双方にとってlose-loseな結果をもたらすとはいえ,その悪影響は英国にとっての方がはるかに大きいであろう。英国は治安維持の分野で技術的な優位性を持つとされてきた。しかし,国内でのテロ頻発を受け,そうした評価も変わりつつある。EU側は,英国に交渉材料の切り札がないことを見透かして,EU予算への未払い分担金の扱い,在英EU国民の処遇等に限らず,今後も様々な揺さ振りを仕掛けてくるであろう。
メイ首相は,民主主義という錦の御旗の下,国民投票の結果を神託のように拠り所としてきた。もっとも,これには,ポピュリスト達が外国人労働者の影響等に関する様々なプロパガンダにより国民を離脱に誘導した,という背景がある。EU域内からの移民労働者が英国労働者の就業率や賃金水準に与える影響についても,明らかに事実に反する情報操作がなされていた。実際のところ,域内外国人労働力は,ブルーカラー・ホワイトカラーともに,英国経済に欠くことのできない存在となっている。経済を成長させずに,どうして英国民の雇用を安定的に改善させられるというのだろうか。
政府は,FinTechを含むハイテク産業の育成と並んで,研究・開発(R&D)を経済の新たな牽引役に据える考えである。しかし,EUから英国への研究助成金がなくなり,英国がEUの研究に参加する機会も減ると考えられる中で,EUから優秀な研究者が来なくなる蓋然性は高い。したがって,Brexit後の研究・開発はむしろ低迷するリスクがある。
メイ首相は,米国や英連邦(コモンウェルス)構成国を中心に,これまでよりも親密で多角的な対外関係を築き,EU離脱の影響を相殺する考えも示してきた。もっとも,Brexit交渉が英国にとって極めて不利に展開するであろうことを踏まえると,そうした国々との連携協定の締結に向け,従来同様の交渉力を発揮できるとは限らない。
英国経済の停滞や縮小は世界の貿易を縮小させる。同様に,シティの没落は,英国にとっての損失であるのみならず,金融市場の分断を通じた取引コストの上昇として,グローバルに負の影響をもたらす。ハードBrexitは,英国とEUのみならず,日本を含む域外国にとっても,デメリットしか生まない「lose-lose-loseゲーム」になる。
EU共通市場へのアクセス確保を軽視しているかのようなメイ氏の方針に対し,経済界・金融界はかねてより強い懸念を表明してきた。英国のリーダーには,大衆に迎合するのではなく,国民にBrexitにかかる不都合な真実を説明し,EUとの穏当な合意形成に向け責任ある対応を期待したい。総選挙におけるメイ首相の敗北により,既定路線を変更し易くなった今は,その好機である。
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