世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.856

公道カートはアベノミクスのレガシーか(4):「無脳社会,無責任社会,無反応社会」其の二

榎本俊一

(前東北大学大学院 教授)

2017.06.05

 前回,某中央官庁エリートの語れる「矮小化の技法」について書いたところ「某省とは何省か」と問合せがあった。「公道(道路)におけるゴーカート(車両)を活用したビジネスが交通安全・周辺環境に与える影響」を論ずるコラムで,文部科学省官僚の語れる話を引用しても愚であり,読む方の推測にお任せする。「矮小化の技法」とは何か。エリート氏によれば「いかなる問題も全体として捉えた場合,まず問題解決できる権限とリソースをもった組織はないし,解決を請け負ったら結果責任を問われる」「矮小化の技法とは,問題を全体として捉えず,自己の組織が対処せざるを得ない部分に限定し,部分化された問題に解っぽく見える解を提示して,後は開き直る」ことらしい。

 公道ゴーカート事業が東京から大阪・名古屋・横浜,さらには古都・京都,北都・札幌へと拡大できたのは,国土交通省がそれだけの事業展開を可能とするゴーカートを車両登録し続けてきた賜である。「ゴーカートは安全・騒音対策の施されたゴーカート場で走るものであり,公道を走るものではない」「よもや公道でゴーカート事業を営む馬鹿者はおるまい」という思い込みが,今日の「公道ゴーカート事業」の隆盛をもたらした。国土交通省が公道カートの「育ての親」ということになるが,この点,国土交通省としては責任を問われてはたまらない。では,どうするか。

 現在,マスコミは,公道カートにヘルメット・シートベルト着用義務がなく,普通自動車等からの視認性の低さが重大事故を招かないか,ツアー気分の外国人観光客がよそ見運転等で衝突事故を起こしていることのみを論じている。「であれば,問題をヘルメット着用,シートベルト着用,視認性に限定して,関係法令を改正すればいい」「公道でゴーカート事業が展開されることで住宅環境・ビジネス環境が悪化しても関知しない」というのが国土交通省の「矮小化」の論理である。国土交通省も警察庁も,公道カート事業が「公道を走行するゴーカート・レンタル事業」ではなく「公共財である公道をゴーカート場としてゴーカート事業を営む事業」であることを理解している(名前を出すことはできないが,某省庁エリートの語れるところである)。

 また,「矮小化の技法」は「ババ回しの技法」とセットであるという。同じ中央官庁エリートによれば,「ババ回しの技法」とは「いかなる問題も矮小化し,自己の組織が対処せざるを得ない部分を切り出し『解』を示すことはできる」「しかし,部分的な解では問題解決につながらず,世間の批判を回避できない」「その場合,誰よりも早く,自己の『解』を提示してしまうのが重要」「その上で,他の組織が対応を怠っているのが『問題』であると世間に訴えろ」ということらしい。

 警察庁は動きの速い官庁だ。いち早く警視庁,大阪府警に指示して公道カート事業者を呼び出し,安全性確保だけでなく「騒音対策」も求めている。ゴーカート集団が,マンションが立ち並び,人々が暮らしを営む街をレース場と見立てて,住宅・マンションから2〜3メートル程度のところ爆走するわけであるから,住民の苦痛は物凄い。「もうかればいい,外国人がカネを落とせばいい,O-Mo-Te-Na-Shi」で紹介した年末年始の外国人爆走ケースは麻布通りから魚籃坂,泉岳寺に抜ける支線ルートだが(麻布通り・桜田通りの幹線を走ればよいだろうに),通常は爆走青年集団が夕方から22時にかけて「都心を爆走する」喜びを満喫している。「暴走族と同じ。公道をアトラクション商売の為に使って周りの一般人に気を使わせるとは。なんというふざけた事か」というツィッターがあるが,警察庁としては道路交通法の「暴走行為」を見直すのは厄介だ。事業者に騒音対策も求めたとして「ババ回し」できれば楽である。国土交通省も法改正によりシートベルト・ヘルメット着用(・車検)を義務づけ「ババ回し」しようとしている。

 では,誰に「ババ回し」するのか? 東京都など地方自治体である。東京都では,住民から「(最近,公道走行するゴーカートの異様なまでの台数増加に伴い)渋滞の発生,蛇行走行や大音量など迷惑走行が気にな(る)」「日比谷通りや桜田通り,札の辻から東京タワー方面にかけては,交通量も多く(中略)対応を検討願います」との苦情が多数寄せられている。これに対し,東京都港区は「本件は国土交通省・警察庁が道路交通法・道路運送車両法により規制する問題であり,地方自治体は何も対処できません」と逃げる(港区ホームページ)。しかし,公道カート問題は,東京都が良好な住宅・ビジネス環境保全の観点から迷惑行為防止条例等により規制できる事案である。また,千葉県南房総市観光協会は観光振興のため(環境等が悪化しても)公道カートを導入したいとするが,地域により公道カート問題に関する考え方が異なるならば,地方自治体毎の対応が好ましいかもしれない。こう考えると,国土交通省も夏までに改正道路運送車両法案でもまとめれば東京都等に「ババ回し」できる。東京都では「都民ファースト」を掲げる政党が小池都知事の下に旗揚げしたが,彼らは「観光ファースト」とか「事業者ファースト」と言って逃げられるだろうか。

 こうした行政の安易な対応を許しているのはマスコミのせいが大きい。「無脳,無責任,無反応」はマスコミ,学者にも共通の現象だ。有能だが真の思考がない「無脳」,問題の矮小化により誤魔化す「無責任」,自己のフィールド以外は無視する「無反応」は日本社会を蝕んでいないか。日本では,新聞・テレビ等は官公庁毎に設置された記者クラブで登録を受けることで記者会見参加等の特権が認められているが,官公庁の説明振りのままに記事を書き独自取材が乏しいと批判されている。公道カート問題においても,三大紙,東京キー局の報道は,石井啓一国土交通大臣の記者会見の「公道カートがヘルメット,シートベルト,視認性等の面で安全上問題があり,運転手である外国人観光客の運転ぶりは危険であることは承知している」「国土交通省は(自動車の安全運行の観点から)規制の見直しを行い対処する」「公道カートは外国人観光客に人気があり観光促進に観点からも安全対策を行う」という設定をなぞるだけだった。

 こうした中,NHKは「官製公報」ではなく独自取材するとして「おはよう日本」5月24日放送Web特集「『公道カート』安全は大丈夫?」で特集を組んでいるが,工夫のポイントは①着ぐるみを来て楽しそうに都心を爆走する外国人,②外国人運転手による危険運転,③事故現場,④バス会社の事故回避のための苦労,⑤安全性確保に努力するゴーカート場(公道カートの取組不足との対比),⑥交通安全対策の決意を述べる石井大臣の「絵」を付け加えて視聴者に「分かりやすく」しただけで独自取材は乏しかった。YouTube等で一般人が既に紹介している画像をNHKが取り直しても仕方ないし,これまで公道カート問題についてネット等で寄せられた意見をチェックするだけでも,国土交通省の問題整理とは異なる視点も生まれるはずなのに,社会事象としての掘下げのない「印象報道」となっている。

 例えば,安全性対策の検証として公道とサーキット場でゴーカートを走らせることを比較する智恵があるならば,住宅街・ビジネス街をゴーカート場としてゴーカートが集団走行した場合に発生する騒音問題等に気づいてもよさそうなものである。公道カートが爆走する沿線の一般人に取材するまでもなく,インターネット検索すれば「全面禁止でよい。公道は娯楽施設ではない。『道路で遊ばないで下さい』は,小学一年生が交通教室で最初に習うこと」「もちろん全面禁止で。公道は大人が遊ぶ場所じゃない」等の声が多数みつかる。労を惜しまず沿線住民にきちんと取材していれば,夜中の10時まで住宅街をゴーカートが集団爆走しており,その運転手は外国人ではなく日本人の特殊な連中であることに気づいただろう(公道カート問題は観光振興に矮小化できない)。

 記者の感想は「サーキット場でここまでやっているのを見ると,やはり公道上では,なおのこと安全対策をしっかりやってほしいと思いますよね」で終わりである。公道もゴーカート場の区別もつかない愚人には,「観光立国」の名目で都市環境を悪化させていった場合,将来の日本に何が待っているかを想像することはできない。「小型カートは『これに乗りたい!』と,日本に来る外国人がいるほど,非常に魅力的な観光資源になりつつあります。それだけに,しっかりとしたルール作りをして,安全確保と観光振興の両立を図ることが大事だと感じました」との結論に至っては,「観光でもうけたい」という日本を漂う「空気」から自立して思考できない「無脳」,真実追求の手間を避ける「無責任」以外の何物でもない。なお,某高級紙は若手記者を大阪で公道カート・ツアーに参加させて記事にしているが,同記者の爆走により苦しむ住民には思い至らずツアーを楽しむ「無反応」は記者の資質を疑う。これが日本の「木鐸」である。次回最終回では「アベノミクス」のレガシーとして何が残るかを公道カートを種に総括する。

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