世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.704

経済学者に解いてもらいたいこと

猪口 孝

(新潟県立大学 学長)

2016.08.29

 経済学の始祖といってもよいアダム・スミスの頃は理性(リーズン)と共感(シンパシー)をよく考えていればよかったのではないか。グラスゴー大学のアダム・スミス館で学会の発表をしたときにその入り口に書いてあったアダム・スミスの言葉をよみながらそう思った。もちろん,その土地の地理とか歴史とか文化などの背景をよく頭にいれてのことである。

 大学一年生に初めて経済学を学んだ時,宇野弘蔵やジョン・ガルブレイスやポール・サミュエルソンなどの書いたものに触れた時には,21世紀の経済学がこんなになるとは想像もできなかった。この間しのぶ会に参加させてもらった故竹内宏氏の遺稿によると,「普通の敬虔なアメリカ人は経済学に敬意を払うことがない」のだそうだ。定式化が数学を使って自分の頭のいい学者がそれをみせるだけに役立つだけで,経済をどう動くのかについてはいい解答をもたないのだそうである。遺稿は民族と宗教から人間の経済活動を説明しようというもので,壮大な目的をもつ書物である。帰りの車でよみはじめるとおもしろくてとまらない。自宅についてからも読み終わるまでの30分間,他のことには手をつけなかった。

 氏は『路地裏の経済学』シリーズでその主張を展開した。しのぶ会で会話を交わした方のひとりは深川教授(早稲田大学)である。少年,青年,壮年,高年と人生をわけると,本人は少年期(旧姓高校)はマルクスで明け暮れ,その後はいろいろ考えが変わったといっているが,深川教授によると,ずっとマルクスですべてを説明しようとしていた。下部構造とはマルクスの意味に加えて身体下部構造も説明要因に途中からよくはいっていたようだった。その頃,TBSテレビの番組審議会で私は氏と一緒だったことから推測している。そして高年の最後にかけて民族と宗教に関心が結晶したのだろう。

 突然,話が変わるが,筑波大学や新潟大学では経済学部は消滅したと聞く。教員はそのままだが,学部はなくなったと聞く。なぜか。筑波大学と新潟大学の教員は,普通で敬虔なアメリカ人に近くなったのか。ニュートンの古典力学を理想として構築されてからの経済学は数学の練習問題になったような気もするが,世の中の重要な問題に立ち向かう姿勢はしっかりとしている。私が経済学者に解いてもらいたいことは,次のことである。

 グローバル化がアダム・スミスから長いこと国民経済学だった経済学を静かに変貌させている。自由貿易と民主政治とグローバル化はどれかひとつが犠牲にならないと,なかなか経済はうまくいかないらしい。どういうときにどの位うまくいかないのか。数学を駆使してもしなくともある程度の解答がほしい。故竹内宏氏のように,民族と宗教からの説明に走るのか。経済発展を得意とする経済学者で私の関心を引く方はアセモルー(D. Acemoglu)とかロドリック(D. Rodrik)だが,どちらも出身はトルコ共和国である。故竹内氏は方向性としては正しかったか。

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