世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ASEAN経済共同体とリージョナル・バリュー・チェーン
(立命館大学 名誉教授)
2016.08.22
2015年末にASEAN経済共同体(AEC)が発足した。なるほどASEANはこれまでAECの発足に向けて地域経済協力の努力を払ってきたが,それが地域経済統合を推し進め実態のある経済共同体が形成されてきているかという実績で見てみると決して十分なものではない。国立シンガポール大学のChia Siow Yue が言うように,地域経済統合の進捗度を測る主要な指標は①域内貿易比率と②域内投資比率である。①域内貿易比率は2014年で24.1%(2007-2014年の平均では24.8%)で約25%と横ばいであり域外貿易比率の3分の1に過ぎず,②域内投資比率も2014年は17.9%(2007−2014年の平均では16.1%)であり20%にも満たず域外投資比率の4分の1以下という低水準であることを,他ならぬASEAN事務局が作成した資料(ASEAN Secretariat[2015], ASEAN Integration Report, Jakarta, Indonesia)が示しており,AECの発足にも拘わらず,これまでのところ統合され実態のある経済共同体が実現してきているとは言えないという結論を我々は下した。
しかし他方では,我々のそうした見解とは逆にASEAN域内でリージョナル・バリュー・チェーン(RVC)が進展することで,ASEAN域内の取引が拡大し地域統合と連結性が強化されてきており,その中心にASEAN地域経済協力を推進するAECが据わっているという見解が内外から提起されている。その代表的なものは,ASEAN事務局とUNCTAD(国連貿易開発会議)が協力して作成した報告書(ASEAN Secretariat and UNCTAD[2014], ASEAN Investment Report 2013-2014: FDI Development and Regional Value Chain, Jakarta, Indonesia)であろう。そこで,本稿ではGVC(グローバル・バリュー・チェーン)の理論を用いRVCをキーワードにして,ASEAN経済統合の現状を同報告書の内容に則して検討することで,こうした見解にリプライしたいと思う。
ところで,RVCとはGVCの基礎的概念と理論とを1つの地域—本稿の場合はASEAN地域—に適用したものであるから,GVCについてまずふれておきたい。OECDとWTOが共同してTiVA(付加価値貿易)のデータ・ベースを作成する作業に乗り出したのは2012年のことであり,それにより理論と実証の両面でGVCに関する研究は大きく前進してきた。①TiVAを用いることによって総輸出を国内付加価値(DVA)と外国付加価値(FVA)に分解することができる。②DVAがある国で生産された付加価値を意味するのに対して,FVAとはある国が中間財やサービス,最終財を輸出するために輸入した投入財が有する付加価値を指す。③ある国から輸出されるものの中で,最初の輸入国を経由して第3国へ再輸出される輸出品に含まれる中間財およびサービスに体化されている国内付加価値をDVXという。④ある国の総輸出に占めるFVAとDVXの合計が,その国のGVCへの参加指数(参加度)を表す(OECD-WTO[2016], Global Value Chains “Trade in value-added and global value chains: explanatory notes”)。
もともとASEANのRVCとGVCの間には密接な関係があったが,AECの発足に向けてASEANのRVCとGVCへの参加度は高まってきた。ASEAN域内で生産された中間財や最終財の大きな部分は,ASEAN外でさらに付加価値を付けるためまたは消費するために生産されており,そうした方向で両者は密接に結びついて行った。しかしながら,両者の間には量的にも質的にも大きな差異がある。前掲の報告書により2011年を採って見ると(op.cit., 115),ASEANのGVC参加度は61.9%となっており,他方RVCの参加度は12.9%であって5分の1に過ぎない。このように両者の間に大きな格差が生じる主たる理由は,①ASEANの総輸出に占めるFVAの割合が高いこと,②ASEANのDVAの主たる生産者は多国籍企業の子会社であること,換言すればASEAN域内で生産された中間財や最終財の大きな部分は外国企業によるものであること,③他方,RVCが示すASEAN諸国間の取引は,1990年の4.0%から2011年の6.4%へと伸びてきてはいるが僅か数%と低位であり,多国籍企業が主導するGVCの中で副次的な役割を果たしているに過ぎないこと,したがって⑤ASEANへの輸入のみならずASEANからの輸出においても多国籍企業が主導的な役割を担い貿易利益の「獅子の分け前」を享受していること,である。
現在の多国籍企業は,東アジア大(ないし世界大)の企業戦略を展開しており,東アジアの一部を構成するASEANに対してもその視野からGVCの延伸を図っている。ASEANは,1980年代半ばに外資依存の輸出指向型工業化政策(EOI)に転換し,その開発戦略の路線上にAFTAを締結しAECを発足させて,今日に至っている。この政策が継続されてきた根底には外資の導入こそASEANの経済発展の鍵を握るという「神話」があった。しかし,「現実」はGVCやRVCへの参加が明らかにしているように,利益の不平等な分配であり,実態のあるASEAN経済共同体の形成に成功していないことを示している。
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