世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.579

電脳空間は経済評論家を失業させる?

鶴岡秀志

(信州大学COI 特任教授)

2016.01.25

 ビッグデータの活用は,もはやデータ分析を超えて経済活動の根幹に関わる金融工学的ツールになっている。実際,債権や商品の超高速取引を行うコンピュータシステムは膨大な情報を分析して判断を行っている。多くのシステムが似たようなアルゴリズムを採用しているので,時に暴騰や暴落が発生するが,プログラムの改良(=数式と境界条件の改良)で解決できる問題である。スマホを使ったSNSも大変に便利になり,鉄道会社発信の情報よりも早く電車の運行状況をキャッチできる便利時代になった。チャット空間とマネーの空間が融合して巨大なクラウド・サイバー空間,電脳空間になるのも近い。その時には貨幣というもののコンセプトと実態も変わるだろう。

 ところで,電脳空間は巷で喧しいように人間の知力を置き換えてしまうものなのだろうか。実際,コンピューターサイエンスの世界では,生物の脳の動きを人工的に作り出すために生物の神経ネットワークを模したシステムの研究開発を進めている。近い将来ほとんどの仕事をロボットやコンピューターが行うことになるという発表が2015年に相次いで行われた。市場取引も人間の知力の及ばない電脳が決定,支配する時代に入りつつある。「世界経済評論」もロボットが執筆・編集するようになる。経済評論家,アナリスト,大学の先生はいらなくなるのである。

 電脳空間が全能なことを唱えて社会の不安を煽ることは儲かる商売らしく,テレビで解説され,その類の評論,解説書,小説が本屋(もちろんアマゾンも)に山積みになっている。この手のものはイカガワシイのであるが,多くの知識人は自らの商売の存亡を憂いて不安に思っていることは想像に難くない。これを和らげる訳ではないが,以下の考察を行う。

 電脳空間といえども,使っているのは記号とそれを結びつけるルール,即ち概念を具象化する言葉である。つまり,電脳空間は言葉がないものについては何ら考慮できないということである。電脳空間が「春はあけぼの」のような言葉を生み出す力はまだ無い。即ち,言葉を生み出すことが,電脳空間と人間の差異である。電脳が人間並みの「肌感覚」を持つ時代が来ればこの問題は解消されるだろうが,「諸行無常」や「ゼロと無限」はデジタルでは難しいと思う(この議論は数学的には面白いのであるが,省略する)。

 これを裏返せば,違う言葉,異なる言語では同じ概念,議論でも違う結果を生み出す可能性があり,思考はどうしても言語に縛られる。例えば,日本では雪が「はらはら舞い落ちる」のだが,英国はSprinkleである。科学者や技術者は言葉による曖昧さ,つまり結果の誤差を最小にするために数学を用いて意見を交わすのだが,この数学もルールであり言葉である。通常は1+1=2であるが,群論という分野ではこれは正しくない=ルールが異なる。

 ルールの中で最大の利益を生み出すのか,ルールを創造して利益を生み出すのか,ルールが言葉に支配されている限り創造者が有利である。現在の電脳空間の基本設計は1940年代に英国のチューリングらが生み出したものである。第2次大戦後は結果的に英語文明と経済になったのも頷ける。しかし,2015年から今日に至る世界の様々な事象はこの問いを考える必要性を示している。これだけ世界が混沌としてくると同じ土俵上という設定での議論や戦いは意味をなさず,むしろ日本語が持つ曖昧な「場」での議論設定も良いのではないかと思える。世界で最初に先物取引や微分方程式を創造した日本の知恵を使って未来を想像してみるのも良いではなかろうか。電脳に支配されない「世界経済評論」へ向けて,技術者として諸兄の知恵を賜りたい。

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