世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
天安門の3人:上海協力機構天津サミットと9.3戦勝記念式典
(多摩大学 客員教授)
2025.09.15
厳戒体制の北京
公安の制服を着た係官1名に私服の係官2名が,突然オフィスにやってきた。室内を子細に点検しただけでなく,机の引き出しもすべて開けさせられた。鋏やカッターナイフを見つけた係官は,金庫に保管するよう命じた。危険物を取り出せないようにするのが目的らしい。もともと,軍事パレードの当日と前日はオフィスが閉鎖される。カッターナイフや鋏で戦車には立ち向かえるはずもない。どんな些細な危険も見逃すつもりはないようだ。「オフィス改め」は小一時間ほど続いたろうか。軍事パレード終了後何日か経った頃来日した友人から聞いた話である。
80周年を記念する今年の軍事パレードには,プーチン大統領,金正恩総書記も出席した。それだけに警備は厳重を極めた。政治の中心である北京は普段でも警備は厳しい。国家主席が出席する行事が開催されるときは,一層厳しくなるが,今回の厳しさはそれを遙かに上回るものだった。不眠不休で警備に当たった公安,武装警察職員には,記念と慰労のために,マオタイ酒が支給されたそうだ。
戦勝80周年記念式典の直前,8月31日から9月1日にかけて,天津で,上海協力機構(SCO)のサミットが開催された。場所が天津とされたのは,北京が左記の準備で忙殺されていたこと,天津・北京は高速鉄道で30分程度という近さであり,SCOと左記式典に参加する首脳達の移動の便が考慮されたためだろう。
戦勝80周年記念式典に誰を呼ぶかについては,党・政府内外で様々な議論がなされたようだ。トランプ大統領を招待しては,という意見も一時有力な案として浮上したともいわれる。6月14日,トランプ大統領の誕生日と陸軍創設250年を記念する軍事パレードがワシントンで行われたが,「本当の」軍事パレードがどのようなものかを見せつける良い機会だ,という識者の発言もあったようだ。34年振りに行われた米陸軍のパレードは,兵士がだらだらと行進しただけ,という見方も背景にある。結局,トランプ大統領の訪中ないし習近平国家主席との会談は,10月末に韓国で開催されるAPECサミットの機会を利用して行われることに落ち着きつつあると言われる。
石破総理を招待しては,という案も出たようだ。欧州では1994年のノルマンディー上陸50周年記念に合わせて当時のコール首相が訪仏したが,以後,10年毎に,ドイツの首相が参加するのが恒例となっている。7月に,何立鋒副首相が大阪万博の中国ナショナルデーに出席するため来日したが,その際,左記の案が打診された可能性もある。ちなみに石破総理も戦後80周年を機に,「談話」の発表を検討している。
様々な案が出たものの,いずれも一長一短ありということで,結局,プーチン大統領,金正恩総書記が参加するということで落ち着いたことになる(参加した首脳は26ヵ国に及ぶ)。SCO参加国(中国,ロシア,カザフスタン,キルギス,タジキスタン,ウズベキスタン,インド,パキスタン,イラン,ベラルーシ)の顔ぶれとも十分整合性が取れており,欧米による被制裁国を含むグローバルサウス諸国が,相次いで一同に会する機会が生まれたといえる。
モディ首相北に走る
SCOで殊更に目を引いたのが,モディ首相の参加である。訪中は7年振りである。トランプ大統領は,インドがロシア産原油の輸入を拡大していることを理由に,ジェネリック薬品やスマホなど米国企業の利害が絡む製品を除くインド産製品に対し50%の高率関税を課すとした。インドはウクライナ戦争勃発後,それまでほぼゼロだったロシア産原油の輸入を拡大し,直近では日量2百万バレルに達する。インド国内で精製された原油は内需だけでなく,国際市場でも捌かれている。ロシア産原油輸出の50%超がインド向けだ。
更に,5月に起こったカシミール地方でのインド人に対するテロの報復としてパキスタンに対するミサイル攻撃を行った。紛争は4日間で終了したが,核保有国同士の武力衝突は大きな懸念を惹き起こした。トランプ大統領はインド・パキスタンの和平交渉の仲介を申し入れたものの,モディ首相が謝絶したことを根に持っていると言われる。インドにとって,米国は中国と並ぶ最大の貿易相手国であり,貿易黒字をもたらしている国でもある。しかし,インドにとって最大のライバルである中国がトランプ大統領の「関税棍棒」に断固抵抗していることから,インドもまた,米国の圧力に屈するわけにはいかない。
SCOサミットにおいて,モディ首相は,プーチン大統領,習国家主席と相次いで会談を行った。プーチン大統領との会談では,ロシア産原油を引き続き輸入することが表明された。習国家主席との会談では,中印貿易関係の拡大が議題に上がった。これまでモディ首相は中国資本のインド投資を規制してきたが,この緩和も示唆されたようだ。中国とインドの直行便の開設も討議された。
ただ,インドの対中貿易赤字は1千億ドルを超えているし,対露貿易赤字も600億ドルを超える。インドの対中,対露輸出は,それぞれ180億ドル,40億ドルにすぎない。ロシアにとっての悩みは原油輸入代金としてインドが支払うルピーの使い先がないことだといわれる。ちなみにインドの対米貿易収支は2024年で460億ドルの黒字だった。モディ首相のSCO出席の真意は,米国に対する強烈な牽制にあったと言える。また,中露それぞれの首脳との会談を通じ,三大国の関係強化が図られたことの意義もまた決して小さなものではない。
金正恩総書記至福の三日間
北朝鮮メディアは,約50分にわたる9月3日の戦勝80周年式典に出席した金正恩総書記の姿を放映した。北京駅に到着した金総書記親子を迎えたのは,蔡奇党中央常務委員(元北京市党書記)と王毅外交部長だった。北京北朝鮮学校生徒だけでなく,解放軍の儀仗兵も動員された。この映像を見る限り,金総書記は終始上機嫌であり,この式典があたかも北朝鮮のために開催されたかのような印象を与えた。
北朝鮮にとって,ウクライナ戦争と欧米による対ロ制裁は,恒常的な危機状態にある経済にとって干天の慈雨とでもいうべきものだった。北朝鮮はロシアに1万人ともいわれる義勇兵を送り込んでいると言われる。その給与は月額2千ドルであり,戦死傷者には追加のボーナスも支払われる。この金額は年間5億ドルを越えるという。これに加え,北朝鮮は手持ちの弾薬の提供も行っている。その見返りに,北朝鮮は石油製品や食糧を受け取っている。(ちなみに韓国も155mm砲弾をウクライナに提供している)。派遣された兵士の給与は北朝鮮政府が受け取り,9割程度をピンハネした上で,留守家族に給付されていると言われる。南東部の元山で行われているビーチリゾート開発の資金もこうしたところから捻出されたのだろう。ロシア,北朝鮮双方にとってもウイン・ウインの関係であり,北京でのプーチン大統領と金総書記との親密振りもこうした事情が背景にある。
一方,中国は様々な国と戦略パートナーシップを協約しているが,これには4段階ある。最高位が相互防衛条約であり,この相手国は唯一北朝鮮である(1961年に締結された「中朝友好合作互助条約」において相互防衛義務が銘記されている)。次は全天候戦略パートナーシップで,パキスタンとベラルーシが対象。三番目が全面戦略パートナーシップで,これには永久全面戦略協力,新時代全面戦略協力,全面戦略協力,全面戦略という4つのサブカテゴリ―がある。BRICSやSCO加盟国,一帯一路構想主要参加国がこの対象である。四番目が戦略パートナーシップであり,これには,ドイツや韓国も参加している。戦勝80周年式典に参加したのは,三番目までのカテゴリーに属する国である。中国が金総書記を手厚くもてなしたのは,まさに唯一相互防衛義務を負った国ゆえのことである。
ただ,中国の党・政府は,金総書記が進める核開発に危機感を抱いている。それだけのお金があれば,国内の経済開発に投資し,国民の生活水準を向上させるべきだ,というのが大方の意見である。また,北朝鮮の核ミサイルは,当然のことながら中国にも飛翔できる。厄介な飛び道具を持ち,国民を飢餓状態に追い込んでいる金政権の存在は,中国にとってもリスクである。今回の記念式典に金総書記が主賓格として招待されたのは,上記に加え,左記の懸念を抱く中国を後目にロシアとの関係強化にのめり込む北朝鮮に,改めて「歯と唇」の関係を想起させ,中国の影響力を確保するという目的に加え,ロシアへの忖度という微妙なバランスを追求した結果だろう。
ロシアの欧州離れを決定付ける「シベリアの力2」
北京で行われた中露首脳会談で,両国の懸案事項だった2本目の天然ガスパイプライン「シベリアの力2」の建設が基本合意に至った。価格やその適用期間といった詰めはこれからだが,北極圏にあるヤマルガス田から,モンゴルを経由して中国に至る。投資総額は2兆円ともいわれる。供給量は年間500億㎥に上る。ヤマルガス田から産出される天然ガスは主に欧州向けに供給されていた。しかし,ウクライナ戦争勃発後の2022年9月,バルト海を通る海底パイプライン・ノルドストリーム2が爆破されたことから,供給はほぼ途絶状態にある。このパイプラインが稼働すれば,ロシアの中国向け天然ガス輸出は1千億㎥を超える。これはウクライナ戦争前にロシアが欧州に供給していた量のほぼ半分に相当する。
この建設を担うのがガスプロムだが,建設資金の調達については,中国側が支援するようだ。上記覚書が調印された後,中国証券監督管理総局は,ロシアの国営企業を対象に,人民元建の債券発行を再開すると示唆している。ウクライナ戦争以前,ロシア企業が中国で発行した債券は「お試し」程度の小規模なもので,戦争勃発後は停止されていたが,今度は,ガスプロムをはじめとする大手国営企業による一定規模の発行にも道が拓かれた。
ユーラシア大陸を縦断するパイプラインの建設は,天然ガス産出国のLNGプラント建設計画にも影響を与えるだろう。また,中国のLNG輸入に占める米国のシェアは6%でありロシアの9%に次ぐ。最大の輸入先はオーストラリアで34%に上る。最も影響を受ける可能性があるのは米国だろう。
また,欧州に与える影響も無視できない。シベリアの力2が稼働すれば,とりわけドイツにとって安価なロシア産天然ガスの調達再開の可能性はさらに遠のいてしまうだろう。EUは,15%の対米輸出関税率を確保するため,6千億ドルに上る対米投融資と,7千億ドルに上る米国産エネルギー輸入をコミットしたが,これにより,EUのエネルギーの対米依存度は抜きがたいレベルまで高くなってしまう。最も負担が大きくなるのはドイツだろう。EUにはこれに加え,防衛費対GDP5%というトランプ大統領の要請がのしかかっている。シベリアの力2は,巡り巡って欧州経済凋落の足をさらに引っ張ることになりかねない。
グローバル・ガバナンス・イニシャティブ
9月1日,SCO会議の席上習近平国家主席は,「グローバル・ガバナンス・イニシャティブ」について語った。二度の世界大戦という人類規模の大惨事を経て連合国組織が生まれ,新たなグローバル・ガバナンスが築かれた。この成果を踏まえ,100年に一度という変革の時期,「主権平等・国際法遵守・多国間主義・人間本位・世界規模での行動調整」という5つの原則が重要であると習国家主席は指摘した。注目されるのは「第二次大戦の勝利の果実をしっかりと守り,グローバル・ガバナンス・システムの改革を推進する」という言葉である。「第二次大戦の勝利の果実」というキーワードは,ロシアとも共有されている。トランプ政権は,戦後秩序の破壊者であり,欧州はそれに抗するすべもない。ゆえに,戦後秩序の改革を推進するのは中露である,と言っているのに等しい。
秩序改革を推進する上で有力な担保となるのは軍事力だが,戦勝記念の軍事パレードでは,中国が自主開発した様々な新鋭兵器がお披露目された。中米の軍事力ギャップは着実に狭まっている。ちなみに,軍事パレードが行われた天安門広場と長安街の清掃には50台を超える清掃車とゴミ収集車が動員されたが,いずれも電動車だった。新鋭兵器を持っていても実戦経験がなければ張り子のトラという見方もあるが,単なる負け惜しみにも聞こえる。パキスタンに供与された中国製戦闘機「殲10」がインド空軍の保有するフランス製戦闘機ラファールを撃墜した事実は,世界の軍事関係者に衝撃を与えた。
戦後80年を振り返ると,米ソ冷戦が40年近く続き,80年代から始まったグローバリズムと新自由主義の大波の中,ソ連が崩壊した。90年代から30年間続いた米国一人勝ちの時代は,トランプ2.0の出現とともに崩壊しつつあるように見える。エネルギーと安全保障問題にともなう軍事費拡大に足を絡めとられたドイツの更なる凋落は必至であり,右派勢力の台頭が著しいEU加盟国の政治的な安定性は心もとない。日本も安倍政権以降,リーダーシップ不在の状況が続いている。日米関税交渉は,自動車輸入関税率を25%から15%に引き下げるため(もともとは2.5%だった),5,500億ドルの対米投融資をコミットした。貿易を通じて米国産業に深刻な打撃を与えた日本に対する「賠償」と見ることもできる。投資先は米国が決めるという。日本は米国にしがみつくほかないのか。新たなグローバル・ガバナンス・イニシャティブが喧伝されるなか,「脱米自立」のあり方を改めて真剣に模索する時期が来ている。
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