世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
中英共同声明から40年:香港に理想の行政長官はいないのか
(亜細亜大学アジア研究所 教授)
2024.12.16
香港の返還について中国と英国が共同声明に調印してこの12月19日で40年が経過する。中英間の返還交渉で中国側(最高指導者・鄧小平氏)が持ち出したのが,「一国二制度」「港人治港」である。文化大革命の混乱の余韻がまだ残り,改革開放に乗り出したばかりの社会主義・中国が西側資本主義の香港をそのままの状態で中国の一部として受け入れるという柔軟かつ奇想天外な発想は国際社会の耳目を集めるとともに,その推移と実現の可否に注目が集まった。2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行により,一国二制度はすでに名存実亡ではあるが,今から考えるといろいろと見えてくるものがある。
まず,1980年代の中国にとって重要なのは,資本主義の下,繫栄する香港を「居抜き」で譲り受けるということである。香港の現状維持は中国にとっても必須であり,社会主義の中国が土足で踏み込んで蹂躙することはない,という証文でもあった。そして中港一体化を歓迎するムードの中,返還をソフトランディングで迎えることができた。
現状維持を優先し,起こりうる矛盾に目をつむった返還は,その後問題が顕在化して不安定化する。2000年には台湾では民進党政権が誕生し,香港における台湾の活動を黙認することはできない。国内では邪教として弾圧した法輪功が香港では声を上げそれに反発する。「井水不犯河水(井戸の水と川の水は交わらない)」と二制度を強調するものの,国際都市として海外勢力が自由に浸透するのに対し,一国二制度の壁に阻まれて手出しのできない状態に苛立つことになる。2012年に習近平新時代が始まると香港が国家安全の抜け穴となることを危惧し,仕切り直しを図る(2014年「831決定」)が,市民の抵抗(雨傘運動)に遭う。それを機に香港社会は不安定化,2019年の大規模抗議活動を経て国安法の制定となった。
こうした経緯を考えてみると,一度は軟着陸した香港が返還後20数年を経てハードランディングをした大きな要因は,基本法で先送りしていた行政長官の選出方法にあったのではないか。自由な普通選挙による指導者や議員の選出は,中国の政治文化とは相いれない。1989年の天安門事件で中国統治への不安が募り,基本法に普通選挙を最終目標と明記しなければならなかったことが大きいが,いつ暴発するかわからない時限爆弾だった。
返還後,香港の行政長官が2期10年を全うしたことはない。直近2代の行政長官は2期目に意欲を示しながらも,突如立候補を取りやめ,中央の意向を受けたと思われる候補者が選出されるという形となっている。やらせてはみるものの中央から見ると歯痒いほどの結果しか残せないのである。国内では様々な地方や分野で厳しい競争を勝ち上がり地方政府のトップになるが,香港には優秀な公務員はいても政治人材は稀少だ。特に親中派においてその傾向は強い。
中国国内ではその土地の生え抜きではなく,縁やしがらみのない人物を送り込むのが幹部人事の方式となっている。香港においても,地元の利害関係に左右されず国内の政治文化を体得している人材を送り込むのを望むのではないか。中央は,香港の中で意中の人材を見つけることは難しいと感じているだろう。
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遊川和郎
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