世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3554
世界経済評論IMPACT No.3554

「中所得の罠」から抜け出す「3i戦略」

遊川和郎

(亜細亜大学アジア研究所 教授)

2024.09.09

 「中所得の罠」が注目されるようになったのは,2007年に世銀が発表した報告書『東アジアのルネッサンス』がその端緒といわれる。「中所得の罠」とは経済発展を通じ1人当たりGDPが中程度の水準(中所得)に達した国の多くが,成長率の低下や長期にわたる低迷に直面する現象を指す。

 世界銀行は経済発展水準によって,低所得国,中所得国(さらに下位中所得,上位中所得に2分),高所得国の4つに分類しているが,2023年末時点で中国(一人当たりGDP1万3400ドル)やインド(同2540ドル),ブラジル(同9070ドル),南アフリカ(同6750ドル)など一人当たりGDPが1136ドルから1万3845ドルの108カ国が中所得国に分類されている。これらの国々には60億人(世界人口の75%)が暮らし,世界GDPの40%,炭素排出量の60%以上を占める。1990年以降,中所得国から高所得国への移行に成功したのはわずか34の小国で,そのうち3分の1以上は欧州連合(EU)への統合,または新たに発見された油田の恩恵を受けた国である。高所得国が占める人口比は1960年の30%から2000年に20%,2023年は17%と減少し続けているのが現実である。

 罠の原因については,人件費の上昇により労働集約型,低付加価値産業での優位性を失う一方,技術水準で劣る資本集約型,高付加価値産業では高所得国との競争に太刀打ちできないというのがこれまでの一般的な解釈だった。

 今年8月1日,世界銀行がその名もずばり”The Middle Income Trap”と題する『2024年世界発展報告』を発表した。同報告によれば,保護主義の台頭,債務増加,急速な高齢化,グリーンエネルギーへの移行圧力など,罠に陥るリスクがさらに増していると指摘する。さらに「多くの中所得国が先進国となるために依存している戦略はもはや時代遅れ」と主張する。すなわち,長期間投資だけに依存するか,時期尚早にイノベーション追求に切り替える現行のやり方に対し,段階に応じたアプローチの必要性を説く。それが「3i戦略」である

 低所得国は,「1i段階」,つまり投資(investment)を増やすことを目的とした政策のみに注力し,下位中所得に達すると政策ミックスを投資と導入(investment and infusion)の「2i段階」にギアを上げ,海外技術を輸入,それを経済全体に広める投資を行う。上位中所得では,投資,導入,イノベーション(investment, infusion and innovation)の最終「3i段階」へさらにシフトさせる。イノベーション段階では,世界最先端の技術アイデアを借りるだけではなく,自らが先駆者となることを目指す。

 報告書では,高所得国に移行した韓国をこの「3i戦略」の全3段階での比肩なき成功例として挙げる他,西欧諸国からの技術輸入で生産性向上にまい進したポーランドや海外からの技術移転を奨励し国内の技術イノベーションの糧としたチリなどにも言及している。

 冒頭に列挙した中国やインド,ブラジルの3ヵ国で人口は約30億人,これらの大国が罠から抜け出せば世界経済の構図は一変する。中でも目前に迫っている中国が果たしてどのような戦略で安定した高所得国になりうるのか注目される。

[参考サイト]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3554.html)

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