世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3583
世界経済評論IMPACT No.3583

ジニ係数から読み解く中国の消費不振

結城 隆

(多摩大学 客員教授)

2024.10.07

 9月26日,党中央政治局会議が開催された。通常,政治局会議は4月,7月,10月に開催されるのだが,前倒しで開催されたのは,景気対策が急務の課題となっており,早期に手を打たなければ今年の5%成長目標達成が困難になるとの判断があったものと思われる。それゆえ,これも異例のことだが,会議内容は,景気対策一色だった。

 会議で決まったことは,金融緩和,株式市場と不動産市場へのテコ入れである。短期金利は0.2%,預金準備率は0.5%引き下げられた。株式市場テコ入れのため,人民銀行は最大3千億元を市中銀行経由で投入する。不動産については,厳しい購入制限が課されていた時期の住宅ローン金利引き下げ(平均0.5%),融資対象となる開発業者(ホワイトリスト)の拡大,頭金比率の引き下げ,そして人口規模300万人以下の都市における住宅購入に関わる戸籍制限の撤廃である。

 この措置が発表されるや,株価は9月18日の2,700ポイントから同月末には3,400ポイントに急騰した。ある証券会社では,一日だけで新規の口座開設が3千件に達したという。住宅販売業者は,10月1日から始まる国慶節休暇を前に,従業員の休暇を取り消した。上海では下落が続いていた中古住宅価格が100万元も上昇したという。

 今回の措置は,今年5月に打ち出された景気対策の漏れ・抜けを補完し,景気回復を加速させることが目的である。今年後半以降,不動産市況には薄日が差しこむようになっているものの,在庫圧力は依然高く,その処理には相応の時間を要する。また,株式市場は,2015年のピークである5,000ポイントに比べれば,まだまだ低水準にあるし,2008年のリーマンショック前の水準には遠く及ばない。そして何よりも,この措置によって,低迷が続いている消費の梃子入れにつながるかどうかは見えてこない。

 消費が盛り上がらない理由は,様々考えられるが,所得格差を表すジニ係数を切り口としてみてみたい。先進諸国の多くでは,所得格差の拡大が問題視されている。中国もご他聞にもれず,ジニ係数は経済発展が進むに伴い,急速に上昇してきた。世界銀行によれば,1978年に始まった改革開放後の84年時点でのジニ係数は27.7と低い水準だったが,その後の30年間で,社会不安にもつながりかねない危険水準と言われる40を超えた。しかし,習近平政権が発足した2012年以降,じわじわと下がり続け,2021年には35.7まで低下している(Gini index - China)。10年間で10ポイント近い縮小であり,世界でも例をみない。

 ジニ係数低下をもたらした要因は3つあると考えられる。まず,超富裕層に対する締め付けが行われたことだ。中国のスーパーリッチの富の源泉は株と不動産である。とりわけ,企業の創業者が株式公開によって得た富は巨額である。これによって得た富を不動産投資につぎ込み,さらに富を増やしていった。そしてこれらの富を原資に,新たな事業を立ち上げ,その事業の株式を公開する,といった循環により,富が蓄積されていった。これに大ナタを振るったのが習政権である。まず,投資仲介により巨万の富を築いた経営者が相次いで当局に拘束された。次いで,2020年,アリババの金融子会社である螞蟻金融の上場が土壇場で中止されたことを機に,テック企業に対する規制強化が始まった。これと相前後して,欧米での株式公開にも厳しい制限措置が課されるようになっていった。これにより,株価が下落基調に転じ,資本市場における中堅中小企業の資金調達にも齟齬をきたすようになっていった。これと併せて行われたのが不動産開発業者に対する規制措置である。これが不動産市況を氷河期に突き落とした。富の源泉が干上がってしまったと言える。中国のビリオネアは2014年の約300人から2020年には1千人を超えたが,その後減少に転じ,2024年では814人まで減少している。

 次に,苛烈な腐敗摘発が行われた。党中央規律委員会によれば,2013~22年の10年間,汚職で起訴された件数は483万件に上った。規律違反により処分を受けた人数は1,134万人に上った。米国のシンクタンクPIIEによれば,中央の高級官僚の平均収賄額は14.1百万ドル,省幹部が2.8百万ドル,市幹部が4.3百万ドルとのことだ。訴追されれば有罪判決は免れない。資産は没収され,これに過大な罰金が上乗せされる。これにより政府が吸い上げた金額は,数兆ドルにのぼるのではないか。検討されてはいるものの,中国にはまだ相続税がない。相続税は所得の再分配機能を持つが,党・政府は腐敗摘発というかなり手荒い手段によって所得再分配を強行したという見方もできるだろう。

 最後に,賃金格差が徐々に縮小していった。同時に,農村部の社会福祉も充実してきた。就職コンサルティング会社知智聯招聘によれば,ホワイトカラーとブルーカラーの月額給与は,2012年には倍近い開きがあったが,その後,ブルーカラー労働力のひっ迫度が高まるに伴い,縮小傾向を辿っており,2023年には,ホワイトカラーが8,388元,ブルーカラーが6,043元となった。また,従来は正規の職業とみなされていなかったデリバリー従事者も社会保障の対象とされるようになった。農村部の年金もまだまだ少ないものの上乗せによって増加傾向を見せている。

 富裕層に厳しく,低所得層にやさしい,いわゆる「共同富裕政策」は,2021年の貧困撲滅宣言とともに開始された。貧困から脱却した国民を今後いかにして豊かにしてゆくかが党・政府の重要な課題になっている。しかし,株と土地,それに収賄による富の蓄積に厳しい制限が課されることにより,改革開放以来の「先富論」の夢は消滅したように見える。これは消費の大層を占める中間層の消費マインドにも影を落としているのではないだろうか。

 中国社会に節約ムードが蔓延していることからも,こうしたことが伺われる。宝飾品や化粧品の消費額は今年に入って前年割れが続いているし,アパレル商品の売り上げも殆ど伸びていない。高級海外ブランド商品の売り上げは軒並み前年割れとなっている。高級飲食店も厳しい状況にある。ジョエル・ロブションの名を冠した上海の高級フレンチも閉店した。客単価千元を超える高級寿司店も苦戦している。ミシュランのガイドに掲載された飲食店の多くが閉店に追い込まれた。伸びているのは客単価が低い小吃(軽食)業界であり,低価格を売りにしたアパレル通販のSheinやTemuである。

 土地・株・賄賂という蓄財の手段に厳しい制限が課された結果,「小康」状態が実現に向かいつつあることは間違いない。しかし,それは経済の活力を削ぎはしないか。筆者の複数の友人は,中国には金儲けの機会が少なくなったと嘆くことしきりである。そして,根本にあるのは,ジニ係数の低下をもたらした党・政府の施策に対する警戒感ではないだろうか。金持ちになることは政治的リスクをも負いかねない。党中央政治局が打ち出した今回の景気対策は,これまで巻いてきたねじを緩めるものであって,確かに不動産と株式市況に賑わいをもたらしている。しかし,それが本格的な景気浮揚,とりわけ消費の拡大につながってゆくかどうかについては予断を許さない。警戒感の払拭,これがひとつのポイントであると思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3583.html)

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