世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3548
世界経済評論IMPACT No.3548

中国の「戦略的過剰生産」がもたらす破壊力

安室憲一

(兵庫県立大学・大阪商業大学 名誉教授)

2024.09.02

1.「戦略的過剰生産」の理論的背景

 中国が「戦略的過剰生産」(注1)を重要な国家政策に定め,価格破壊ともいえる輸出攻勢を仕掛けるのはなぜなのか。本稿では,その構造的原因と帰結について考察したい。

 まず,簡単なマクロ経済の公式から始めよう。Y=C+I+G+(X-M)である。ここで,Yは国民総生産(GDP),Cは個人消費,Iは投資,Gは政府の歳出,(X-M)は純輸出額(輸出-輸入)である。中国経済の特徴を明らかにするために,日米の数値と比較しよう。

 中国の個人消費の対GDP比率は37.1%(2022年)である。日本は57%(2022年),米国は67.6%(2024年6月)である。中国はGDPに占める個人消費の比率が低いことが分かる。

 次に,投資を見てみよう。中国の投資のGDP比率は42.1%(2023年),日本は27.6%(2024年1月),米国は20.6%(2023年1月)である。中国は投資の比率は大きいが,GDPの3割程度が不動産関連投資と言われているので,製造業やサービス業への投資は意外と少ないのかもしれない。

 次は,政府の歳出である。中国の政府歳出のGDP比は33.8%,日本は42.24%,米国が38.7%である(「世界の歳出(対GDP比率)ランキング」参照)。日本の比率はヨーロッパ諸国並みで,社会保障費の割合が大きいと考えられる。

 次に中国の純輸出を見ておこう。直近の22年2月から23年2月までは純輸出はマイナスだった。24年3月期にプラスに転じている。みずほリサーチ&テクノロジーは,これを「輸出ドライブが支える中国経済」と解説している(みずほインサイト 2024年7月11日)。

 以上を要約すると,中国の特徴として,GDPに占める個人消費が少なく,投資の比率が大きいといえる(注2)。この条件下で,経済成長率を引き上げようとすると,①外国から直接投資を誘致し(不足する投資の補充),②雇用を創造し(個人消費の拡大),③純輸出(X-M)を増加させる必要がある。社会主義体制では本来は無理な話のはずだが,これを断行したのが鄧小平氏の「改革開放」政策である。有り余る労働力(未利用資源)を活用して,外資の直接投資と技術移転を呼び込み,外資のサプライチェーンに依存する形で中国製の組み立て加工品を輸出するのである。中国が強国になるまでは臥薪嘗胆というわけである。

 21世紀にはいると,この外交方針を転換した。2010年には,中国のGDP規模が日本を凌駕した。中国は胡錦涛政権の末期,習近平政権の時代から外交方針が変った。「もう本音を隠さなくてもいい」と考えたのだろう。「戦狼外交」の反動は大きかった。コロナ禍の2019-2022年頃には,外資の対中投資は完全に停滞し,2023年には85%減と壊滅的な減少となった。これは中国の不動産バブル崩壊と軌を一にしており,地政学的なリスクの増大とともに外資は撤退を開始した。このような状況にもかかわらず習近平国家主席は5%以上の経済成長を宣言した。内需と投資に期待できない中国政府に残された道は外需(輸出)である。戦略的に過剰生産を作り出し,ダンピング輸出で海外市場を抉じ開ける以外にない。

2.中国政府の論理

 習近平国家主席は,2024年5月6日の欧州連合(EU)のフォン・デア・ライエン欧州委員長らとの会談で「中国の過剰生産問題というものは存在しない」と言い切った(日本経済新聞2024年5月12日朝刊)。6月6日には呉江浩駐日大使がEVを念頭に同様の発言を繰り返した。25日には李強首相が大連で始まった経済フォーラムで「過剰生産や補助金によって競争をゆがめるなどの欧米の指摘は当たらない」と主張した。しかし,米戦略国際問題研究所(CSIS)の試算では,中国政府は09〜22年に総額1700億ドル程度の補助金を支出したとされる(日本経済新聞,同上)。つまり,中国がもたらす「過剰生産」は計画的な「国家戦略」であることがわかる。なぜ「過剰生産は存在しない」と主張するのか。それは,習氏の唱える「新質生産力」(EV,電池,半導体,太陽光パネル,風力発電装置,人工知能など)は,世界的に見ればまだ需要は満たされておらず,低価格・高品質で製品やサービスを提供できれば,市場は無限にあると考えられるからである。つまり,「戦略的過剰生産」は内需よりもグローバル市場を標的にしている。「戦略的過剰生産」は中国版「グローバル戦略」である。

 しかし,この論理は自己中心である。他の国でもイノベーション開発(「新質生産」)は経済成長に欠かせない。中国同様,政府は育成に努力している。ということは,中国は国を挙げて競合国の経済成長の源泉を潰しにかかっている,ことになる。誰よりも早く市場を席巻し,寡占的地位を築き利益を独占する。それが狙いである。それが「戦略的」という意味である。中国の経済は国有企業が中心であり,民間企業にも共産党による支配が貫徹している。どのようなやり方で政府(中央と地方)の補助金や税制優遇,各種公共料金の補助など,がなされているかは不明である。調べようにも国家安全法や反スパイ法が立ちはだかる。アンフェアーな「竹のカーテン」である。

3.行き詰る「グローバル経済秩序」

 中国の問題性は,グローバル経済(戦後のブレトンウッズ体制,WTOなどの自由な貿易)から最大の恩恵を被っているのに,その形成にも維持にもなにも貢献していないことである(むしろ邪魔している)。グローバル経済体制の形成には第二次大戦の戦禍が,その維持には米国を中心とした同盟国の安全保障体制という莫大な費用が掛かっている(注3)。グローバル経済体制は「天から降ってきた」幸運ではない。中国の「ただ乗り」が続けば米国は「グローバル経済体制」から手を引き,北米(米国,カナダ,メキシコ)と南米の主要国だけの世界に閉じこもるだろう(注4)。つまり,ブレトンウッズ体制以前の状態,戦間期の「関税障壁」競争の状態に逆戻りすることになる。トランプ前大統領が再選されれば,こうなる確率は高くなるだろう。

 戦略は自己中心に考えてはならない。競争相手の次の反撃を予想しなければならない。下手な戦略はカウンター戦略をくらい,想定してきた目標を自ら破壊することになる。中国の「戦略的過剰生産」はグローバルな経済秩序をもっとも効果的に破壊するだろう。

 それでは,先進国の多国籍企業は次にどんなカウンター戦略を取るのだろうか。その輪郭はすでに見え始めている。カギを握るのは「サプライチェーン」である。それについては,次の稿で論じよう。

[注]
  • (1)この用語を最初に使ったのは細川昌彦氏の「EVに電池,太陽光パネル・・中国の「戦略的」過剰生産,警戒する欧米」(日経ビジネス電子版 2024年5月22日)と思われる。記して敬意を表したい。
  • (2)様々な資料を参照したためGDPの合計が100%になっていない。数字に正確さが欠けるので,あくまでも特徴を示すに過ぎない。
  • (3)ヘンリー・ファレル&アブラハム・ニューマン著,野中香方子訳『武器化する経済』日経BP,2024年。
  • (4)ピーター・ゼイハン著,山田美明訳『「世界の終り」の地政学』(上)(下)集英社,2024年。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3548.html)

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