世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3513
世界経済評論IMPACT No.3513

ドイツにおけるハイパー・インフレ発生原因論争:国際収支説と財政金融説(貨幣数量説)の不毛攻防

紀国正典

(高知大学 名誉教授)

2024.08.12

 第1次世界大戦後のドイツでは,インフレーションの進展中に,この原因をめぐって,それを国際収支要因に求める説と,財政金融に原因があるとする説(貨幣数量説)とが,ずっと対立していた。この不毛な攻防が,インフレーションの真の原因の解明をあやふやにし,その対策と対応を遅らせてしまい,とうとう,ハイパー・インフレーションを,天文学的数値水準の1.261兆倍もの物価騰貴に押し上げてしまったのである。

 「国際収支説」とは,ドイツ政府,中央銀行(ライヒスバンク),ドイツ産業界,マスコミそして経済学者たちが唱えたものであって,インフレーションの発生要因を,マルク為替が下落して(ドル為替が騰貴して),物価騰貴が発生したことに求め,この物価騰貴のために,財政金融政策は貨幣数量を増加せざるを得なくなったのだ,と主張したのである。

 「財政金融説」とは,それを批判し,財政金融政策におけるマルク紙券の絶え間なき発行が引き起こした貨幣数量の増加が,貨幣減価つまりインフレーションを発生させたのだ,と反論したのであった。これを主張したのが,チュローニ氏などの英米の貨幣数量説学派であった。しかしこれらの対立する説のいずれも,誤った方向に注意を向けてしまい,インフレーションの真の原因と発生過程から,目をそらしてしまう役割をもってしまった。

 「国際収支説」を主張したドイツ政府とライヒスバンクそして財政金融官僚たちは,インフレーションの原因を,意図的に賠償金などの国際収支要因に転嫁することで,マルク紙券を乱発した自分たちの責任を回避しようとした。また大産業家や経済界もインフレ景気や輸出競争力を高めるためにこれに賛同し,さらに経済学者やマスコミもそれに同調して,国民世論に警戒をよびかけることを怠ったのである。

 他方で,これらの動きを批判した「財政金融説」(英米の貨幣数量説)は,貨幣数量の増加が物価を上昇させたのだという数量増加減価論に陥っていたので,国際収支説に対して,有効で説得力のある反証ができなかった。政府側は,現実には貨幣数量の増加に見合って比例的に物価が騰貴していないと,数量データをもとにして英米の貨幣数量説を批判した。彼らの主張は,自分たちの責任回避からだが,実際のデータに基づいており,正しかった。

 もし貨幣が数量増加により減価するなら,貨幣数量の増加と物価騰貴は比例していなければならない。しかし現実には,データが示すように,貨幣数量の増加に比例した物価騰貴は起きていなかった。英米の貨幣数量説は明らかに誤っていた。またパリ大学のA.アフタリヨンによる詳細な統計研究によっても,この比例関係の事実はなかった。

 ドイツでのインフレーションは,ライヒスバンク(中央銀行)が政府の財政赤字を穴埋めするため政府短期公債を引き受け,貨幣(マルク銀行券)を提供する財政と金融の癒着合体を根底要因とし,それによるライヒスバンク(中央銀行)の財務の悪化が,貨幣不信と外国為替市場でのマルク売りを引き起こして,発生したのであった。「国際収支説」は貨幣減価行動が外国為替市場におけるマルク安から起こったことを指摘したことは正しかったが,財政金融要因から目をそむける作用をもった。「財政金融説」は財政金融要因に目を向けることまでは正しかったが,外国為替要因から目をそむける役割を担ってしまった。

 こうして,ドイツ国民全体が財政と金融の癒着合体という根底的な要因に目を向けないままでいたことが,ハイパー・インフレーションを天文学的数値水準に押し上げてしまったのである。巨大災害は,すべての人がそれらへの警戒と備えを忘れたときに発生する。

 この貨幣数量説と共通の基盤にあるのが,アベノミクス(異次元金融緩和論・リフレ論)であって,2%の物価上昇率を達成するため,政府公債を大規模に買い上げ,ひたすら貨幣数量を増加させてきたのである。ドイツで財政金融に原因ありと主張した貨幣数量説が,現代日本においては,アベノミクスの理論的支柱となり,財政金融を悪化させ,ハイパー・インフレーションを準備するに至ったのは,皮肉なことである。いずれも貨幣数量の増加が貨幣減価(物価上昇)をもたらすという,誤った理論に基づいていたからであった。

(詳しくは,紀国正典「第1次世界大戦ドイツのハイパー・インフレーション(1)―大規模な貨幣破産・財政破産の発生要因についての解明―」(プレ・プリント論文),金融の公共性研究所サイト,紀国セルフ・アーカイブ「公共性研究」ページからダウンロードできる)。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3513.html)

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